2022年10月20日
古代の日本2
人口はある程度増大するとですね、やはり国のような組織がいるわけですね。その前には地方政府みたいなものが少しはあるわけですが、それは例えば灌漑工事をするとかですね、それから道路を作るとか、普通は敵から防ぐっていうかですね。
旧約聖書の中にも書いてある通り、なんで国ができたか。あるとき隣の国の軍隊が来て、家族を全部皆殺しにする。だからその国にも若者を出して軍隊を作り、若者はあるいは兵隊で死ぬかもしれないけれども、王様の下で国を守るという制度が必要であると、そういう風に説明されるわけですね。これは大陸の、戦争の多いところでは必ずそうなので、それが大きくなりますから、したがって割合と古い時代から、王朝っていうのが存在するわけですが、日本では食料も十分にあり、民族も一つであり、言語も独特であり、それで大きな王朝とか軍は、必ずしも必要じゃなかったわけですね。
これは驚くべきことに、別に古代にそうだったっていうんじゃなくて、江戸時代の末期までっていうか、まぁ現代に至るまで日本は国内の戦争において日本人が殺される、兵士じゃない国民が殺されるってことは、ほとんど無かったわけですね。これはもう世界的には全く日本だけなわけですから、したがって日本国は日本国というものを建設する意味が少しなかったですね。外国から攻めてきたわけじゃない。
ちょうど議論になるのは、神話とかなんかによると、神武天皇が日本国を建国したのが紀元前660年くらいになるわけですから。それから極めてシビアに日本国が形を成したということを、いろいろ対外的な資料で調べると、紀元後100年ぐらいになりますから、まぁだいたい神武天皇が即位されたのは、つまり日本に国らしきものができたのは、紀元0年ぐらいだという風に思っていいでしょうね。その前に、もしも国があっても、それは支配地域が小さかったりしてますから、どこが国か、発祥かという事は難しいわけです。
とかく国ができたのが後になるとですね、なんとなく未発達の国のように思いますけど逆ですね。国が早くできるって事は、そこで人殺しが早く行われるって事であって、したがってどうしても国が必要なんですが、しかしもしも誰も人殺しをしない、戦争もしなければ、国はいつまでも作る必要がないわけですね。もしくは道路でもですねえ、部落同士が非常に仲良くて、ここに道路を作りましょうと。魚とか塩の運搬が楽になるからって、そうですねって、作っていればですね、そういう話し合いをしていれば、いつまでも国はいらないかもしれません。
そういう意味で、今までの歴史科学者がそうだったのか、それとも日本人の考えがそうだったのか、国がなければ野蛮であるという、そういう全く何か見当はずれな考えがあって、それで日本は国ができるのが遅かったので、野蛮な国であると、文化に遅れた国であるという評価になったわけですが。
まぁその話はあまりしてもしょうがないので、紀元0年ぐらいにですね、できたと。そんなことは日本のプライドにも何も関係ありませんから。やがていろいろな研究によって、はっきりしてくるだろうということで、まぁだいたい神武天皇が即位されたのが、まあ紀元0年としますと、その前に神代(かみよ)っていうのを作ったわけですね。神代はもちろん、通常に考えれば人間の創作物です。だけど神代が必要なのは、これは世界全人類が神代がありますから、だから、神代があるって事は、別段不思議はないんですね。イザナギ、イザナミからスタートしまして、夫婦の神様からスタートして、5代下が神武天皇である。この間、天照大神がイザナギ、イザナミの子供ですが、女性ですからね、だからそこのところが女系の血が一回入っておりまして、男系男子相続、近代的に言えばY遺伝子相続は、その天照大神のところで切れているわけですが、神武天皇のY遺伝子はどこから来たかっていうと、イザナギ、イザナミと同列の男の神様から来ていますので、その意味ではその神様の実子の子供が、イザナギ、イザナミのところに養子に入ったような形になっております。いずれにしても、神武天皇が天照大神の血を引いて、それからその同列の神様の男性の神様の血を引いて天皇になった。これはまあ苦心惨憺の結果だと思うんですね。つまりお金じゃない、軍隊、力でもない、知恵でもない、力ずくではない社会というのを、日本古代の日本人が作ろうとしたわけですね。
日本の考え方は非常に立派な考え方で、文化的にも道徳的にもきわめて高いわけですが、人間の偉さというのは力がある人ではない、お金がある人ではない、知恵のある人ではない。その人が、かけがえのない人だからだと、そういうことで決まっていきますので、神武天皇が天皇になり、それから男系男子相続、男系しか遺伝子が繋がりませんね。その方法を取り、そして神様の一番上とし、人間の形をした神様の一番上としては、天照大神という女性をつけたと。これによって日本の建国の思想はですね、力ずくではないよと。女性が一番上ですよと。それから力があるから一番上じゃなくて、血筋で一番上を決めるんですよっていう、そういう原理原則が決まりまして。天皇陛下の知性であって、かつ男系男子相続によって、Y遺伝子だけで、その頃はY遺伝子ではなくて、血の繋がりという言い方をしていたわけですが、現代流で言えばY遺伝子ですね。それの繋がりによって決めるということで、これはまあ大成功を収めましたね。
天皇陛下が実権がだんだんなくなっていくわけですが、貴族社会になって藤原家が力を取りですね、その後、平氏が力を取り、源氏が力を取りと、このようになってきたんですが、それでもやはりみんなが天皇陛下を尊敬して、権威は天皇陛下だと。権力は例えば織田信長がとっても、権威は天皇陛下と。だから織田信長はどんなに力があり、どんなにお金があっても天皇陛下を殺すことができないと。これは世界で日本だけが歴史的に実証されて、現在でも天皇陛下がおられると。いうことは、これはもう今から2000年前に頭を絞った日本の社会体制づくりの方々の作戦がですね、非常に大切だったということを示しておりまして。
これをよく考えずにやってる人がいるんですね。例えば男女平等であると。男女平等であるから女性天皇で女性天皇の子供でもいいだろうと。いいんですけど、全然それいいんですが、男女同権とかそういう話で決めたんじゃなくて、力ずくでない社会における日本のトップをどう決めるかっていうことですね。力ずくではありませんからね。だから何を以って基準にしたらいいか、分からないんですよ。あの織田信長が、力もあり、金もあり、すごい力を持っていたにも関わらず、その当時すでに、割合と勢力がなくなっていた天皇陛下のところに行ってですね、ははーと平伏して、そこから官位をいただいて、日本を収めようとしたというですね、そういうことが歴史的に成功したということを示してるわけですね。
もう一つは、1900年ぐらい経って、およそ2000年も経ってですね、天皇陛下ができてから2000年も経ったときに、明治が訪れたわけですね。この時に外国のロシアとかイギリス、アメリカ、オランダなんかが、どんどんどんどん攻めてくるわけじゃないですか。それに対して日本を守るのは誰か。徳川将軍は徳川家を守ると。島津の殿様は島津家を守ると。じゃあ日本国民を守るのは誰かと。やっぱこれは天皇だろうってことになって、天使様を京都からお呼びして、明治天皇ってのができる。そこで実権を今度は取るわけですね。だから2回にわたって成功してるんですかね、この計画は。私はね、結果的に見ればそうですけども、よく、2000年前にですね、その権威を持つものを遺伝子、血の流れにして、仮にですね、天皇家を半分神様の血が流れているとしたと。
だから戦後に誰かあまりそういうことを、歴史を考えない人が、天皇に人間宣言をしろとこういったわけですが、人間宣言をするということはどういうことかっていうと、何か日本のトップに座る人、トップに座る人がいらないというのも実は問題だあるんですが、これはですね、世界の歴史を見ると、トップがいない国ってのほとんどないんですよ。普通はトップはですね、金があるか権力、力ですね、軍隊を持ってるか、まあ優れた知恵のある人っていうのも、あまりないんですね。知恵の尺度がないんで。従って金か暴力か、ということであまり感心したトップじゃないんですね。その点では天皇陛下の決め方、天皇制度という決め方ですね。しかもほとんど貴族社会をあまり作らないんですよ。それはまたそういう風に言いますとね、色々反論したい人がいてですね、武田は貴族社会があったのを知らないのか、いや知ってるんですが、例えばそれからずいぶん時代が経って、600年ぐらい経って、聖徳太子の時代があってもですね、いろいろそこでの貴族間の戦いなんかがあるんですが、物陰から誰かが出て、刺して殺して終わりになったとかですね、せいぜい誰かが誰かの館を20人から30人ぐらいで攻めて滅ぼして、それでなんとかの乱っていうが終わりにになっているとかですね、まあ壬申の乱なんかの少し大規模なやつがありますが、歴史的にはそれまでですね、ほとんど小さな、まあいわば私闘に属するようなものしかなかった。これは日本がですね、天皇陛下というただ一人の人、この人だけが神様の血を継いでるんですけども、まぁその人を中心に、とにかくまとまっていこうと。その他はですね、あまり階級制とかそういうのを作らないでおこうということですね。
それからもうひとつ、非常に肝心なのは、奴隷を作らないでおこうっていうことですね。日本の国民は天皇陛下一人だけは特別なんですが、貴族でも誰でもですね、後に出てくる侍の身分でもですね、どの身分でも天皇の赤子(しゃくし)であるということで、階級が2本しかないんですね。この階級が2本しかないっていう社会は、非常にいい社会なんですよ、通常は。つまり代表者は一応いると。だから外国からお客さんが来るとか、なんか国が誰かを中心に団結するっていう時は、団結の象徴になるんだけれども、だけど階級制としてないないもんですから。
今例えばイギリスですとね、イギリスは公侯伯子男という、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵っていうのがありますね。そうしますと、どうしてもそれは地主ですから、今でも侯爵なんて言うのは広大な土地を持って、まあいわば貴族なんですよ。現在でも貴族なんですよ。ところが日本は、ほとんど貴族はいませんね。
だからこれは何を言っているかというと、やはり日本の思想っていうのは諸外国の思想と全く違って、簡単に言えば天皇おひとりが貴族であって、あとは違うという考え方ですね。ですから日本社会の根本を、その2000年位前に作ったわけですが、その時に、力ずくではない社会というものをつくった。したがって戦争においても、例えば徳川家康と豊臣秀頼が戦って、大阪城で豊臣家が滅びてもですね、大阪の商人は奴隷として江戸に引っ張られることがなかった。それはなんで、徳川家康が大阪の商人を江戸に奴隷として引っ張れないかったかというと、徳川家康自身が天皇陛下から征夷大将軍という爵位をもらって、それで徳川幕府を開いている。一方では大阪の商人というのは天皇の赤子ですから、子供ですからね、ですからまさか、天皇から命令をもらって仕事をしている徳川家康が、天皇の子供を拉致するというわけにはいかないので、結局大阪を全滅させても、大阪の人を連れていけないと。これがまあ日本のお城が非常に小さいと。これは世界的には非常に小さいんですが、そういう元を作って、平和な日本、団結できる日本というのを作った。これを作った人は本当に、まあノーベル賞っていったら変ですが、表彰しなきゃいけない。だからそのことが、本当に歴史の人がよく調べたらですね、それは日本の第一の偉人ですよね。日本の偉人の中でも、天皇陛下というものを考えつき、それが神様の血を引き受けているという概念を作り、半分神様だという概念を作り、そして男系男子相続でもってY遺伝子相続にするという途切れない相続にするという、そういうシステムを作ったということによってですね、日本人っていうのは2000年も、言ってみれば平和な生活ができ、幸福な人生を送り、外国を追い越したという事ですんでね、本当に偉い人なんですよ。まあ合議制だったかもしれないし、一人の人が着想したかもしれない。
これについて日本では、学校でしっかり教えてですね、外国とは違う、外国は力づくの社会だ、金ある、暴力がある、優れているという人をトップにしたけど、日本はそうじゃないんだと。尊敬できる人、かけがえのない人をトップにしたんだということは、日本人の歴史上の誇りとしてはっきりと言っておくべきだと私は思っています。
武田邦彦 ヒバリクラブ
【武田邦彦のブログ】2022年8月5日 シリーズ「日本」第三章 古代日本 A
https://youtu.be/4B60AyrYLKE
◆PR◆テレビでもおなじみ、服部先生が実食して厳選したものだけをご紹介するサイト、はっとりよせ.com。
「服部幸應のお取り寄せ」
無添加、減々農薬・無農薬にこだわったおいしいものを、産地産直でお届けしています。
商品のひとつひとつに実食コメントを掲載。
にっぽんの食を再発見しませんか?
売れ筋ランキング
第1位 | 第2位 | 第3位 |
---|---|---|
栗蒸し羊羹 | 人形焼 | カスドース |
3,990円〜 | 1,750円〜 | 1,080円〜 |
おすすめ商品
滋賀県 長浜極上 鴨しゃぶ鍋 5,400円(税込)〜
福岡県 博多 博多 とり田「極上水炊き」 5,000円(税込)〜
のし、名入れ無料ですので、ギフトにもおすすめいたします。
ぜひご覧ください。
「服部幸應のお取り寄せ」
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11642107
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック