2022年10月17日
同じものを見ても、見え方はそれぞれ
人はいつも錯覚してるというものを、2つか3つくらい、やってみたいと思うんですね。
私は物理化学の基礎研究をずっとやってまいりまして、基礎研究をやると人間が謙虚になるって言いますね。なぜ謙虚になるかっていうと、理論でガッチリ検討するんですよ。これはこうなるな、Aは Bになるな、BはCになるなって物凄く検討して、よし間違えないと。ところが我々実験するんですね。実験というのは何の目的で実験するかって言うと、そのAがBになる、BがCになるというのが間違いかもしれないから、自然に正解を聞くわけですよ。小学生がドリルをやってから答えを見るのと一緒なんですね。それが実験なんですね。実験ていうのは、思う通りの結果が得られてもいいんだけど、思う通りの結果が得られないってのがまたいいわけですね。そこでこう進歩する。そうだったかと、分かるわけですね。
研究をされてない人で、夫婦喧嘩の多い人なんかが多いんですけど、これが正しいと思い込んで主張する、激昂型の人なんかも多いんですが、自分が正しいことが分かってるという、その意識が強いんですね。例えば夫婦げんかでも、妻の言うことは間違ってる、夫はなぜこんなことが分からないのかっていうのも、それなんですね。なぜそれが起こるのか。それが分かれば相当世の中、我々は楽になるし、第一ケンカが無くなりますね。
僕はあんまりケンカしないんですけど、心の中からはケンカしないんですけど、それはなぜかと言いますと、自分が合ってるかな、間違ってるかな、っていつも思うからなんです。それをちょっと具体的な例で示したいと思います。
紫式部が源氏物語を書いたのが、だいたい西暦1000年ですからね、今から1100年前なんですよ。1000年前ぐらいに紫式部が源氏物語を書いた。あのくらい名著を書いたわけですから、才女ですよね。非常に頭のいい女性だ。この人を例にとりまして、1000年前、僕らは何が正しいかと思っていたかってのをちょっと説明しますとね、紫式部と私がタイムスリップして一緒に行動できるとしますね。そして羽田空港かなんかに行くんですよ。そうしたら飛行機がぶわーっと、ボーイングが行くでしょ。それを紫式部に見せて、紫式部さん、あれなんだと思いますか、と言うんですよね。そうすると紫式部はですね、見たことないから考えちゃいますよ。何だろうな、なんかデカい物が飛んでる。鳥みたいだけど、あれは鳥じゃないなっていうんで、例えば私にね、あれは武田先生、分からないけども、天狗ですか、というような事を言うと思うんですね。つまり紫式部はなぜ飛行機と言わないか。当たり前で、紫式部の時代に飛行機はないからなんですね。単に無いからなんですよ。ということはどういうことかって、ここよく考えてほしいんですけれども、人間っていうのは自分の頭の中に入ってないものは、思い浮かばないっていうことなんですよ。当たり前ですよね。頭の構造がそうなんですね。この、頭の構造の欠陥については、なんかの機会にお話しますが、そういう頭をしてるんですよ。人間が700万年前に誕生した時に、そういう頭で参上しちゃったもんですから、もう今更どうにもならないんですね。
つまり私たちが、今の社会はこうだ、あれは飛行機だ、あれは潜水艦だと、これは家だとか思うのは、なぜそう思うのかって、全部自分の頭に入ってるんですよ。もちろんだから普段生活するときは、頭に入っているものしか僕らの周りにないので、したがって私たちはそれで別に十分大丈夫なんですけれども、実はその紫式部の時代に帰ったんですよ。そしたらこれはダメなんですよね。だから結局我々は常に何をそうだと思うか。カーテンだとか机だとか家だとか自動車だと思うというのは、それが今の世の中にあるから。自分の頭の中に入ってるからなんですよ。そうすると紫式部は1000年前でしょ、1000年後に、今は我々が知らないものができてるじゃないですか。それが目の前に現れて。分からないということなんですよ。1000年後は分からないだろうって、これ夫婦もそうなんですね。夫婦も、奥さんは奥さんの人生を歩いてきますから、その過程でああいう人もいた、こういう人もいた、こういう考えもあったといって育ってくる。ところが夫の方はまた全然ちがう。しかも男と女だから、性質が違う。場合によっては歳も10歳ぐらい違うってことになるとですね、それぞれの頭の中に入っている情報が、元々違うんですよ。私と紫式部が、僕は飛行機と言い、紫式部が天狗と言うようにですね、全然違うんです。同じものを見ても。
これが人間の錯覚の第一なんですよ。もしもこのブログがお役に立ったならばです。これを見た人が、そうかと。なんかの時に、自分と違う考えの人がいた場合とか、意見が違うの人がいた場合、これは意見が違うのか、見ている事実の種類とかそういうのが違うのか、これを考えてみなきゃいけないですね。事実が違えば意見が必ず変わるんですよ。そりゃそうですよね、事実に基づいて意見を言いますから。だから事実を知らなきゃいけないっていうことなんですけど。事実は必ずしも、同じじゃないんですよね。特に最近では、テレビとかそれからそういうんでね、目で見ないんですよ。昔はね、隣近所は全部同じことしたんですけど、今は全然違うんですよ。若者はネット見てたりね、仮想空間を見てたりするし、お年寄りはネットはあんまり見ないでテレビ見たりすればね、それはね、最近の若い者はなんて言うけど、最近の若い者じゃない時があるんですよ。見ているものが違うから、もともと考えが違うっていうのはいくらでもあるんですね。私なんか物理とか物理化学やってきましてね、自分がどこから見てもこれだと思って実験したら、違うじゃないかと。ところがね、それがまた面白いのは、違うということが分かるでしょ、実験で。その実験をまた別の角度から見ると、そうか、こういうことだったかってのが分かるんですね。それで人間は一歩一歩進歩し、自分の意見ははっきりあるんだけども、人の意見も、そうかもしれないなと思ってみることが、できるようになります。これを会得しますとね、職場の人間関係なんてガラって良くなりますよ。っていうのがね、職場の上司というのはけしからんわけですよ、一般に。だけど、あれは職場の上司が自分と違うのは、上司は情報が違うんですよ。年齢が違ったりね、立場が違ってたりする以上に、お客さんのところに行くそのお客さん、相手が違ったり、全部違いますから。だからもともと上司と自分が、意見が合うということがおかしいし、同僚と合うっていう自身がむしろおかしいんですよ。これはですね、紫式部の話で少し感じて頂ければと思います。ご参考になって頂ければと思います。それでは皆さん、さようなら。
武田邦彦 ヒバリクラブ
紫式部から見れば飛行機=天狗?【武田邦彦の逆転講座C】2022/08/22
https://youtu.be/WEqH51KqlTQ
私は物理化学の基礎研究をずっとやってまいりまして、基礎研究をやると人間が謙虚になるって言いますね。なぜ謙虚になるかっていうと、理論でガッチリ検討するんですよ。これはこうなるな、Aは Bになるな、BはCになるなって物凄く検討して、よし間違えないと。ところが我々実験するんですね。実験というのは何の目的で実験するかって言うと、そのAがBになる、BがCになるというのが間違いかもしれないから、自然に正解を聞くわけですよ。小学生がドリルをやってから答えを見るのと一緒なんですね。それが実験なんですね。実験ていうのは、思う通りの結果が得られてもいいんだけど、思う通りの結果が得られないってのがまたいいわけですね。そこでこう進歩する。そうだったかと、分かるわけですね。
研究をされてない人で、夫婦喧嘩の多い人なんかが多いんですけど、これが正しいと思い込んで主張する、激昂型の人なんかも多いんですが、自分が正しいことが分かってるという、その意識が強いんですね。例えば夫婦げんかでも、妻の言うことは間違ってる、夫はなぜこんなことが分からないのかっていうのも、それなんですね。なぜそれが起こるのか。それが分かれば相当世の中、我々は楽になるし、第一ケンカが無くなりますね。
僕はあんまりケンカしないんですけど、心の中からはケンカしないんですけど、それはなぜかと言いますと、自分が合ってるかな、間違ってるかな、っていつも思うからなんです。それをちょっと具体的な例で示したいと思います。
紫式部が源氏物語を書いたのが、だいたい西暦1000年ですからね、今から1100年前なんですよ。1000年前ぐらいに紫式部が源氏物語を書いた。あのくらい名著を書いたわけですから、才女ですよね。非常に頭のいい女性だ。この人を例にとりまして、1000年前、僕らは何が正しいかと思っていたかってのをちょっと説明しますとね、紫式部と私がタイムスリップして一緒に行動できるとしますね。そして羽田空港かなんかに行くんですよ。そうしたら飛行機がぶわーっと、ボーイングが行くでしょ。それを紫式部に見せて、紫式部さん、あれなんだと思いますか、と言うんですよね。そうすると紫式部はですね、見たことないから考えちゃいますよ。何だろうな、なんかデカい物が飛んでる。鳥みたいだけど、あれは鳥じゃないなっていうんで、例えば私にね、あれは武田先生、分からないけども、天狗ですか、というような事を言うと思うんですね。つまり紫式部はなぜ飛行機と言わないか。当たり前で、紫式部の時代に飛行機はないからなんですね。単に無いからなんですよ。ということはどういうことかって、ここよく考えてほしいんですけれども、人間っていうのは自分の頭の中に入ってないものは、思い浮かばないっていうことなんですよ。当たり前ですよね。頭の構造がそうなんですね。この、頭の構造の欠陥については、なんかの機会にお話しますが、そういう頭をしてるんですよ。人間が700万年前に誕生した時に、そういう頭で参上しちゃったもんですから、もう今更どうにもならないんですね。
つまり私たちが、今の社会はこうだ、あれは飛行機だ、あれは潜水艦だと、これは家だとか思うのは、なぜそう思うのかって、全部自分の頭に入ってるんですよ。もちろんだから普段生活するときは、頭に入っているものしか僕らの周りにないので、したがって私たちはそれで別に十分大丈夫なんですけれども、実はその紫式部の時代に帰ったんですよ。そしたらこれはダメなんですよね。だから結局我々は常に何をそうだと思うか。カーテンだとか机だとか家だとか自動車だと思うというのは、それが今の世の中にあるから。自分の頭の中に入ってるからなんですよ。そうすると紫式部は1000年前でしょ、1000年後に、今は我々が知らないものができてるじゃないですか。それが目の前に現れて。分からないということなんですよ。1000年後は分からないだろうって、これ夫婦もそうなんですね。夫婦も、奥さんは奥さんの人生を歩いてきますから、その過程でああいう人もいた、こういう人もいた、こういう考えもあったといって育ってくる。ところが夫の方はまた全然ちがう。しかも男と女だから、性質が違う。場合によっては歳も10歳ぐらい違うってことになるとですね、それぞれの頭の中に入っている情報が、元々違うんですよ。私と紫式部が、僕は飛行機と言い、紫式部が天狗と言うようにですね、全然違うんです。同じものを見ても。
これが人間の錯覚の第一なんですよ。もしもこのブログがお役に立ったならばです。これを見た人が、そうかと。なんかの時に、自分と違う考えの人がいた場合とか、意見が違うの人がいた場合、これは意見が違うのか、見ている事実の種類とかそういうのが違うのか、これを考えてみなきゃいけないですね。事実が違えば意見が必ず変わるんですよ。そりゃそうですよね、事実に基づいて意見を言いますから。だから事実を知らなきゃいけないっていうことなんですけど。事実は必ずしも、同じじゃないんですよね。特に最近では、テレビとかそれからそういうんでね、目で見ないんですよ。昔はね、隣近所は全部同じことしたんですけど、今は全然違うんですよ。若者はネット見てたりね、仮想空間を見てたりするし、お年寄りはネットはあんまり見ないでテレビ見たりすればね、それはね、最近の若い者はなんて言うけど、最近の若い者じゃない時があるんですよ。見ているものが違うから、もともと考えが違うっていうのはいくらでもあるんですね。私なんか物理とか物理化学やってきましてね、自分がどこから見てもこれだと思って実験したら、違うじゃないかと。ところがね、それがまた面白いのは、違うということが分かるでしょ、実験で。その実験をまた別の角度から見ると、そうか、こういうことだったかってのが分かるんですね。それで人間は一歩一歩進歩し、自分の意見ははっきりあるんだけども、人の意見も、そうかもしれないなと思ってみることが、できるようになります。これを会得しますとね、職場の人間関係なんてガラって良くなりますよ。っていうのがね、職場の上司というのはけしからんわけですよ、一般に。だけど、あれは職場の上司が自分と違うのは、上司は情報が違うんですよ。年齢が違ったりね、立場が違ってたりする以上に、お客さんのところに行くそのお客さん、相手が違ったり、全部違いますから。だからもともと上司と自分が、意見が合うということがおかしいし、同僚と合うっていう自身がむしろおかしいんですよ。これはですね、紫式部の話で少し感じて頂ければと思います。ご参考になって頂ければと思います。それでは皆さん、さようなら。
武田邦彦 ヒバリクラブ
紫式部から見れば飛行機=天狗?【武田邦彦の逆転講座C】2022/08/22
https://youtu.be/WEqH51KqlTQ
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