2022年09月25日
日本のルーツ・まとめ。日本の祖先は中国から来たのではない。
石器時代から始めて、なんでそんな知識がいるのっていうんですけど。
私の一番の疑問は、国際的にみて、ものすごく日本が特殊なんですね。最初ずっと思ってたのは、日本だけが地球上で温帯の島国だから、温帯の島国というものに特有の概念なり、性質、日本人の性質なり食文化形ができたんだろうという風に考えてたんですけど、それではどうしても説明ができない部分が多いんですよ。そこでさらに考えて、どうも日本というのは、中国から人が渡ってきたとか、どっかから人が来たっていうんじゃなくて、最初から日本に人間がいないと、このヘンテコな現象は説明できない。
僕としては調査に調査を重ねてきた。それでようやく結論に達した。
日本人はどこから来たのか、日本語っていうのはどこから来たのか調べようと。
もちろん現在の学会なり、現在のいろんな常識は、中国から来てるという風になっているわけですが、どうもおかしいっていうか、全然連続性がない。日本人のDNAでも連続性がないし、日本語というものでも連続性がないし、社会システムも連続性がないんですよ。
連続性が少しは見られてもいいのに、見られないっていうのはおかしいと思っていた。そのうち、今から20年くらい前に、地球温暖化って話が出てきて、それで私も気候を調べ始めたらですね、いやいや5万年前とか10万年前となると、到底、中国を歩いて日本の方に来るって事は、物理的にできないということが分かって。私は、その当時は、頭の中はやっぱり、中国から人が日本に来たって思ってましたから、その思い込みをなくすのが大変だったんです。そしてやっと最近、ではないんですけども、だんだん分かり始めたのが、どうも5万年位前、まだ中国に寒くって人がいない時代に、朝鮮なんかもちろん誰もいません、その時代にセイロンからインドネシアを回ってきた人達が日本人で、周りの人達はまだ言葉もなかったが、日本は結構その時、人がいましたので、日本語というのができた。それがそのうち日本から少し暖かくなって、樺太の方に行くようになって、それが今のツングース語系になったと。それですっかり霧が晴れたんですよ。
それで、なるほど、今の日本の言葉なり文化なり、奴隷がいないとかですね、それから神様の問題だとか、社会のシステムとか、戸籍とか、日本が世界でただ一つというのがいっぱいあるんですよ。女性の神様とかですね。これでそういうのが、もう氷解しました。
それで、日本人がはっきりとした遺跡の残る文化をやり始めたのが5万年前ですね。それで姶良(あいら)火山が爆発した3万年ぐらい前から、ちょうど気候が急激に暖かくなってきましてね。氷期が間氷期に変わりました。その間3回に渡ったヤンガードライアスとか言う揺り戻しがあるんですが、一応2万年ぐらい前には、日本が順調に発展するようになってきた。順調に発展するようになってきたっていうのは、亜寒帯の針葉樹林が温帯の広葉樹林に置き換わるのに少し時間がかかりますし、それに伴った動物相の変化、それから稲作の開始、集落の拡大というものがですね、やっぱり2000年くらいかかったでしょうから。おおむね、2万年前ですね。それから2千年引くと紀元前1万8千年前ってなるんですけど、そこまで厳密に分からないんですが、縄文時代に入るちょっと前ぐらいからですね。それから縄文時代とか弥生時代というのは、ほとんど意味がない。今までは縄文時代から弥生時代に変わるときに稲作が始まった、というようなことを言われていました。これは全然違うということは、遺跡の発掘とか、DNAの鑑定ではっきり分かってますので、それは修正して。
そうしますと、だいたい、まぁ少し控えめに言って、紀元前1万年ぐらいからですね、日本文化というのが始まった。だからだいたいメソポタミアなんかと同じくらいのタイミングで、日本の文化が始まったんでしょうね。
東洋では日本しか暖かくなかった。インドネシアとかマレーシアあたりがどうだったか、ちょっとまだ疑問があるんで、そこまでまだ調査が進まないんですけど、少なくとも日本はですね、ちょうど温帯になりましたもんですから、発展に都合がよくて。水も豊富である。ということで、大災害が終わった後だというようなことで発展をしていった。おおよそ1万年ぐらい前から、いわゆる今の日本っていう感じの日本社会というのが生まれたと。田んぼがどの位あったかってっていうのは、水稲の問題ですからあれですが、米があり、藁葺き屋根があり、それで動物が結構多くて、植物も結構多くて、実もなるし、貝も取れる、貝塚も出来る、と言うようなですね、標準的な日本、まあ我々が日本と言ったら思い出すがような風景が出てきた。その中で日本人が少しずつ少しずつ狩りもして、農耕もして、色んなことをしながら今の日本が形成されてきた。
そうなりますとね、少しずつ道具も増えてきます。それでいろいろ考えられるんですが、ヨーロッパとか中国ではですねえ、日本みたいに人口に対して自然が豊かじゃなかったんで、どうしても工作のレベルが高くなって来なきゃダメだ。だから結局ヒッタイト(注:現在のトルコで、高度な文明を築いた古代民族・帝国)で、紀元前1400年に鉄器ができないとですね、鍬(くわ)が結局、土を耕すことできないから、生産力が上がらなくて文化が停滞して、そして農業ばっかみんながやってた。100人が100人、農業を。石の鍬(くわ)ですから、なかなか生産量は上がらない。
ところが日本の場合は、多種多様でした。ですから人口さえ爆発的に増えなければ、日本の場合は農耕一辺倒じゃなくてもやっていけるというような状態だったので、鉄器の導入っていうのは少し後でもいいということで。だいたい鉄器はメソポタミアが紀元前1000年、中国が紀元前500年、日本がだいたい紀元後になったわけですね。これは鉄器の導入が遅れたということと、文明が遅れたということは違ってですね、食料の文化というのは、日本はもう周りに魚がいくらでもあってですね、お米が十分に食べれたとは思いませんが、いわゆる雑穀類を含めたら穀類も十分にあると。お塩はもう当然そこらへんに行ったら取れるということで、生活が楽だったっていうことで、それで穏やかな文化になって。
日本の宗教っていうのはですね、メソポタミアだとか中国と全く違うレベルで発生したと思うんですね。メソポタミアとか、その他の地域、もしくは中国はですね、農業生産を主体としてやらないと、食料が確保できなかったわけなので、したがって鉄器の普及を待たなければ、宗教の発達はなかった。だから紀元前千年、ちょっと深く見ても紀元前1500年くらいから宗教が出てくるわけですね。つまり宗教をやるような暇な人が出てこないといかんということですから、そうなんですけど、日本の場合は最初からやや暇だったということで、日本の独特の宗教。その頃中国だとかそれからメソポタミアはですね、まだ食料生産に一生懸命だったものですから、ちゃんとした信仰、宗教ではなくて、信仰ができてなかったわけですが、日本に遅れて信仰ができてきたと。こういう風に考えますと、日本民族の誕生、それから日本文化の発達、言葉の形成、それから農作業の充実ですね、これは日本の場合は、海っていうのがあるので、相当事情が違うんですけど、そういう事が進んで日本独自文化ができた。
この独自文化っていうのが、後の日本には非常に負担になるんですね。つまり外国との関係が出てくると、外国と同じような考え方ですとスムーズに行くんですけど、外国と正反対な考え方ですからね。ですからなかなか思うようにいかない。これが日本人のシャイな性格だとかですね、それから言語を習得するのが非常に下手であるとか、そういうことに繋がって、不利な面もあるんですけども、逆にいい面もあった。これで私の長い疑問が解消したということであります。
これをよく日本人が理解しないと、今後の日本の発展はないと私はそう考えています。
武田邦彦 ヒバリクラブ
【武田邦彦のブログ】2022年7月22日 シリーズ「日本」日本のルーツE
https://youtu.be/yxsxsZgLctA
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