2022年09月25日
古代の日本の景色(続き)
気候が暖かくなってきて、米作ができるようになってくる。それで石器時代もほぼ終わりになり、いわば土器時代に入ってくる。
日本は、今から2万年前もしくは1万8千年ぐらい前には、ある程度人口も増えて集落も増えてきた。その頃は、まず5万年前に日本人がある程度できてくる頃にですね、もうすでに阿曽山は爆発が終わって、ちょうど磐梯山が爆発した頃に入ってきたんですかね。それでしばらく経つと姶良の大爆発がありまして。それでびっくりしたと。
しかしこれは3万年前なんで、まだ寒いんですね。日本はほぼ氷に覆われてる。現在の北海道よりかは、少し寒い。日本全土がですね。ですからちょっと生きにくいですね。それで北のほうに行って、シベリアに行ったという風な遺伝子の流れもあるんですけど、これもやっぱり北海道が今より寒くて、氷ばっか張ってたんでちょっと生きにくかったでしょうね。
そういう中で徐々に暖かくなってきて、2万年前に相当暖かくなってきた。それまでにすでに黒曜石なんかを取りに、島のほうに行くという海洋技術もあった。徐々に暖かくなって海水面が上がってきて、大陸棚に魚が増えてくる。それから木々も、亜寒帯の針葉樹が、徐々に温帯性の実のなる木が多くなってくるということで。全て日本人が日本列島に住むというのが非常に良い時代になってまいりますね。
従ってこの頃に日本列島に日本人が住むということが、だんだん普通になってきたと思うんですね。その頃周辺の国っていうと、北のほうはまだ寒くて北海道以北にはあまり人がいなかったでしょうね。台湾、フィリピン、インドネシア、この辺は日本人がかつて3万年くらい前に通った跡ですから、徐々に徐々に発達してきたという風に考えられます。そこで南の方から稲作の技術が日本に来たというふうに、遺伝子的には考えられますね。2つの系統があって、中国の南部に行ったものと、日本に来たものが稲作としてはあるんですけども、まあまあトントンだと思います。それから現在のように米がですね、完全な主食になるのは、ちょっと後の方なんですね。やっぱり雑穀といいまして粟、ひえ、麦、ここら辺と米を多様しておりまして、米はもちろん一番技術が発達すれば効率がいいんですね。だいたい米1粒当たり120粒から140粒ぐらいできるんですね(注:ネットでは500粒の数字が得られました)。ところが麦っていうのはだいたい20から40くらいですから、麦に比べて米を栽培する方がずっとずっといい。
それで、その頃は気がつかなかったでしょうけども、中国の方から毎年1回黄砂がやってくるわけですね。
日本列島の陸の上ではお米が連続的に取れる、もしくは野菜が連続的に取れる、もしくは野生のものが豊富に獲れる、かつ海の方ではですね、海の水の中に二酸化炭素が溶けて、今でいう温暖化ガスですけど、それでそれを植物性プランクトンが食べて、光合成で炭素を作っていくわけですから、どうしても酸性になりがちなんですね。CO2が水に吸収されますと、H2CO3になりますので、これは酸ですからね、炭酸ですから、どうしても酸性になりがちだ。しかし生物は全部CO2から炭素をとって、自分の肉を作るわけです。最近全く温暖化で別のことを言ってるんで。ちょっとそのように聞くと頭の中がおかしいと思われますけれども、中学校の頃に習った光合成を思い出せばいいと思いますね。
◆PR◆完全個室のプライベートジムRIZAP
それでどうしても酸性になりがちなそこのところに、黄砂が飛んでくる。これはゴビ砂漠の方から、偏西風に乗って春に飛んでくる細かい弱アルカリ性の鉱物ですね。ですから地球全体は常に中和されているんですけども、主には空気中にあるCO2、これは地球ができたときは95%もありましたから、地球全体が酸性になろうとするんですね。ところが酸性になったら陸地にはですね、アルカリ性の鉱物がありますので、これが溶け出したりして常に中和される。これが地球全体のペーハーの調整なんですね。
これが日本の場合はですね、非常に偶然に偏西風が吹いてくる。弱アルカリ性の鉱物が微粉になって日本列島に飛んでいきますので、日本の大地も1年にいっぺん中和され、日本の近海の海も1年にいっぺん中和されるって事になるわけですね。
それで2万年ぐらいで温かくなってくる、そして植物とか動物の生育もよくなってくる、黄砂は毎年降ってくる、それから大きな火山は、3万年前に姶良火山が爆発してからもうしばらく静かになってますので、日本列島は非常に住みやすい状態になったわけですね。気温は今よりか若干高い。今は大騒ぎしてますが、今の状態が温暖化したよりか、少し高いというぐらいの気温の状態です。その気温がピークで、それから徐々に気温は下がっていってるっていうのが、地質学的な見解で、今政治的に温暖化の問題があって、皆さんこれを理解するのがなかなか大変だと思いますが、あくまでも学問ベースで言えばですね、まあそういうことになる。
そこで今から1万8千年前としましょうか、一応これで整いましたので、稲はできる、土器もできる。海洋に船を出して漕ぎ出していく技術もある。その頃に着物もあり、あったかくなってきた。(すでに4万年、5万年前の寒い時代に石器時代の遺跡がほとんど関東地方に集中してますので、関東地方までは十分に住めたということですが)徐々に徐々に関東地方から、北の方に進出していきますね。
それが青森の三内丸山遺跡なんかになりましてね。それで本州全体が活用されるようになってきます。山はですね、針葉樹林から広葉樹林が増えて、どんぐりだとか栗とか、そういったものがずいぶん実りますので、それを直接的に人間が食べることもできるし、またそれらをイノシシとかシカが食べて、その肉をまた人間が取るということもできるようになります。三内丸山遺跡なんかの出土状況を見ますとですね、農業を少しやりながら、自然に入るものを取る、それからどんぐりとか栗も取る、それからイノシシとか鹿も取るというような形になっておりますので、自然が8割ぐらいだったと思うんですね。人工的に栽培したものが2割ぐらいということで、比較的住みやすかったなって感じがしますね。現在では、そこはすごい寒くてですね、冬にはもう雪が常に舞い散る、もしくは積もるという状態ですが、三内丸山遺跡の状態を見ますとね、寒いという防寒的な備えはしておりません。少し寒かったかな、ってくらいなんで、日本全体は、縄文時代っていうのは比較的暖かい時代、現在よりか2度ぐらい平均して高かったという風に考えられます。
そういった気温の中で、いよいよ日本人がですね、日本列島に悠々と住んでいけると。おそらく日本列島の、食料とかいろんなものの生産能力が、水はもう豊富にありますしね、それから少し高台で安全なところに住んでいれば、特に自然災害のこともたいしたことない。姶良火山の爆発以来は、大きな自然災害はなかった。たまにちょっとした地震があるぐらいということで、むしろ縄文時代、弥生時代には今の日本よりか、のんびりとしたいいところで、幸福感を味わって生活したんじゃないかと思います。この縄文時代、弥生時代の日本の集落の想像図というのが結構描かれておりますが、いずれも非常に穏やかな気候の中で、戦争なんかほとんどなく済んだと思うんですね。これは日本列島に住んでいる民族は、比較的好戦的ではないんですよ。戦争少ないんですね。アイヌなんかに見られますが、最近アイヌのことですごくあの神経を尖らしている人がいるんですけど、アイヌっていうのは歴史的に見れば、戦争の少ない穏やかな民族でした。日本人ともちろん同じ系統の民族なんです。そういうことで、日本がだいたい1万8千年前から1万6千年前にかけて、日本列島らしい島になったということが言えるのではないか。これで西暦の0年を迎えますので、そこから歴史時代に入ってくる。少し早いかもしれません。もしかしたら400年ぐらい前から入っているかもしれませんが、それは今後の色々な調査によって分かる。特に、海水面が低かったものですからね。低い時の遺跡は、まだ海底に沈んでいるので、調査が十分ではないということを見ると、だいたい4、500年ぐらいの誤差で議論をした方がいいんじゃないかというふうに思います。
武田邦彦 ヒバリクラブ
【武田邦彦のブログ】2022年7月21日 シリーズ「日本」日本のルーツD
https://youtu.be/njjulrXMdDg
◆PR◆この秋、ライザップで変わりませんか?
結果が出るその理由は、
・1日50分、週に2回の無理のないトレーニング
・専属トレーナーによるマンツーマントレーニングなので、続けられる
・トレーナーが食生活やメンタルをマネージメント
・無理な食事制限なし。食べられるダイエット
・健康的に痩せ、理想のカラダを手に入れられる
・リバウンドしにくい体づくり
・完全個室だから、コロナ対策も万全
結果にコミットプライベートジムRIZAP
30日間無条件全額返金保証があるので、まずは無料カウンセリングから始めてみませんか?
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11604699
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック