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2022年09月24日

古代の日本の景色

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だいたい5万年ぐらい前に、日本列島にはかなりの人が住んでいて、石器時代と言われる文化であった。その時に、日本列島はどうだったか。昔はですね、大陸と陸続きと言われておりましたが、どうもですね、対馬海峡もあったようだし、それから宗谷の方にも海があったようで、従来から言われてた日本海は湖であるとか、日本列島がこの10万年ぐらい前には、大陸と続いてたというのはですね、大陸と続いてないと人が移って来ないからっていう、そういう前提で、錯覚を起こしてたような感じがしますね。この頃の研究を見ますと、その頃でもやっぱり海峡はあったようで、日本は島国だったかも知れません。

しかしそれは大したことではないんですね。っていうのは、10万年くらい前って言いますとね、すごく寒い時代なんですよ。現在は地球温暖化かなんかの政治的な問題でですね、こういった問題が、学問的に話しにくいんですけれども、現在の地球というのはですね、大体ここ100万年ぐらいですね、13万年から14万年の周期で氷期がだいたいそのほとんどで、1万年から2万年ぐらい間氷期、氷期がほとんどで、間氷期が1万年から2万年ぐらい、っていうのが繰り返されてるんですね。それで今から14万年くらい前にネアンデルタール人が活躍した間氷期がありまして、それからまたグーッと寒くなりましてね。ちょうど日本人が日本に移ってきた頃の5万年くらい前はですね、大変に寒い時期なんですね。氷がほとんど張っていた時期じゃないかと思うんですね。私がどうも大陸から移って来たには、時期が悪いんじゃないかなと最初思ってたんですね。それで考古学とか人類学の先生方が気象変動についてどのくらい知識がお有りだったか分からないんですけども、ちょっとそういう記述がないんですね。私はその当時ですね、チベットから例えばシルクロードみたいなところを渡ってですね、中国を横断して日本に来るって事はまず無理だったんじゃないかと思うんです、寒くて。ですから南の方を回ってきたんだろうというふうに思ってはいるんですが。

日本列島が一応独立してて、火山としてはですね、9万年ぐらい前に阿蘇山が大噴火して、今見るカルデラができてるわけで、ドカーンと全部山が飛んじゃったわけですから、大噴火ですね。それから5万年前、それよりか少しは規模が小さいんですが、磐梯山がドカーンと噴火して、今はカルデラしか残ってないわけで、今見える磐梯山ていうのはその小さい磐梯山なんですね。3万年前になると鹿児島湾の姶良(あいら)火山(姶良カルデラ)。あそこは火山だったんですけど、ドカーンと噴火して、穴ぼこができて、それが今は鹿児島湾になっちゃってるわけですね。今鹿児島湾の端にある桜島って言う火山は、その名残みたいなもんなんですね。これが3万年くらい前で、だいたいこの火砕流で熊本の南から宮崎の中間くらいまでは全部が死んだと言われておりまして、火山灰はもう日本全土に降ったという大きな火山ですね。その後は富士山とか浅間山といってですね、まあかなり大きな噴火はあったけれども、でかいカルデラができるようなそういう噴火はなかったわけです。そういう点ではまず、日本列島を頭に思い浮かべますとね、まあ今よりかは若干海が低いので、寒いから低いんですね。寒いから海の海面が低いので、浅瀬みたいなものもあったんですが、一応大陸から独立して日本列島があり、そこで時々9万年前に阿蘇山がボカーンといき、5万年前に磐梯山がボカーンといきですね、3万年前にもっと巨大な姶良火山がダーンといって、今は火山の跡は見る影もなくて、鹿児島湾になっちゃってるっていう、そういう時代だったわけです。

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それで生物は、どちらかと言うと寒かったんで、2万年前まで寒かったんですね。ですから5万年前に日本人が比較的集団として住み着いたとしますと、それから3万年の間ですね、5万年から3万年、2万年前の間は、日本は非常に寒くて亜寒帯だったと考えられるんですね。亜寒帯ですから今のヨーロッパの北のほうですね。黒潮が流れるところはある程度暖かいんですけども、それ以外はあまり住めないということで、おそらく石器時代の遺跡が関東あたりで多く見られるということはですね、かなり寒かったんで、瀬戸内海とか関東ぐらいまでしか人は住めなかったんじゃないかと思うんですね。それでドカーンといって時々火山が噴火する。最後の姶良火山が3万年前なんで、その頃はですね、亜寒帯性の針葉樹林だったでしょうね。だから風景としては、現在の北欧みたいな風景が広がっていた。今みたいな、温帯性のいろんなブナとか栗とかそういった木が生えてるんじゃなくて、どちらかと言ったら針葉樹林的なものが生えていたと。だから今より植物の木の種ですね、栗とかどんぐりといったものは、ほとんどあまり採れなかったような気がするんですね。どんぐりなんか採れないと、やはりこれは木の実ばかりじゃなくて、木の実を食べるイノシシだとかそういうものもいないので、割合と貧弱な収穫物だったような感じですんですね。そういう点でまぁ住んでる人も、それほど増えない。

ところが2万年ぐらいになりますと急激に暖かくなっております。これはもう暖かくなると、急激にあったかくなるんですね。ただ途中で3回ほどですね、ぐぐっとこう、反動的に寒くなる時期がありまして、例えばヤンガードライアス、ドリアスとも言うんですけど、ずーっとあったかくなっている途中にに、ドカーンとこう一時寒くなるところもあったんですが、それは研究がいろいろ行われていて非常に面白いんですけれども、それもありながら、かつそれを克服して2万年前になりますと、もう温暖化が定着してですね。それが一番今のところ、あったかかったんですよ。今、温暖化って言ってますけども、通常の気候変動の論文をちゃんと読みますとね、今の温暖化ってのは政治的ですから、ちょっとあまり当てにできないんですけども。1万何千年前に一番あったかくなって、それから徐々に徐々に気温は下がってきているって感じですね。その時に神話レベルではノアの箱舟、つまり雨がザーッと降りますからね、あったかくなって。それで洪水になったり。インドあたりにもなんか知らないけど、そういった温暖化洪水伝説っていっぱいあるんですね。聖書でも急に氷が溶けて森ができ、鳥がさえずりだして、エデンの東ができた、というようなことが書かれておりまして、そういう神話が世界各国にあるんですね。だいたい1万8千年とか1万5千年前くらいにできたというふうに思いますね。

それでそれから徐々に徐々に人間が多く住むようになって、いよいよ今から1万2千年前、紀元前1万年から紀元前8000年ぐらいになりますと、かなり大きな都市と言いますか、人間の集合体ができるということですね。これは世界的にそうなんですが、日本もそうだったわけですね。いよいよ縄文時代に入り、稲作も始まり、今まで稲作っていうのは、中国の方から弥生時代に移ってきたっていう、まあ間違ってたわけですが、現在では稲のDNA鑑定なんか盛んに行われて、中国から来たんではないと、南の方からどうも稲の原種が来たようなんですが、それで日本がかなり早く、中国よりかは気温が温暖だったから、日本の方が稲が早かったかも知れません。まあ日本の方が緯度が高いんで、中国の南のほうですね、ベトナムに近いところの方が早かったかもしれませんが、どっちが早くてもいいんですけども。稲が植えられるようになったと。そうしますと食料はかなり充実しますので、もうすごく文明が発達すると、人も増えてくるってことになりますね。

まとめますと、まあ10万年ぐらい前から日本列島があって、9万年前阿曽山、5万年前磐梯山、3万年前に姶良火山と、ドカドカっていってですね、その中にかなり寒かったもんですから、亜寒帯の植物が生えて、あまりどんぐりなんか採れなかった。そうこうしているうちに温暖化がものすごく進んで、ものすごい温暖化ですから、今の温暖化とはけた違いなんですが、本当に桁違いで、今の温暖化は1度とか1.5度とか言ってるんですけど、その当時の温暖化は10度とかいうような温暖化ですから、まずすっかり温暖化して、そして雨も降るようになり、温帯性の植物も生え、どんぐりも採れるようになり、稲も栽培できるになりましてね。そして今言う縄文時代が出てきたと、まあこういう風に考えられますね。

武田邦彦 ヒバリクラブ
【武田邦彦のブログ】2022年7月20日 シリーズ「日本」日本のルーツC
https://youtu.be/Zb2om06Znjo
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