2023年02月05日
豚肉を食べるという事
この頃、牛のゲップがどうのこうのっていう超くだらない、ちょっとでも計算したら、全くよく分かるという、そういう温暖化の、まあ宗教みたいな話がありましてね。その話の関連で、私に質問がありましてね。
合成牛の肉っていうのは健康にどうなんでしょうかという質問がありましたので、久しぶりに20年ぐらい前の、大学でのいろんな学生との話を思い出しましてね。
学生に出した課題は同じようなものだった。人工肉。豚肉を人工肉で作るのはいいのかっていう問題と、豚と人間と比べたらどっちが偉いんだっていう。これは学生に、こういうことを考えさせることによって、非常に浅はかな議論を先日このひばりクラブでやりましたけども、命を食べ過ぎて太ってダイエットするとか、命の取り方を多くしようとして、低カロリー食なんていう、こういったまあいわゆる錯覚ですね、こういうような人間になってはいけないので、教育課程でいろんな科学技術に関するいろんな話題が出た時に、そういう課題を学生に出して考えさせる。これは解答があるわけじゃないんですね。
学生が各々、先生が出した課題、人工豚肉、この時は人工豚肉を作るための遺伝子の操作をちょっと教えたものですから。それに関する質問と、それから豚と人間とどっちが偉いんだっていう、とんでもないような質問を、2つ投げかけました。
学生は頭が柔らかいもんですから、そのくらいの質問を容易に応じることができるんでありますけども。
ある学生が描いた絵なんですけども、なかなかよくできてるんで、その時とっておいたわけですね。
自然の力で豚を育てる。これは自然の力だ。学生が描いた表現ですね。それをこう殺害する。そしていただきますと言って食べる。豚は人間と同じ生物であるが、自由に生きる権利を剥奪され、殺される。肉としては味も形も制限があり、無駄が多い。頭の部分は食べられない、腸は捨てるとか、そういうこと言ってるわけですね。皮も食べれないということで、将来の食料不足に対応できないんじゃないかと書いてますね。
それから、科学の力で豚肉を作る。この豚肉は、僕は四角い豚っていって、これはまあハムみたいな形になっておりますが、そこのところに遺伝子調整して、栄養を入れて、豚肉製造機の中に豚肉を締めておくと、豚肉が朝出てくるっていうわけですね。
僕は直接言ったのは四角い豚っていう肉だけですね。腸もない、頭もない、足もないという、皮もないっていう豚を遺伝子的に作って、それを台所に置いとくわけですね。
原料をちょぶちょぶとこう供給してると、それが豚肉になって、それを朝主婦が切って、ジャーっと焼いて出すと。そういうやつはどうかと。こういう風な設問なんですね。
これについて学生は、バイオテクノロジーで豚肉を作ることで、豚を殺さずに済むと。また味も形も自由自在で無駄がないと、こう書いて、いただきます。将来の食糧不足に対応できると、こういうタイトルがついてます。
実は、ここのところにいろんな倫理問題というのがあるんですね。科学と倫理問題っていうのがたくさんあるんです。
実は我々はもう進化が非常に進みまして、例えば我々は米粒を食べるんですけども、それは稲がですね、空気中のCO2と太陽の光と水で光合成をして炭素を作りますね。で、この炭素を我々が食べるわけですね。炭化水素って言ってもいいし、最近の言い方では糖質って言ってもいいんですけど、そういうものを作る。それによって我々は活動するカロリーを得る。まあこういうことになるわけですね。
ですから我々はどうしても、稲の米粒を食べたりしなきゃいけません。米粒の場合は、稲が人間のために米粒を作ってくれてるので、命を取るというわけじゃなくて、その前に稲は死んでますけどね。 だけどもその意味では米粒を食べるっていうのは豚肉食べるとか、サラダを食べるなんていうよりかは、命を削ることはないんで、まあいいわけですね。
しかしこの人間に米粒を与えるために稲は、本来は来年の2月まで生きていけるのに、9月か10月には枯れてしまうんですね。自分が作った栄養を、まあ半分は人間にあげるという、そういう人間の共生生物が稲なんですけども、そういったことになるわけですね。
ですから我々はいつかその遺伝子工学を利用して、動物を殺さずに任意の肉とか野菜を食べることができれば、これは何て言いますかね、命をいただかなくて、人間が暮らしていけるということになるかもしれませんね。
その場合、命を殺しませんから、自然界で生きていけるだけの命しかできないので、これがいいのかどうか、もう一段深く考えなければいけません。
学生の場合はこのくらいで非常にいいと思いますけども、我々社会人がもう一個考えるという時は、果たして人間が動物の命、植物の命をいただかない場合に、自然界っていうのはどういう命の分布になり、それは自然の摂理の方向に向いてるのかというような難しい哲学問題にも取り組まなきゃいけないわけですが、まあとりあえず今日は合成した肉とか合成した野菜というものが、もし動植物の命に関係なく我々が食べることができて、それが我々の命を支えるということになれば、地球が始まって初めて、命をいただかなくても生きる動物というのが発生するということになるんで、これは人間の知恵の使い方としては、あるいは正しいかもしれません。まだ分かりませんけどね。こういったことを考えてみるということは、大切です。
それから豚と人間がどっちで偉いんだっていうのは、私がちょっと学生にはヒントを与えてるわけですね。
君たちは豚と同じくなれるかと、こう言ってるわけですね。誰か友達がちょっと、今日肉がどうしても食べたいから君の左腕をくれよと言ったら、はいってあげられるかと。
豚肉はいつも売っててパッと買えるけども、やっぱり豚肉はどっかで殺されてるんだよと。その時にお母さんは子供が殺されたら悲しい思いをするんじゃないのって、こういう風に言ってるわけですね。
ですから人工的なものは自分の体に悪いから、他のものは殺さなくていいということなんで、一番最初に言いました方のご質問にはですね、何とも言えませんね、と。
我々がバイオテクノロジーで作って、命を奪わない食べ物を食べられる方がいいのか、それとも牛を屠殺して、やっぱ屠殺される時の牛はあるいは痛いかもしれないし、苦しいかもしれないんですよね。
我々が死を恐れるように、牛も豚も死を恐れるかもしれない。それは分からないんですね。どのくらい恐れてるかっていうのは分かりませんが、普通に考えると、我々は自分が死ぬのが嫌だとか言ってるわけですけども、そしたら豚も牛も死ぬのは嫌かもしれません。
我々は健康に注意し天寿を全うして死ぬということがあるいはできるんですが、牛や豚は人間のために殺されるわけですよね。牛や豚ばかりじゃありません。最近また環境にいいとか言って、昆虫食とか言ってるけども、まぁ昆虫だったら何万匹も殺さなきゃいけませんよね。本当にそういう風な考え方、非常にこの短絡的な考え方が正しいのかということはですね、特に科学を志すものとしては、僕は必要だと思うんですね。
一般の人はそこまで深く考えると、レストランに行ってステーキを食べるのにちょっとこう躊躇しますからね。そこまで普段は考えないで、もうちょっとアホでいいんですけど、我々技術者の集団としては、やはり考える。そういったことが引いて言えば、原爆の製造とか、使用っていったことに対して、科学者がどのくらいの責任があるかということを考えるきっかけになるわけですね。
私は実は自分自身が肉を人に提供できないし、命も捧げられないし、まあ考えてみれば人間が万物の霊長なんて言ってるけども、そんなに偉いもんじゃないじゃないかなというふうにいつも思っております。
武田邦彦 ヒバリクラブ
日本と科学(26)「豚より偉い人はいるか?」令和5年1月26日
https://youtu.be/zHgU4YGEN4Y
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