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2020年10月15日

登呂遺跡

最初に遺跡を見たのは静岡の登呂遺跡です。相当の期間を空けて次に見たのは三内丸山遺跡です。前者は弥生時代の遺跡で、後者は縄文時代の遺跡です。

弥生時代の遺跡では吉野ケ里遺跡が「卑弥呼の居城か」ということで超有名になってしまいました。しかし、登呂遺跡の発見がきっかけで弥生考古学が始まりましたし、さらにその集落は水田とともにあるという、何か日本の原風景を彷彿とさせるほどに重要な遺跡なのです。

一方吉野ケ里遺跡は防御のための柵や濠で構成されており、風雲急を告げる時代を想像させるものです。三国志魏志倭人伝が伝えている倭國大乱と同時代の遺跡なのではと考えてしまいます。

この三遺跡は国の特別史跡に指定されています。
今では三内丸山遺跡や吉野ケ里遺跡ほどには話題の少ない登呂遺跡ですが、なぜ特別史跡に指定されているのか?

登呂遺跡が発見されたのは戦時中でしたが、本格的に発掘されたのは戦後間もないころでした。この発掘をきっかけに「日本考古学会」が発足し、また終戦直後の自信を失っていた日本人に、自分たちの原点を指し示し勇気を与えた遺跡でもあったのです。

そのような要性も理解せず、見学した当時はのほほんと見ておりました。若輩者は、寺院・仏像の類には興味を示さず、ましてや土の中に埋まっていたモノに価値を見出せませんでした。

そのうち歴史に興味を持つようになって、日本の歴史の中の縄文時代、弥生時代、古墳時代の位置づけが分かりだした頃には、すっかり焼きが回っておりました。

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