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2015年12月09日

翁文灝と石油開発

今日の中国中央テレビのドキュメンタリーチャンネルの「大後方」では、戦時中に甘粛省玉門油田を開発した一家の物語が扱われていた。戦時中は海岸沿いを日本軍が占領し海岸線の輸送を封鎖したため、中国では石油不足に陥り自動車も飛行機も石油が無くて動かせない状態に陥った。そこでビルマルートを使って陸路で石油を運ぶ方法と、石油の中国国内での開発が試みられた。中国国内で石油開発を始めたのが翁文灝の家族であった。

ビルマの援蒋ルートはインドのカルカッタからビルマを経由して雲南省まで運ぶというもので、人海戦術で道路を建設し戦争末期にはパイプラインまで敷いた。もう一つはスティルウェル将軍の指揮で飛行機でヒマラヤを越えて物資を運ぶというものであった。どちらも距離が長い上に日本軍のビルマ攻撃などでしばしば中断させられた。

甘粛省の玉門に油田を開発したのは翁文灝とその息子たちであった。翁文灝は清末にベルギーのルーベン大学に留学し、地質学を専攻して帰国した石油開発の専門家である。北京大学や精華大学でも教授として地質学を教え、中国の地質学の基礎を打ち立てた。
翁文灝
翁文灝の長男の翁心源はアメリカに留学してパイプラインの建設を学び、中国の玉門油田の輸送パイプラインを設計建築した。また翁文灝のいとこに当たる翁文波は英国に留学して地質学を学び、数々の油田を発見し後には黒竜江省の大慶油田を発見している。

もし満州国時代の日本が黒竜江省に大慶油田を発見できていれば、その後の歴史もかなり展開が変わっていたたであろう。

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