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2019年02月21日

2月21日は何に陽(ひ)が当たったか?

 1559年2月21日は、満州(まんしゅう。満洲。マンジュ)におこった女真族(満州民族)の国家、後金(アイシン。1616-1636)の創始者で、のちの中国王朝・(しん。1616-1912)の初代皇帝にもなった、アイシンギョロ・ヌルハチ(1559-1626)の生誕年月日です。

 ヌルハチの部族は建州女真(けんしゅうじょしん)といいました。1583年、ヌルハチは瀋陽を中心として、女真族の統一をはかって自立、女真の他部族を破って東北地方全域を統一することに成功しました。1616年、ヌルハチは推されてハン位につき(太祖。位1616-26)、統一国を"後金"としました。これが清王朝の前身です。軍事面でのヌルハチは、八旗(軍事・行政・社会組織)を編成、その構成は、黄・白・紅・藍の4色と、そのそれぞれに縁をつけた旗をもつ計8個の軍団となっており、八旗に属する旗人(きじん)は、多くの特権と土地(旗地。きち)支給が約束されました。ヌルハチの八旗制度は満州八旗と呼ばれます。満州は、女真の改称です。またヌルハチは、モンゴル文字を借りて満州文字をつくり、衰運著しい中国王朝の(みん。1368-1644)を脅かしました。そして1619年のサルホ(サルフ)の戦いで、ヌルハチの第8子ホンタイジ(1592-1643)が従軍する満州八旗軍は明朝の大軍を破り、遼東進出を決定的なものにして、1625年、遂に瀋陽を首都に置いたのです。

 1626年のヌルハチ没後はサルホで軍功をあげたホンタイジがハンに即位し、太宗となりました(位1626-43)。太宗は内モンゴルの部族チャハル部を征服したとき、そこで元朝(げん。明の前に中国を征服したモンゴル人の王朝。1271-1368)の皇室に伝えられた玉璽(ぎょくじ。天子の印のこと)を得ることができましたので、1636年に国号を後金から中国風に""と改めることになり、太宗は清朝皇帝となったのです(位1626-43)。

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