2018年12月24日
12月24日は何に陽(ひ)が当たったか?
1491年12月24日は、スペインの前身に当たるカスティーリャ王国(1035-1715)領バスク出身の修道士、イグナティウス・デ・ロヨラ(1491-1556)生誕の日です(10月23日の説もあります)。
カスティーリャの貴族軍人だったロヨラは、1521年フランスとの戦争で戦傷を負い、療養生活を強いられますが、その間仕方なくイエスや聖人の書を読みながら傷を癒やす日々が続きますが、それがもとで回心し、聖人への憧れを持つようになり、イェルサレム巡礼を行って、パリで勉学に励んだとされています。そこで同郷のフランシスコ・ザビエル(1506-52)ら6人と知り合い、彼らと共に清貧・貞潔・教皇への絶対服従を理念に修道会結成案が持ち上がり、1534年、イエズス会(ジェズイット教団。耶蘇会)は組織されたのです。1537年、ロヨラは司祭となり、1540年にはパウルス3世(位1534-49)のイエズス会としての活動の認可を受け、翌年ロヨラは総会長に就任しました。
教皇パウルス3世の時代は、ヨーロッパの旧教勢力(カトリック)が、新教勢力(プロテスタント)による宗教改革への対抗と、ローマ教皇の権威の復活を目指した反宗教改革(対抗宗教改革)を起こしていた時期で、イエズス会は海外布教、それも新天地への伝道を最も重要な活動として展開していき、ザビエルのアジア布教へと進んでいくのでした。
イグナチウス・デ・ロヨラは1556年7月31日にローマで死去し、1609年7月27日に列福され、1622年5月22日に列聖され、聖人となったのでした。
カスティーリャの貴族軍人だったロヨラは、1521年フランスとの戦争で戦傷を負い、療養生活を強いられますが、その間仕方なくイエスや聖人の書を読みながら傷を癒やす日々が続きますが、それがもとで回心し、聖人への憧れを持つようになり、イェルサレム巡礼を行って、パリで勉学に励んだとされています。そこで同郷のフランシスコ・ザビエル(1506-52)ら6人と知り合い、彼らと共に清貧・貞潔・教皇への絶対服従を理念に修道会結成案が持ち上がり、1534年、イエズス会(ジェズイット教団。耶蘇会)は組織されたのです。1537年、ロヨラは司祭となり、1540年にはパウルス3世(位1534-49)のイエズス会としての活動の認可を受け、翌年ロヨラは総会長に就任しました。
教皇パウルス3世の時代は、ヨーロッパの旧教勢力(カトリック)が、新教勢力(プロテスタント)による宗教改革への対抗と、ローマ教皇の権威の復活を目指した反宗教改革(対抗宗教改革)を起こしていた時期で、イエズス会は海外布教、それも新天地への伝道を最も重要な活動として展開していき、ザビエルのアジア布教へと進んでいくのでした。
イグナチウス・デ・ロヨラは1556年7月31日にローマで死去し、1609年7月27日に列福され、1622年5月22日に列聖され、聖人となったのでした。
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posted by ottovonmax at 00:00| 歴史