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2016年10月03日

屋号#大阪丸その(43) (大阪城*X 現在の大阪城へ)





(大阪城*X 現在の大阪城へ)




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大阪城は、(太閤はんのお城)といわれた豊臣秀吉築城時代(安土桃山時代)から、徳川家と江戸幕府による徳川大坂城(江戸時代)を経て来ました。



江戸時代にも度々火災による損傷と修復を繰り返して来たようです。




特に1660年(万治3年)には、城内の青屋門の土蔵造り・(火薬庫)焔硝蔵が、落雷により大爆発を起こしました。
貯蔵していた82tの火薬、鉛弾約43万発、火縄3万6千本が焼失しました。
天守や御殿、櫓、橋など、多数の建造物も損壊。
城外でも家屋約1500棟が倒壊、多数の家屋の屋根も破損し、幾多の死傷者も出ました。



後にこの焔硝蔵(火薬庫)を石造りに幕府は作り直しています。この火薬庫は現存しています。



また1665年(寛文5年)には落雷による天守の焼失があります。
それ以降は天守を持たない城になりました。



江戸末期には、王政復古の大号令の後、二条城から追われた徳川慶喜が居住していたこともありましたが、鳥羽・伏見の戦いで旧・幕府が倒れた為、船で江戸に退却せざる負えなくなりました。



最終的には、大阪城は新政府軍に引き渡されました。
この前後の混乱時に出火、その際、御殿、外堀四と五と七番櫓などの城内建造物が焼失しました。



その後、明治新政府は、城内敷地を陸軍用地に転用しました。
主に火砲・車両などの重兵器を生産する大阪砲兵工廠が設けられました。



〜〜〜〜〜



時は流れ、1928年(昭和3年)当時の大阪市長の天守再建含む大阪城公園整備事業提案を元に昭和天皇記念事業として整備が進められました。



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市民の募金150万円によって、天守と陸軍第4師団司令部庁舎が建設されました。
再建工事は、天守閣の基本設計を波江悌夫が担当、1930年(昭和5年)に始まり、翌年、完成しました。



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(下図は月間アーマ―モデリング Number198*2016 APRILにあたる2016年4月1日刊行の4月号・戦国ダイオラマ絵巻に掲載されている(Gege)さんの作品です。)

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(次号に続く)




























































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