2016年07月07日
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◆【ドドドドドン!MEMO】――★【森の水だより・奥羽山脈】。
なんとなく、ラベル裏側の「採水地」をみたら、うれしくなった。
採水地=花巻市大田。
ここは、高村光太郎が昭和20年から7年間(註1)、独居自炊の生活を送った小屋がある地区だ。
小屋=花巻市大田山口(現在=花巻市太田3-85-1)。
正確な採水地の場所はわからないが、花巻工場(花巻市太田29-200-1)の近くだとすれば、直線で3キロしか離れていない。
光太郎の飲んだ水を僕も飲んでいる――と思うと急に元気が出た。6((((≧▽≦))))9"
☆註1=高村光太郎・昭和20年から7年間
〈昭和20年 1945 62歳〉
4月13日、空襲によりアトリエ(駒込林町25番地)炎上。
5月に花巻町の宮沢清六方に疎開。肺炎臥床。
8月宮沢家戦災。
終戦を迎え、10月に稗貫郡大田村山口の小屋に移り、農耕自炊の生活に入る。
ここに新しい文化の創造(註2)を夢みて、詩や多くの書作品が生まれる。
〈昭和27年 1952 69歳〉
十和田国立公園功労者記念碑の彫像(乙女の像)制作を決意し帰京。(高村光太郎記念館HPより)
☆註2=新しい文化の創造
一億の号泣の碑。
昭和20年8月10日、身を寄せていた宮沢家付近一帯が空襲に遭い、花巻病院長佐藤隆房宅に転居するまでの一時、光太郎は鳥谷崎神社に近い佐藤昌宅に移りました。
15日に天皇が録音された戦争終結の布告がラジオで放送され、光太郎は神社でこの放送を聞きました。
詩はその際に佐藤昌宅で書かれたもので、のち花巻観光協会の名で石碑が鳥谷崎神社に建立されました。
〈碑文〉
われ岩手花巻町の鎮守
島谷崎神社々務所の畳に両手をつきて
天上はるかに流れ来る
玉音の低きとゞろきに五体をうめる
五体わななきてとゞめあへず
玉音ひゞき終りて又音なし
この時無声の号泣国土に起り
普天の一億ひとしく宸極に向ってひれ伏せるを知る
微臣恐惶ほとんど失語す
ただ眼を凝らしてこの事実に直接し
荀も寸豪も曖昧模糊をゆるさゞらん
鋼鉄の武器を失へる時
精神の武器おのずから強からんとす
真と美と到らざるなき我等未来の文化こそ
必ずこの号泣を母胎として其の形相を孕まん
〈碑身〉
高さ290cm 幅200cm 厚さ35cm
設置年=昭和35年9月
詩:高村光太郎(一般社団法人花巻観光協会公式サイトより)
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