2014年04月04日
★中学という時代を生きる――親に金を使わす量を増やす人を中学生とは言わない
★「始業式・式辞」は
ま、普段、自分が
思っていることや
つぶやいていることを
文字に変換させるだけだから
スイスイと書いた。
だが、最後の最後で
キーボードの手が
パタリと止まった。
次の箇所だ。
《学力日本一を実現しよう。
品格日本一を実現しよう。
「歌声が響く学校」日本一を実現しよう。》
「歌声」、「品格」、「学力」(狭義)の順番で迷った。
最初は「歌声」「品格」「学力」(狭義)の順番だった。
変だな?と思った。
トップが「歌声」というのはおかしいのではないか?
で、「歌声」を3番目に。
では、トップは「品格」か?
「学力」(狭義)か?
ま、普段、自分が
思っていることや
つぶやいていることを
文字に変換させるだけだから
スイスイと書いた。
だが、最後の最後で
キーボードの手が
パタリと止まった。
次の箇所だ。
《学力日本一を実現しよう。
品格日本一を実現しよう。
「歌声が響く学校」日本一を実現しよう。》
「歌声」、「品格」、「学力」(狭義)の順番で迷った。
最初は「歌声」「品格」「学力」(狭義)の順番だった。
変だな?と思った。
トップが「歌声」というのはおかしいのではないか?
で、「歌声」を3番目に。
では、トップは「品格」か?
「学力」(狭義)か?
本校は「学力(狭義)の形成」と「人格の形成」を一元的に捉えている。
「人格」と「品格」はもちろん異なる。
「品格」は「人格より」一段高いものだ。
でも、式辞の文脈では、「学力」(狭義)に対して「人格」&「品格」を同じグルーブのものと考えるべきだ。
だんだんはっきりしてくる。
両者の統合をめざしているとはいえ、僕らは公立中学校のプロ教師として「学力」(狭義)にこだわっている。
「学力」(狭義)の形成をとおして「品格」を形成する。
プロ教師としては、まず「学力」(狭義)だ。
とにかくとにかく、50分間の授業の積み重ねだ。
ブツブツ、ブツブツ、つぶやき、何度もコピー&ペーストをくりかえし、やっと順番が決まる。
@「学力」(狭義)。
A「品格」。
B「歌声」。
★〈始業式・式辞〉――【中学という時代を生きる】
昨年度の1年間、毎日、毎日、生活していた教室を離れる。
いっしょにいた友と離れる。
先生と離れる。
転校という大きな変化があった人もいます。
自分とつながっていたものから離れて、ポツンと「ひとり」になる。
この時期は、独特の雰囲気があります。
さびしいといえば、さびしい……。
さっぱりしたといえば、ま、さっぱりした……(*^_^*)。
自分が別の自分になったような……感じ。
わたしは、こういう今のみなさんの「感覚」を大切にしてほしいと思います。
ひとりになることによって、これまであまりに意識しかなった【自分の今の姿】【心のカタチ】が、鮮明に見えるようになる。
あるいはまた、これまでの自分の一歩一歩が、夜、雷がピカッと光ったとき、パァ〜ッと風景のすべてが見えるように、【自分の足跡】が見える。
今の自分の【心のカタチ】と、【自分の足跡】を点検しながら、大切にしながら、今年度の1学期、新しい一歩を踏み出しましょう。
★改めて、新2年生への進級、おめでとう。
新3年生への進級、おめでとう。
ここに、こうしている、みなさんで、力をあわせて――
「サムライ中生でよかった」
「サムライ中生であることを誇りに思う」
と、心から思える――
わたしもそうです、「サムライ中の教職員であることを誇りに思う」
と、心から思える、よい学校にしていきましょう。
よい学校というのは、「在る」ものではありません。
あちこちに、ころがっているものではありません。
先輩たちから、しっかりと受け継ぎ、それを1oでも0.1oでもよくして、それをしっかりと伝えていくという、【ギリギリの努力】をして、いい学校を創り出していくのです。
こういう意味で、新2年生、新3年生の役割は大きい。
★きょうの始業式にあたり、【上級生】として心がけてほしいことを1点、そして、【中学という時代を生きる人間】として忘れないでほしいことを1点、お話しします。
まず、【上級生】として。
いばる上級生にならないでほしい。
いばる上級生ほど、みっともないものはない。
下級生がいばるのは、かまわない。
いい学校や、いいチームは、下級生がいばっています。
上級生は、絶対にいばりません。
わたしが、ず〜っと、大切にしている、ひとつのエピソードがあります。
明治大学の野球部の話です。
もう今はお亡くなりになりましたが、有名な監督がいました。
島岡監督。
37年間、明治大学の監督をしました。
明治大学の野球部は、全員、寮で合宿しています。
その寮を島岡寮といいます。
この寮のトイレ掃除は、だれがやるか?
島岡寮では、最上級生がやることになっています。
大学ですから、1年生、2年生、3年生、4年生がいる、その4年生がトイレ掃除する。
それも、キャプテンが先頭になって、責任をもってやる。
楽天の監督・星野仙一さんも、明治大学の野球部出身で、キャプテンでしたから、毎日、毎日、トイレ掃除をしたそうです。
今のようなトイレではないから、たいへんだったそうです。
そのトイレを素手で、ピカピカに磨きあげたそうです。
いやなことは、下級生にやらせない。
いやなことは、「わたしたちがやるよ」という、やさしくて力持ちの上級生になってほしい。
★次に【中学という時代を生きる人間】として、忘れないでほしいこと。
これはなんどもなんども言ってきたことなのですが、中学という時代は、どういう時代かというと、いろいろあるけれども、いちばん大切なのは、親の保護、親べったりから、【人生、独立】に向けて、一歩一歩踏み出していく時期です。
では、独立に向けて一歩一歩踏み出すとは、具体的にどういうことか?
「お父さん、あるいは、お母さん、ここまで育ててくれてほんとうにありがとう。」
「まだまだ心配をかけるけれども、これからは自分でやれることは自分でやり、お父さん、あるいは、お母さんにかける心配の量を減らし、悲しませる量を減らします。」
「また、もう中学生だから、お金を使わせる量も減らしていきます。」
「そして、なりたい自分をめざして、いっしょうけんめいに、がんばります」
と、いうことなんですよ。
これが、独立に向けての一歩です。
一歩一歩です。
だから、逆に、親に心配をかける量を増やしている人を、中学生とは言わない。
親を悲しませる量を増やしている人を、中学生とは言わない。
お金を使わせる量を増やしている人を、中学生とは言わない。
悲しませる量を増やしているという人は、わたしのところに来なさい。
叱るのではありません。
わたしも、あなたといっしょになって考えたいと思っています。
ぜひ、来なさい。
新しい年度の1学期、サムライ中生、ひとりひとりが、真に独立に向けて一歩一歩、踏み出してくれることを強く期待します。
最後になりますが、【学力日本一】を実現しよう。
【品格日本一】を実現しよう。
【歌声が響く学校、日本一】を実現しよう。
そして、大いに読書しよう。
月、火、水、木、金、5回の昼休みのうち、1回でもいいから、図書室に行って、いっしょに本を読みましょう。
本を読まないで中学を卒業することになってしまったら、たいへんだ……と、わたしの願いを述べ、式辞とします。(始業式式辞、以上)
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