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2014年05月02日

自己イメージは他者からの洗脳によって作られているから…

自己イメージとは、他人の目に自分がどのように映っているかということをその人が思い描いているイメージ。

これは、自分がそう思うだけでなく、他人からもそう思われているはず…という「私はこういう人間だ」という自分像。

そもそも、この人間像って、自分から生まれたもの?



おそらく、多くの人は違うのでは?



外部からの情報を認識し、それを受け入れることによって生じたブリーフ。

つまり、自分に関係するさまざまな情報(他人の評価、うわさなどなど)を吸収。それを受け入れて、自分で評価と判断を加えて、「私はこういう人間だ」と確信につなげる。

過去出会った人達が、勝手に発している相手へのたわいない評価などを肯定して受けとめっちゃった結果が、自己イメージへ。実は、自己イメージって、自分で作り上げたオリジナルなものではなく、元々外部のもの。



本当は、自己イメージを自分で書き換えることができる。




要するに、他人の評価や批評からの脱却。

自己イメージを自分で作りかえるということは、他人から押し付けられた自画像からの脱却なのです。


そして、夢をかなえるには…
他者やマスコミなどが発している言葉からの脱却。ある意味、脳はそんな言葉達から洗脳されている状態にあるので、それからの脱却?自由になること。


おかしいなぁ〜が普通にはびこる組織では、おかしいが普通になっている。
このめちゃくちゃおかしい現実を普通にしていることがおかしいんだけど…ってね。
おかしい話が通用しまくりの根底にあることは、普通と思っていることが違うってこと。


生活水準によって普通が違う。


もし、経済的な状況で話をするのなら…

経済的な貧しい状態が「普通」の基準で話があっている状況に合わせた判断をしていると、貧しくしかならないし、なれない。

だから、どんなに貧しい状態が「普通」になっている状況に所属しても、それに染まらないで…むしろ自分に染めるくらいに努めないと低い水準が普通の人達は高い水準に移行しない。


経済的に貧しい水準…
それは
カモの状態だと思います。


カモを辞めないと、いつまで経っても貧しているよね。



自己イメージを自分で作りかえる…と言っても、周囲の発している「普通」がおかしいと、合わせてしまいがち。
ただ、おかしいにあわせると負のスパイラルにはまるしかない。



いいなぁ〜
こうなりたいなぁ〜
をイメージできるようになる。

具体的にいいなぁ〜を思い描けないと、そうなれない。


社長の奥さんになりたいという女性に出会って、どうして?って、尋ねたら、お金がほしいって。


私の中の社長夫人イメージは、あまりお金にゆとりがあるイメージではなかった。
だから、聞いていて魅力的ではなかった。


だから、ふーん…。
聞き流した。
だけど、社長夫人イメージをよくしてみると、魅力的かもしれない。


私の中では社長だからお金持ちというイメージがない。


類友法則…って、得たいものをイメージしてそれに集まる人達がいいかなぁ…と思いますね。


人生を楽しんでいて、生活を充実させていて、経済的にも満足が行く状態。
そんなイメージで思い描ける人生とは?
なんて感じで、豊かさイメージを具体的にしていくと、それに類した話が寄ってくると思うのです。


社長って、むちゃくちゃ大変だと思います。
社員に給料をあげる為に、どうしたらいいのか?って努めている顔も持った人。
思い描くイメージが違うと、いいなぁ〜と思えないかもしれないですよね。


では…社長が望む相手像は?なんて、社長の奥さんになりたい〜って言っている人は想像ついているのかしらって思うのです。ただ言っているだけ…ではなれない。


シンデレラ物語のように、ある日突然、お金持ちに?…なんて話はこれからの社会ではないって言われる話もありますね。


なぜって?
お金を持っている人が求める志向があるから。

昔はある意味みんな貧しかった日本。だから、貧しさが普通。武士だって、お金がない…けど、精神性だけで保っていたステイタス?があったりして、経済指標だけでは文化素養や生活基準は分からなかった。
実は今でもそういう側面はあると思います。

だけどね、現在は経済的な状況が、生活基盤や文化素養などに大きく影響している。
だから、シンデレラ物語はないとか言われている。


私は、シンデレラは完全に元々貧しい家庭の子どもではなかったという点があると思います。継母が出てくるまでは、父親が亡くなったのかな?それまでは貧しくない生活での価値水準を身につけていた人。貧しくない生活での価値水準とは何か?
それは、他人に与えることを厭わないということ。
惜しみなく提供できるか?ってこと。

自分に対してのお金のかけ方で、その人の志向性ってわかりますよね。

スキルや実力を高めるためにお金を使うと、それを使うことで他者へ提供できる価値が増える。
決してそれ自体が見た目の華やかさや豊かさ、美しさにも与えるものはないかもしれない。だけど、できることは増える。よって得られるものが増えることは多いかな?

その一方で、見た目を高めるためにお金を使う。自己投資には変わりない。流行の服を着る。エステに通う…これも得られるものは多い?ただし、こちらは、その得た見た目をどう使うか?が大事かなぁ〜。ある意味、イメージ作りの一つであるし、これはある意味では省いても生きてはいけるもの。


前者あっての後者のはず…が、前者あって後者も磨いている人を見て、多くの人が見た目だけを評価し受け入れてその表面的に取り入れようとする…。
本当に残念なことだけど、それがカモ状態だと思います。


カモ状態の人の発言は分かりやすい。
だから、「あ〜カモだ!」って思える人を社長が奥さんにするか?ってね。

一緒に努力して…あるとき社長の奥さんというパターンもある。というか、こちらが多いのでは?って思いますね。


人は見た目の華やかさだけで判断して、その見た目の華やかさの影の苦労を見ない。



見た目に華やかに思えるほどの背景にある努力を怠って…表のものだけ取り入れようとしているって、ある意味振り回されている人。


おかしいなぁ〜はその人の基準によって評価を変えるんだけど、大きく脱却して「普通」を見直すことが必要かもよ。

普通と思っていることを疑ってみないとよくならない。



学ぶにはいいけど…って、こんな酷い話が通用する世界があるもんだなぁ〜と驚くというか、ありえなさ過ぎるくらいに価値が違う世界をお互い様に評価しあっていると思いますね。



自分の普通を疑ってみるって大事だなぁ〜と思うのでした。
posted by nova at 06:20 | TrackBack(0) | ルール

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