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2016年12月01日

日本三大そばの「戸隠そば」って知っますか?

戸隠そば.jpg

長野・信州の名物と言えば「信州そば」です。
「信州そば」は、長野県で作られるそばのすべての総称です。長野県信州そば協同組合(長野県内業者21社で構成)は、組合に申請のある製品に対して、そば粉を40%以上配合した良質の干しそばを商標登録した信州そばとして認定してロゴマーク使用の許可をするとしてます。
trade_mark.png

蕎麦には、「生そば」と「干しそば」がありますが、「干しそば」の歴史について少しお話します。
乾しそば(乾麺)は、今から百数十年前の明治時代に長野市で誕生した。大和屋本店、塩入三代吉氏によって創作された「生そば」の乾燥製品です。
大正4年(1915年)12月宮内省から塩入三代吉氏への賞状には「干蕎麦」 壱箱 右 御即位奉祝の為献納の段 御満足に思し召され候事」と記されています。
手打ちそばを初めて試みた人は、そば粉と小麦粉が半々の割合でも、「そば」にならないことを経験した方も多々あると思うが、そういう生そばを単に乾燥させれば、バラバラにほぐれた品物になろうことは、安易に理解できます。
当時、九州方面で仕様されていた製麺機を利用して、常識破りの製品創作に挑んだ塩入氏の知的開発努力と成果が今改めて見直されています。大和屋を真似て乾しそば製造に乗り出した長野市周辺の後発業者に対して、二代目塩入正三郎氏は製造技術を惜しみなく伝授していきました。
現在(平成21年)の長野県の乾そば生産量は、
全国生産量49,965トン
長野県生産量19,875トン(39.8%)
2位の山形県(9.4%)を大きく引き離しています。
そば粉の配合比率も長野県(34.5%)で、そば粉の割合の高いそばを製造出荷しています。
                                  長野県信州そば協同組合HPより
http://www.ngn.janis.or.jp/~shokuhin/Buckwheat/index.html



また、蕎麦と言われて食べられている麺線状のそば(そば切り)も信州から始まったといわれています。
昔は、団子状の「そばがき」や「すいとん」、薄く焼いた「お焼き」などとして食べられていたました。
そば切りの最古の記録は天正2年(1574年)、信州木曽にある定勝寺の記録にみられ(落成祝いにそば切りを振る舞ったというもの)、その発祥は戦国時代以前にさかのぼるとも言われています。
伝統的には山間の救荒食であった蕎麦だが、そば切りに関してはもともとハレの日のごちそうという性格が強く、江戸時代中期以降、手軽な食べ方として江戸に伝わり、屋台でのファストフードとして江戸の庶民に愛され、嗜好品として花開いき、やがて日本中に広がりました。

soba3_l.jpg


また、江戸時代に幕府の命令によって大名の国替えが行われた際に、信州のそば職人達を連れて行ったことから、各地に有名なそば処が誕生しました。
特に知られているのが、島根県出雲地方『出雲そば』、兵庫県豊岡市『出石そば』、福島県会津地方『会津そば』で、これらはいずれも信州の大名の国替えで伝えられたそばです。
その他にも、越前そばや、京都のにしんそばなど各地にいろいろなご当地そばがありますが、そのルーツも元をたどれば信州にあるということになります。
その蕎麦のル−ツの「信州そば」なかでも島根県・出雲そば、岩手県・わんこそばと共に、日本三大そばの一つに数えられるのが「戸隠そば」です。



menu_pic01.jpgわんこそば」
岩手県盛岡市

「わんこ」とは岩手の方言でお椀のことです。td>



330px-Izumosoba33.jpg「出雲そば」
鳥取県出雲地方

「割子そば」と「釜揚げそば」があります。td>
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