しかし、『千と千尋(ちひろ)の神隠し』やけど、
いきなりすか、
なんどか観るにつれて、だんだん怖くなってきた音の錯覚があって…暗いトンネルで耳にする電車の音なんやけど、
映画も最初のほうのシーンすね、神隠しにあう直前というか、むしろ直後というべきかもしれませんが、
山あいのニュータウンに引っ越すシーンで、クルマが道に迷いこむんやけど、
その道はすぐ行き止まりになってて、そこから先はクルマを降りて、家族三人でちょっと不気味な小さいトンネルを、おそるおそる歩いていくんすね、
そのとき聞こえてくる電車の音でみんなホッとするんやけど、その音はすでにこの世のものじゃ無いわけで、この瞬間、三人が三人とも気づかぬまま神隠しにあってて、あの世とこの世を完全に取り違えて、どんどん先へ進んでしまうという、
暗い静かなトンネルの中で電車の音を聞いたもんだから全員ホッとして、さらに奥へ進んでしまう・・・思い込みの怖さってやつですね、
この話でふと思い出すのは、やはり山の中の出来事なんやけど、今でも不思議というか、
このまま走って行けば確実に真っ暗闇(まっくらやみ)になることが分かってるのに、マウンテンバイクで吸い寄せられるように山の奥へ奥へ突き進んでいったあの体験すね・・・いま思い出しても異様な感じがしますが、
嵐山に住んでたころ、一時期とりつかれたように裏山の山道をマウンテンバイクで走り回ることがあって、その日もバイト上がりに苔寺(こけでら)や鈴虫寺といったにぎやかな観光名所の奥に細長く伸びる無人の林道へ入って行って…しかし、時刻はすでに午後4時を回っていて、
秋もだいぶ深まった11月、こんな時間帯に林道に入ったら、すぐ暗くなって走れなくなるのに、
不思議とそのときは時刻のことなんかまったく気にならず、いつも通りマウンテンバイクでえっちらおっちら坂を登り始めたんや、
この林道がまた最初の30〜40分は単調極まる景色なんすね、ジャリで走りづらくしかもかなりな登り坂で、
行けども行けども同じ景色が続くんで、先へ進んでる感覚がなくなるほど、
この時点で、自分の行動がおかしいとか気づけなかったんすか、
何度も走ってるお気に入りのコースなんで、常識的に考えたら、真っ暗闇の山ん中へ入って行くことはハッキリしてるんやけど、なぜかその日はウキウキした気分しか無くて、たぶんその時点から、どこか感覚が狂い始めてるんや、
じゃあ、真っ暗になって、ようやく自分のミスに気づいたと、
20年も昔のことなんで、細部まではハッキリせえへんけど、暗闇がどんどん深くなって、しかもだいぶ林道の奥まで進んでるんで、ここから来た道を引き返そうか、それともいつも通りのコースを先へ進もうか、2つの選択肢があったんやけど、なぜかより危険な後者を選んでしまい、
ここの判断も明らかにおかしいすね、
このコースは大きくふたつのパートに分かれていて、前半は林業のトラックが走れるほどの広い安全な道幅、後半はマウンテンバイクをかついで歩くほど細くて険しい道、
前半の広い道はどこまで続いてるんすか、
最初は単調な登り道が続いて、途中からジャリの路面もスムーズな赤土に変わって、遠くの山々まで見晴らせる素晴らしい道になり、最後は嵯峨野トロッコ電車、保津峡(ほづきょう)駅の裏山の頂上付近で行き止まりに、
ここから苔寺・鈴虫寺方面へ引き返すなら、路面も比較的安定してる上にゆるいカーブの下り道ばかりなんで、かなり暗くなってもより安全かつ短時間に引き返せる・・・ところが、なにを思ったのか、引き返すことをせず、より危険な後半のルートへ入り込んでしまうと、
ここから渡月橋の近くに降りていくコース後半は、肩幅ほどの道幅ばかりで高低差も激しく、路肩が崩れていたり、木の根っこにタイヤを取られたり、前半の何倍も危険なことは分かりきっていたんやけど、
なのに、不思議と引き返すことなど考えもしなかったと、
『千と千尋の神隠し』で家族3人が、あの世へどんどん吸い込まれていくように、あの時は、あともどりするなんて気持ちはこれっぽっちも無く、今から思えばあきらかに異様な行動なんやけど、当時はまったくそんな自分に気づくこともできず…山で遭難する典型的なパターンや、
しかし、ようひとりで行ったもんすね・・・もし踏み外してガケから転落したり大ケガで動けなくなったら、携帯電話も無いし、そのまま野垂(のた)れ死にする危険性も、
今から思うとゾッとするけど、当時はまったく平気で、むしろ1人で走りたいくらいで、
じゃあ、暗闇になってきてもそれほど怖さを感じることもなく、
いや、それは恐ろしかった・・・ただ心霊現象の恐怖というより、ライトもなく転落危険エリアもけっこうある細道をマウンテンバイクで走ることの恐怖で、とにかくここで事故ったら終わりやと自分に言い聞かせながら、できるだけゆっくり走り、ちょっと危険なポイントはすべて慎重に降りて歩いて、いつもより何倍も時間をかけて、ゆっくりゆっくり手探りで進んでいくという、
じゃあ、そのときふと聞こえてきた人々の声は幻聴ではなく、
そうなったらそのままあの世行き確定やけど、さいわいその声は渡月橋を歩く観光客のそれだったんで・・・ただ最後の危険エリアは、猿で有名な岩田山を左に見ながら、かなり滑りやすい斜面をマウンテンバイクかつぎながら歩いて降りるんで、人里まであとわずかという最後のシーンが実はいちばんきつかったりして、
この頃はもう、完全に日も沈んで真っ暗闇すね、
なもんで、頭上の木々が途切れると月明かりが地面をハッキリ照らし出してくれて、月に光がこんなにありがたいと感じたのはこの時が初めて、
けっきょくこの勘違いって何だったんすか・・・後(あと)にも先にもこんな経験は一度きりですが、
これと同じころ、大きな霊園を抜けて山道に入って行ったら、その夜、その霊園からお墓のセールスの電話がかかってきてゾッとしたことがあったけど、やっぱり山の主(ぬし)というか、そういう霊的な存在が自分の動きをずっと見ていて、ちょっと、いたずらしたくなったんかなあ、
そういえば嵐山のアパートで深夜マージャンしてたら、
あったなあ、心霊現象がリアルに見える友人がいて、「ああ、いるなあ、窓の外に、かなりデカいな、ヒトじゃないような…」とか、つぶやき始めて、なんでわざわざ来てるのか聞いたら、「深夜騒いでるから、ただ気になって、見に来てるだけ」と、
じゃあ、危害を加えるとかいうタイプではなかったと、
自分自身は霊的なアンテナは強くないんで、くわしいことは分からんけど、嵐山周辺は、住めば住むほど、走れば走るほどココロをきれいにしてくれるようなエリアで・・・ああそう言えば、今回のマウンテンバイクコースの途中に天下の嵐山もふくまれてたなあ、
嵐山という山そのものは、観光とは無縁な地味でひっそりした存在なんすね、
なもんで嵐山エリアで不吉で邪悪な雰囲気を感じることはいっさい無かったけど、死者の霊はまず近所の山に登って行くとかいうし、仏教寺院をさして「山」とか呼んだりするし、お盆の恒例行事、京都五山(ござん)の送り火は、死者の魂が迷うことなくあの世へ向かうための仏教行事やし、山はもともとこの世とあの世を結ぶトンネルみたいな役目もあるんやろな、
思い出しましたが、吉本の芸人さん、ガリガリガリクソンがあの世の女性に取りつかれて危うく命を落としかけた心霊マンションも、
そうや、嵐山というよりは、渡月橋を渡った先の嵯峨野エリアやけど、
嵯峨野といえば、友人が人魂(ひとだま)を見ていたり、
両親からは、念仏寺だけは行かんように注意されたり・・・あまりに送り返してくる心霊写真が多すぎてとうとう撮影禁止になったいわくつきのお寺で、
まあ、ともかく大ケガや神隠しが無くて何よりでしたが、
帰ったあともこれという怪奇現象も起きなかったし、体調をいきなり崩したことも無かったし・・・ただ、さびしい山奥へ出向くときは、大小さまざまな危険がつきまとうから、明るい時間帯に数人で走るべきやな・・・20年たった今ごろ言うてもあまりに遅すぎるけど・・・