10年以上昔に録画した名作映画を今ごろ、
そもそも映画じたいが、大がかりで長時間やし、名作映画ほど、集中して何回も観ることになるんで、時間的にも気分的にもそうとう余裕が無いと、観ようという気にすらならんわけで、
この二日で立て続けに3本、『ナバロンの要塞(ようさい)』、『質屋』、『未知との遭遇』と来て、どうすか、
『ナバロンの要塞』は、いちど30年ほど前に観たくらいで、中身も完全に忘れてたけど、同じ第2次世界大戦がテーマでも、ドキュメント風に生々しく作り上げたスピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』にハマったあとなんで、これと比較すると、あまりに安っぽさが目立ちすぎて、もう2度と見る気が起こらんほど、
『痛快戦争アクション映画』ていう安い言葉があったような気もしますが、その手の作品であったと、
さまざまな近代戦争が、近親相姦を繰り返して世界中に散らばる人間的感覚を全く無くしてしまった『上品で文化的な』超富裕層が、うざい一般庶民を地獄へ送り込む代わりに工業を発展させ富を独占するための暴力装置であることが分かってきてるけど、そこで命を落としたり、その後の人生で苦しみ続けたりする人たちが限りなく居てるのに、『痛快戦争アクション』は無いやろ、
次に観たのは、今回初となる、1960年代のアメリカ映画『質屋』ですけど、これも広くとらえれば第二次世界大戦ものというか、
ナチスのユダヤ人収容所で家族を失いひとり生き延びた元大学教授の主人公が、ニューヨークに移住して質屋を経営しながら、戦争の傷におびえ苦しみ続けるという、重厚で陰気なモノクロ映画、
これはどうでした、
スカパーの洋画専門チャンネル ザ・シネマの『トラウマ(心的外傷)映画館』特集で取り上げられた作品だけあって、最初から最後までずっと重苦しく、『プライベート・ライアン』とはまったく異質な手法で、戦争の恐ろしさ・おぞましさを伝えてくる、
第二次世界大戦の終結から四半世紀、世界で最も裕福な戦勝国アメリカの大都会ニューヨークで、戦争の傷に苦しみ続ける主人公という設定ですが、この時代、殺されなかった数多くの富めるユダヤ人が、ヨーロッパからアメリカへ移住してるんすね、
敬愛する指揮者クレンペラーも、奥さんが焼いたパンの中に大量の紙幣を隠し入れて命からがらヨーロッパを抜け出して渡米し、同じように亡命した現代音楽家のシェーンベルグと出会ったりしてるもんな、
それにしてもこの作品、安っぽさが売りになってしまった現在のハリウッド映画からは想像もできないほど中身が深く濃いすね、
俳優の演技に始まり、クインシー・ジョーンズのジャズ映画音楽、ときおり記録映画風に差し挟まれる1960年代ニューヨークの街角映像もひじょうに新鮮で、内容的にも深く・・・あまりに重苦しいから、くりかえし観てたら、こっちまでトラウマになりそうな恐ろしさもあったりして、安っぽくない映画のすごさを見せつけられたような、
3本目『未知との遭遇』は、『プライベート・ライアン』と同じスピルバーグ監督の初期を代表する名作ですが、
数十年にわたって何度も見続けてきたけど、やっぱり何回観ても、オモロイもんはオモロイ、
1970年代の作品なんで、ごく最初期の家具みたいにドデカいテープ巻き上げ式のローテク・コンピューターが登場したり、
録音機材も、重(おも)デカいオープンリール式やし、カメラも、単3電池8本でモーターを回してフィルムを巻き上げる式の、クソ重デカいモータードライブを装着した、ものものしいニコンF3やし、そういった昔の小物関係を観る楽しみもあったりして、
10数年前にスカパーで大量に録画した映画の数々ですけど、名作であればあるほど古臭くならないどころか、ますます光り輝いてるというのもさすがというか、
ほかにもスピルバーグ本人が、自身の作り上げた映画と人生を振り返る90分の記録映像もあったりして・・・当然すぎる話やけど、YouTubeで流れるアマチュア動画とは比較にならんほど、映像の質には天地の開きもあるわけで、
YouTubeから追放されたおかげで、過去の名作にじっくり付き合う時間的・精神的余裕も生まれ、ある意味よかったような、
何事も、とらえ方ひとつやけど、動画を作る側の忙しさから7年ぶりに引き離された結果、時間を気にせんと観る側に徹することができて、これはもしかしてええ事なんかも…
ちなみに、これから動画を作る気は、
無論あるがな・・・還暦(かんれき=60才)過ぎてるけど、ココロは6年制動画小学校を卒業したばかりの詰め襟(つめえり)中学1年生や・・・正味(しょうみ)の話が(じっさいのところ)、