2015年02月04日
教えることの復権
教えることの復権 大村はま/苅谷剛彦・夏子
「教師の教える力が衰退し、『教えない教師』が増え、
一見、主体的に『いきいき、のびのび』と子どもたちが
学んでいるように見える教室で、子どもたちはどのような力を獲得しているのか。
そこにまで目が届かないまま、まなびが称揚されている。
『なぜ子どもは勉強しなければならないのか』という疑問が
学校や教師の無力さを印象付ける一方で、
私たち大人や教師たちは、『なぜ教えるのか』という問いに正面から向き合ってきただろうか。
(中略)
私たちはなぜ教えるのか。子どもたちの学ぶ意味を問い直すためにも
まず私たち大人が、この問いに正面から向き合わなければならない。
そこから教育を考え直す糸口も生まれるだろう。」
いま、how to を教える大人は多い。
その陰には「損得の論理」がちらちらと見え隠れする。
whyやbeingなどの根本はまだろっこしいのか
それとも教える側が考えたことがないのか、とんと疎まれる傾向にある。
大村「子どもがやりたいといったことをそのまま根拠にしてはだめ」
1906年生まれの大村氏らしいこの意見に真っ当に意見し合える人はどれだけいるだろうか・・・
「教えること」はそのままわれわれの生き方をさらけ出すことと同じだ。
1日15分からの学習習慣!城南マナビックス
「教師の教える力が衰退し、『教えない教師』が増え、
一見、主体的に『いきいき、のびのび』と子どもたちが
学んでいるように見える教室で、子どもたちはどのような力を獲得しているのか。
そこにまで目が届かないまま、まなびが称揚されている。
『なぜ子どもは勉強しなければならないのか』という疑問が
学校や教師の無力さを印象付ける一方で、
私たち大人や教師たちは、『なぜ教えるのか』という問いに正面から向き合ってきただろうか。
(中略)
私たちはなぜ教えるのか。子どもたちの学ぶ意味を問い直すためにも
まず私たち大人が、この問いに正面から向き合わなければならない。
そこから教育を考え直す糸口も生まれるだろう。」
いま、how to を教える大人は多い。
その陰には「損得の論理」がちらちらと見え隠れする。
whyやbeingなどの根本はまだろっこしいのか
それとも教える側が考えたことがないのか、とんと疎まれる傾向にある。
大村「子どもがやりたいといったことをそのまま根拠にしてはだめ」
1906年生まれの大村氏らしいこの意見に真っ当に意見し合える人はどれだけいるだろうか・・・
「教えること」はそのままわれわれの生き方をさらけ出すことと同じだ。
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