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2015年05月21日
抗精神薬の断薬による「離脱症状」のすべて
今日は、抗精神薬を断薬しようと考えている方々のために、抗精神薬を急に断薬したときの「離脱症状」の真実を丁寧に書いてみようと思う。
僕は、今年(2015年)の2月に、ふと、急に飲んでいた薬を全部やめてみた。
理由は、ある種の衝動から、あるいは、好奇心から、としか言いようがない。
さて、辞めた薬は、以下のものたちである。
・サインバルタ40mg
・メイラックス1mg
・ドグマチール50mg
・デパス0.5mg2錠
・マイスリー10mg
・ロプヒロール1mg
僕は辞めた当初、「たいしたことないだろう」とたかをくくっていた。
なぜなら、僕の病名は、気分変調症と自己愛性人格障害で、人格障害の人にはあまり薬の効果がないという話をきいたことがあったからだ。
が、その「離脱症状」は、あまりにも耐えがたいものであった。
それもそのはずだ。
自身のお薬手帳の最初のページを見ると、平成17年だ。
もう、8年間も薬を飲み続けているのである。
そんな薬に慣らされた体から急に薬を抜けば、「脳の習慣」が狂って、さまざまな「離脱症状」が起こるのは、理の当然であった。
では、その「離脱症状」の数々を紹介していこう。
【身体的症状】
@吐き気。
これは絶え間なく、続く。身体症状では、もっとも辛い。
A頭部全体の「火照り」(熱が出たような)と、対照的に指先の「冷え」。
これもなかなかに辛いものだった。
B味覚障害。
端的な例としては、あれだけ美味しかったタバコが、物凄く苦く感じるようになった。
C身体全体の「神経」の弛緩。
これは、喩えるならば、全身の神経を、ぐーっと最大まで伸ばしたあと、パッと手を放して、結果、神経がゆるゆるになり、常に「腑抜け状態」になったような感じである。
D不眠。
これには理由など不要だろう。
【脳の症状】
@離人感。
これは、ご存知の通り、「自分が自分でないような感覚」、あるいは、「自分が自分であると“認知”できない状態」のことを指す。
また、これは前述の【身体症状】のA頭部全体の「火照り」と相まって、倍の苦しみを与えられた。
A「思考」がまったくできなくなる。
・・・これは、「離脱症状」で、おそらく一番おそろしい症状である、と言い切れる。
「思考」ができなくなるとは、どういうことか。
少し言い換えた方が、理解が早いかもしれない。
「思考」ができなくなる、というよりは、「認知」が一切できなくなるのだ。
こう書くと大げさな嘘みたいに思われるかもしれないが、これが事実なのである。
わかりやすい例を出そう。
我々は、ふつう、「月曜日」という日を、「一週間」という時空間のパースペクティヴ(距離感)の中で捉えられる。「ああ、今日は、一週間の中の月曜日かぁ」と。
しかし、断薬した途端、僕は「一週間」という時空間を「認知」できなくなった。
つまり、「現在」がまったく「認知」できなくなったのである。
「現在」が認知できなくなると、『「認知」されなかった今日』が「過去」になっていく。すると、「過去」の分別がまるで出来なくなる。
『「認知」されなかった過去』が積み重なるので、昨日のことも、おとといのことも、あるいは、10年前のことも、同質化して、見分けがつかなくなってしまうのだ。
こうなると、当然、「未来」のことにも思考がまったく働かない。
もはや「浦島太郎」状態である。
僕は、これらの症状に襲われたとき、本気で「ボケたのかな?」あるいは「アルツハイマーにでもなったのかな?」と焦ったものだ。
と、だいたい以上が、抗精神薬の「離脱症状」のすべてだと言っていいだろう。
結論としては、急な断薬はしない方が絶対いい。
というよりは、もう長年薬を飲み続けている人は、一生薬を飲み続ける運命なのだと思った方がいい。
飲み続ける方が、明らかに「健康」に暮らせるのだ。
人間、いつか死ぬのである。
死ぬまで「健康」に暮らせるのなら、薬を飲み続けた方がいいに決まっている。
ところで、僕は絶対に手放したくない薬が、一つある。
それは、「マイスリー」である。
ご存知の方もいると思うが、マイスリーには、麻薬のようにラリッて、気持ちが高揚してしまうという効用がある。
ならば、アルコールでもいいじゃないか、という声もあるのかもしれないが、アルコールは体調によってその効果が左右されるし、次の日に二日酔いと共に重い憂鬱が残るリスクがある。
しかし、このマイスリーには、そのリスクはまったくない。
いつも一定の効果が得られるのである。
僕は、この効用に、ずいぶん助けられたし、今も、助けられている。
というより、夜の10時頃に、マイスリーを飲み、寝ないで起き続けて、あのラリッた不思議な高揚感を味わいたいがために、日々、生きている。
このマイスリーの効果は、小説家としての僕の仕事にも、大いに役立ってくれた。
僕は、昼間は太陽の明るさが憂鬱すぎて、ろくすっぽ執筆もできない体質なのだが、夜、マイスリーを飲んでから執筆に取り掛かると、驚くほど筆が進むし、アイデアも浮かぶのである。
僕は、この先他の薬をやめることがあっても、マイスリーだけはやめないつもりだ。
そのぐらい、あの薬は素晴らしいものだ。
精神を煩っていない、皆さんにも、このマイスリーはおススメしたい。
下世話な話だが、これを飲んでオナニーすると、――それはもう、最高の高揚感が得られるのである。
というわけで、今回の商品はこれ。
TENGA ディープスロート・カップ ソフト[SOFT] 【ねっとり吸いつく、絡みつく。至福のバキューム】
そして、これ(ラブドール)さえ付け足せば、最高のオナニーライフを送れる。
LOVE BODY aki (ラブボディー アキ)
本当は、マイスリーを薦めてあげたかったのだが、Amazonでは法律では売ってはいけないので、仕方がない。
お許しください。
僕は、今年(2015年)の2月に、ふと、急に飲んでいた薬を全部やめてみた。
理由は、ある種の衝動から、あるいは、好奇心から、としか言いようがない。
さて、辞めた薬は、以下のものたちである。
・サインバルタ40mg
・メイラックス1mg
・ドグマチール50mg
・デパス0.5mg2錠
・マイスリー10mg
・ロプヒロール1mg
僕は辞めた当初、「たいしたことないだろう」とたかをくくっていた。
なぜなら、僕の病名は、気分変調症と自己愛性人格障害で、人格障害の人にはあまり薬の効果がないという話をきいたことがあったからだ。
が、その「離脱症状」は、あまりにも耐えがたいものであった。
それもそのはずだ。
自身のお薬手帳の最初のページを見ると、平成17年だ。
もう、8年間も薬を飲み続けているのである。
そんな薬に慣らされた体から急に薬を抜けば、「脳の習慣」が狂って、さまざまな「離脱症状」が起こるのは、理の当然であった。
では、その「離脱症状」の数々を紹介していこう。
【身体的症状】
@吐き気。
これは絶え間なく、続く。身体症状では、もっとも辛い。
A頭部全体の「火照り」(熱が出たような)と、対照的に指先の「冷え」。
これもなかなかに辛いものだった。
B味覚障害。
端的な例としては、あれだけ美味しかったタバコが、物凄く苦く感じるようになった。
C身体全体の「神経」の弛緩。
これは、喩えるならば、全身の神経を、ぐーっと最大まで伸ばしたあと、パッと手を放して、結果、神経がゆるゆるになり、常に「腑抜け状態」になったような感じである。
D不眠。
これには理由など不要だろう。
【脳の症状】
@離人感。
これは、ご存知の通り、「自分が自分でないような感覚」、あるいは、「自分が自分であると“認知”できない状態」のことを指す。
また、これは前述の【身体症状】のA頭部全体の「火照り」と相まって、倍の苦しみを与えられた。
A「思考」がまったくできなくなる。
・・・これは、「離脱症状」で、おそらく一番おそろしい症状である、と言い切れる。
「思考」ができなくなるとは、どういうことか。
少し言い換えた方が、理解が早いかもしれない。
「思考」ができなくなる、というよりは、「認知」が一切できなくなるのだ。
こう書くと大げさな嘘みたいに思われるかもしれないが、これが事実なのである。
わかりやすい例を出そう。
我々は、ふつう、「月曜日」という日を、「一週間」という時空間のパースペクティヴ(距離感)の中で捉えられる。「ああ、今日は、一週間の中の月曜日かぁ」と。
しかし、断薬した途端、僕は「一週間」という時空間を「認知」できなくなった。
つまり、「現在」がまったく「認知」できなくなったのである。
「現在」が認知できなくなると、『「認知」されなかった今日』が「過去」になっていく。すると、「過去」の分別がまるで出来なくなる。
『「認知」されなかった過去』が積み重なるので、昨日のことも、おとといのことも、あるいは、10年前のことも、同質化して、見分けがつかなくなってしまうのだ。
こうなると、当然、「未来」のことにも思考がまったく働かない。
もはや「浦島太郎」状態である。
僕は、これらの症状に襲われたとき、本気で「ボケたのかな?」あるいは「アルツハイマーにでもなったのかな?」と焦ったものだ。
と、だいたい以上が、抗精神薬の「離脱症状」のすべてだと言っていいだろう。
結論としては、急な断薬はしない方が絶対いい。
というよりは、もう長年薬を飲み続けている人は、一生薬を飲み続ける運命なのだと思った方がいい。
飲み続ける方が、明らかに「健康」に暮らせるのだ。
人間、いつか死ぬのである。
死ぬまで「健康」に暮らせるのなら、薬を飲み続けた方がいいに決まっている。
ところで、僕は絶対に手放したくない薬が、一つある。
それは、「マイスリー」である。
ご存知の方もいると思うが、マイスリーには、麻薬のようにラリッて、気持ちが高揚してしまうという効用がある。
ならば、アルコールでもいいじゃないか、という声もあるのかもしれないが、アルコールは体調によってその効果が左右されるし、次の日に二日酔いと共に重い憂鬱が残るリスクがある。
しかし、このマイスリーには、そのリスクはまったくない。
いつも一定の効果が得られるのである。
僕は、この効用に、ずいぶん助けられたし、今も、助けられている。
というより、夜の10時頃に、マイスリーを飲み、寝ないで起き続けて、あのラリッた不思議な高揚感を味わいたいがために、日々、生きている。
このマイスリーの効果は、小説家としての僕の仕事にも、大いに役立ってくれた。
僕は、昼間は太陽の明るさが憂鬱すぎて、ろくすっぽ執筆もできない体質なのだが、夜、マイスリーを飲んでから執筆に取り掛かると、驚くほど筆が進むし、アイデアも浮かぶのである。
僕は、この先他の薬をやめることがあっても、マイスリーだけはやめないつもりだ。
そのぐらい、あの薬は素晴らしいものだ。
精神を煩っていない、皆さんにも、このマイスリーはおススメしたい。
下世話な話だが、これを飲んでオナニーすると、――それはもう、最高の高揚感が得られるのである。
というわけで、今回の商品はこれ。
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そして、これ(ラブドール)さえ付け足せば、最高のオナニーライフを送れる。
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本当は、マイスリーを薦めてあげたかったのだが、Amazonでは法律では売ってはいけないので、仕方がない。
お許しください。
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2015年05月20日
ニートは悪くない
このブログの主、僕(ともなりたかひろ)は小説家・物書きなのである(もちろん無名だが)。
そして、現在、収入がまったくないのである。
いや、それは語弊がある。
僕が出版した著作の印税が、200円ぐらい収入としてあるばかりだ。
バイトも今年の2月にバックレてしまった。
つまり、僕(ともなりたかひろ)は、物書きの仕事はしつつも、ほとんどニートである、と言えよう。
ただ、一つ言いたいことがある。
僕は、ニートになったのではなく、元々ニートであったのだ、という一事だ。
なぜなら、例えば、高校という教育機関に属していなければ、僕はニートになっていたに違いないのである。
あるいは、大学という教育機関に属していなければ、僕は完全にニートなのである。
僕は子供の頃から疑問に思っていることがあった。
それは、よくある質問、『将来の夢はなんですか?』についてであった。
まず、この質問の間違いは、『将来の夢』=『職業』という潜在的な決め付けにある。
なぜ、『将来の夢』=『職業』でなくてはならないのだろう。
もし仮に、『将来の夢』=『職業』であれば、こう言い直さなければ適切ではない。
『将来の夢』とは、『将来の“現実問題”である』と。
その点に気付いた僕は、もう、現実世界ではやっていけない、と思わされた。
なぜなら、子供心にも僕はなんの職業にも就きたくなかったのである。
それは、なぜか?
ここで、僕のもう一つの性癖を明かさなければならぬ。
僕は、普通の人と違うのである。
もちろん、悪い意味で。
普通の人の人生プランは、大学に入って、就職して、30ぐらいで結婚して、家庭を持って、子供を2、3人出来て、そんで、50、60ぐらいになれば、もう息子・娘たちは自立し、自分たち夫婦も退職して自由な時間が出来たから、何か好きな趣味を楽しんで余生を過ごそう、といったところだろう。
しかし、僕の場合は違う。
僕は、大学生の頃から、“精神的”には「老人」あるいは「晩年」だったのである。
理由は、――一言でいえば、エラン・ヴィタール(生きる力)が欠如していたから、としか言えないだろう。
ゆえに、普通の人が「これから人生を始める人間」だとすると、僕は「これから人生を終らせる人間」だったのである。
つまり、当時20代そこそこの僕にとって、残りの人生は「余生」だったのである。
20代で「余生」の域に達していた僕にとって、先述の、就職やら結婚やら子供を持つやらは、もう通り過ごしてきた「過去のこと」であって、まったく執着する対象ではなかったのである。
だから、就職に失敗して自殺してしまった青年の話などをきくと、不憫に思う。
なぜなら、「就職して会社で働いて過ごす時間」など、「人生」の中での「一期間」でしかないからだ。
ほとんどの人は、この点に気付いていない。
ほとんどの人は、「就職して会社で働いて過ごす時間」が、「人生」のメインだと思いこんでいるのだ。だから、就職に失敗したぐらいで、自殺するのだ。
考え直してみて欲しい。
先述の「ふつうの人」の人生プランを再考してみても、どうだ、「人生」の晩年には、働かず、「余生」を楽しんでいるではないか。
これはつまり、大人も誰もがニートになりたく思っている、という証左なのだ。
言い換えれば、大人たちは、将来ニートになるために日夜必死に働いている、とも取れるのである。
僕の場合、精神的にすでに「晩年の老人」なので、人生プランの中盤をすっ飛ばして、「余生」=「ニート」を楽しんでいるのだ。
そして、「余生」を送っている精神状態だと、「どうせ死ぬのだから」という観念が頭に去来するようになる。
ここで、小説家としての僕に話を戻すと、なぜ僕が小説家・物書きを志したか、と言えば、答えは簡単、「どうせ死ぬのだから」せめて美しい芸術作品をこの世に残したい、という動機に他ならない。
問題は、どうやって「世の中」から逃避するか、にかかっている。
近親からの批判の声。
お金のやりくり。
僕は、これらの問題を、自身を「精神病」にわざとかかることによって、回避し続けた。
その余の話は、次の記事で、するかもしれぬ。
とりあえず、今日は、『ニートの歩き方』という本(1706円)をご紹介して、筆を置く。
ここまでの記事で、意の一端が通じた読者は、ぜひ買って頂きたい。
そうでなければ、――僕は、次の記事が書けないかもしれないのだから(金欠で)。
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
そして、現在、収入がまったくないのである。
いや、それは語弊がある。
僕が出版した著作の印税が、200円ぐらい収入としてあるばかりだ。
バイトも今年の2月にバックレてしまった。
つまり、僕(ともなりたかひろ)は、物書きの仕事はしつつも、ほとんどニートである、と言えよう。
ただ、一つ言いたいことがある。
僕は、ニートになったのではなく、元々ニートであったのだ、という一事だ。
なぜなら、例えば、高校という教育機関に属していなければ、僕はニートになっていたに違いないのである。
あるいは、大学という教育機関に属していなければ、僕は完全にニートなのである。
僕は子供の頃から疑問に思っていることがあった。
それは、よくある質問、『将来の夢はなんですか?』についてであった。
まず、この質問の間違いは、『将来の夢』=『職業』という潜在的な決め付けにある。
なぜ、『将来の夢』=『職業』でなくてはならないのだろう。
もし仮に、『将来の夢』=『職業』であれば、こう言い直さなければ適切ではない。
『将来の夢』とは、『将来の“現実問題”である』と。
その点に気付いた僕は、もう、現実世界ではやっていけない、と思わされた。
なぜなら、子供心にも僕はなんの職業にも就きたくなかったのである。
それは、なぜか?
ここで、僕のもう一つの性癖を明かさなければならぬ。
僕は、普通の人と違うのである。
もちろん、悪い意味で。
普通の人の人生プランは、大学に入って、就職して、30ぐらいで結婚して、家庭を持って、子供を2、3人出来て、そんで、50、60ぐらいになれば、もう息子・娘たちは自立し、自分たち夫婦も退職して自由な時間が出来たから、何か好きな趣味を楽しんで余生を過ごそう、といったところだろう。
しかし、僕の場合は違う。
僕は、大学生の頃から、“精神的”には「老人」あるいは「晩年」だったのである。
理由は、――一言でいえば、エラン・ヴィタール(生きる力)が欠如していたから、としか言えないだろう。
ゆえに、普通の人が「これから人生を始める人間」だとすると、僕は「これから人生を終らせる人間」だったのである。
つまり、当時20代そこそこの僕にとって、残りの人生は「余生」だったのである。
20代で「余生」の域に達していた僕にとって、先述の、就職やら結婚やら子供を持つやらは、もう通り過ごしてきた「過去のこと」であって、まったく執着する対象ではなかったのである。
だから、就職に失敗して自殺してしまった青年の話などをきくと、不憫に思う。
なぜなら、「就職して会社で働いて過ごす時間」など、「人生」の中での「一期間」でしかないからだ。
ほとんどの人は、この点に気付いていない。
ほとんどの人は、「就職して会社で働いて過ごす時間」が、「人生」のメインだと思いこんでいるのだ。だから、就職に失敗したぐらいで、自殺するのだ。
考え直してみて欲しい。
先述の「ふつうの人」の人生プランを再考してみても、どうだ、「人生」の晩年には、働かず、「余生」を楽しんでいるではないか。
これはつまり、大人も誰もがニートになりたく思っている、という証左なのだ。
言い換えれば、大人たちは、将来ニートになるために日夜必死に働いている、とも取れるのである。
僕の場合、精神的にすでに「晩年の老人」なので、人生プランの中盤をすっ飛ばして、「余生」=「ニート」を楽しんでいるのだ。
そして、「余生」を送っている精神状態だと、「どうせ死ぬのだから」という観念が頭に去来するようになる。
ここで、小説家としての僕に話を戻すと、なぜ僕が小説家・物書きを志したか、と言えば、答えは簡単、「どうせ死ぬのだから」せめて美しい芸術作品をこの世に残したい、という動機に他ならない。
問題は、どうやって「世の中」から逃避するか、にかかっている。
近親からの批判の声。
お金のやりくり。
僕は、これらの問題を、自身を「精神病」にわざとかかることによって、回避し続けた。
その余の話は、次の記事で、するかもしれぬ。
とりあえず、今日は、『ニートの歩き方』という本(1706円)をご紹介して、筆を置く。
ここまでの記事で、意の一端が通じた読者は、ぜひ買って頂きたい。
そうでなければ、――僕は、次の記事が書けないかもしれないのだから(金欠で)。
ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法
2015年05月19日
AV女優の引退後の人生
ふと、「AV女優の引退後って?」と思い、
『職業としてのAV女優(幻冬舎新書)』
をちらと立ち読みしてみた。
すると、次のようなことがわかった。書いてみると、なあんだ、当然じゃないか、と思うレベルの事実であるが、なるべく丁寧に書いてみたい。
まず、現役時代に、アイドル的な人気を得ていたAV女優の場合。
03年にマルチタレントに転身した及川奈央は、子供番組である『炎神戦隊ゴーオンジャー』にレギュラー出演したり、NHK大河ドラマ『竜馬伝』に主演したりするなど、すっかり芸能界に韜晦する(紛れ込む)ことに成功(どうも性交という言葉がよぎってしまう)している。
そして、この及川奈央が、その後のAV女優たちの芸能界での活躍の分水嶺になっている、と作者は言及している。
その後、インターネットの普及と、AVの世界市場化、それに伴う海賊版の流出により、日本のAV女優の人気は、実は日本国内よりも、国外のアジア圏内での方が凄まじいのだそうだ。
例えば、蒼井そらや小澤マリアなどが、香港や台湾や中国を訪問するときは、SPの人がつくほどの人気らしい。特に小澤マリアは、中国の某大手検索サイトによる、「美女検索ランキング」「女性スター検索ランキング」の両方で1位を獲得するほどの人気と知名度があるそうだ。
そこにとどめをさすかのように、08年に放送開始した、テレビ東京系深夜番組『おねがい! マスカット』に出演するAV女優たちによって結成された、アイドルグループ『恵比寿マスカッツ』が大ブレイクし、日比谷野音でのライブがソールドアウトになったことは、記憶に新しい。
こうした「脱がないAV女優」の活躍がめざましいのには理由がある。00年代に突入して以降、性同一性障害が社会問題として注目されたりするうちに、大衆の性的マイノリティーに対する意識の変容があり、結果、「性意識のポップ化」が進んだ。ゆえに現在、ニューハーフやオカマのタレントがお茶の間を賑わす、という光景が当たり前になっている。
話を元に戻すと、現役時代、アイドル的人気を得ていたAV女優ならば、引退直後、例えば、「元AV女優の○○と焼肉デート!」等の権利を、オークションで数万円で落札させることも可能らしい。また、政財界などから、「あのAV女優を抱きたい!」という依頼が、モデルプロダクションにくることもあるらしい。
では、それ以外の人たちの「第二の人生」はどうなっているのか、といえば、その3分の2が、いわゆる風俗業に流れているという。
残りの3分の1は、というと、AV女優時代に貯蓄したお金で、資格習得のため学校へ行き直す人が多いという。ことにも、看護学校や、ヘアメイクを目指す人が多いらしい。なので、AVの撮影現場で、元AV女優が、ヘアメイクとして働いている姿は、よく見かける光景だそうだ。
当然だが、企業への就職は厳しいそうだ。木下いつきという元AV女優は、システムエンジニアに転職できたらしいが、さすがにレアケースである、と作者も言っている。その他の門戸(いや、イヤラシイ響きですな)としては、AVメーカーにおける広報やADの仕事だったり、所属していたモデルプロダクションのAV女優を管理するマネージャーとしての仕事などがある。
ところで、モデルプロダクションに所属してはいるものの、一度も仕事をしていないAV女優を含めると、年間で4000人〜6000人のAV女優が生まれ、そして、消えているらしい。
作者は、AV女優がAV女優を辞める理由を、9つに要約しているが、中でも、ここでは@だけをあげておく。曰く、「企画単体」から「企画」へとランクが落ちて、ギャラが減ったから、というものだ。
これに関していえば、そもそも、一番上のランクである「単体」は、基本的に、3本/3ヶ月契約であり、当然、販売成績が悪ければ契約更新にはならず、その一つ下のランクである「企画単体」に降格することになる。
また、その「企画単体」ですら、設定した値段で売れなければ、容赦なく10万単位でギャラは下がっていくそうである。
しかも、実際の仕事内容は、「単体」よりも過激になるので、過剰労働のわりにリターンが少なくなり、結果、AV女優を続けていく意欲が削られるそうだ。
順番が逆になってしまったが、ここで、AV女優のカテゴリーと、そのカテゴリーごとのお金の動きをおさらいしておこう。
「単体」
これに属するAV女優は、AV業界のトップといえよう。主役として、まるまる一本の作品に出演できる。モデルプロダクションは、AVメーカーと主演本数・契約期間を取り決め、ギャラを交渉することになる。逆に言うと、契約を結んだメーカー以外のAVには出演できない。
「企画単体」
これは、「単体」によくある『○○デビュー!』というような、大々的なデビューができるわけではないが、「単体」と同じく、一本の作品で主演をはれるAV女優たちを指す。「単体」との最大の違いは、ギャラの仕組みである。「企画単体」の場合、ギャラは、一日単位での計算である。ネガティブなように聞こえるかもしれなが、メーカーとの契約がないということは、言い換えれば、どんな作品に主演しようが自由ということでもある。現在の、AV業界を支えているのは、この「企画単体」のAV女優さんたちである。
「企画」
この「企画」と、一つ前の「企画単体」の最大の違いは、名前が出ないことだ。よって、いつまで経っても知名度が低いままだ。撮影会や、ストリップも、名前がなければ、集客はできない。当然、ギャラも、「企画単体」と比べて、格段に安くなる。いわば、アルバイト的な立ち位置である。
AV業界のギャラは、「入れ込み」と呼ばれる、撮影当日の待ち合わせ場所で、担当マネージャーに現金を手渡しするのが、これまでの慣例だったそうだ。
90年代までは、モデルプロダクション自体が、法人化しないことで税収から逃れる地下業者のようなところが多かったらしく、いわば人身売買のような趣があったそうだが、現在では、それもだいぶ改善されてきているそうだ。多くのモデルプロダクションは、その求人広告で、「即金、当日払い」を謳っている。
では、どうやって、お金が動くのか。
例えば、「元グラビアアイドル」という箔がついており、ある程度の販売が見込める場合、モデルプロダクション側主導で交渉され、その価格も跳ね上がる。逆に、そのモデルプロダクションが、まず「単体」という冠をつけさせておいて、将来的には「企画単体」として長期的に売り出したいと考えている場合、AVメーカー主導となり、当然、価格はだいぶ抑えられる。
「単体」として契約した場合、値幅はかなりあるが、一本あたり100万〜250万程度の金が動くそうだ。これが、以下に記すように、「企画単体」や「企画」になってくると、話は違ってくる。
AV業界では、セックス行為を「絡み」と呼び、セックス行為なしを「擬似」と呼ぶ。
一日の仕事を仮に「2絡み+1擬似」だとすると、「企画単体」は、30万〜80万、「企画」は、15〜25万が日当として支払われるそうだ。ここから、モデルプロダクションと、AVメーカーとの交渉がはじまる。
例えば、「2絡み+1擬似」=20万を前提とした場合、もし「企画」女優が「1絡み」しかしないとすると、ギャラはその半額の10万になったりする。これは、「1擬似」の価値が相当に低いことを意味している。
また、「2絡み+1擬似」セットを、同じモデルプロダクションからもう一人使ってやりたいから、10%値引いて18万にしてくれ、などという交渉も行われる(グロス価格というらしい)。ギャラ交渉の大きな決め手はやはり「絡み」で、「擬似」だけだと、それこそ、3〜5万で行われることもあるそうだ。
しかも、AV業界は現在不況であるから、例えば、100万円の出演料を組んだ場合でも、次のように様々に組み合わせを変え、なるべく低コストで高リターンを得ようと画策する。
@「企画」の「1絡み=10万」×10人
A「企画単体」の「2絡み+1擬似=40万円」×1人+別会社の「企画単体」の「2絡み+1擬似=30万円(人数が増えた分値引きされる)」×2人
今までは、@のように、パッケージに多くの女性の顔が載っている方が「お得感」があって目を引きやすかったが、現在では、Aのような方式の方が売り上げがいいようである。
などと長々書いてきてしまったが、このへんでよす。
僕は、こういう現実を前に、何も言えない。ただ、身につまされるだけだ。
・・・けれども、やっぱりAV、観ちゃうんだよねぇ。
最後に、おススメの一本を紹介して、筆を置く。
小倉ゆず 中出し超高級ソープ嬢 [DVD]
『職業としてのAV女優(幻冬舎新書)』
をちらと立ち読みしてみた。
すると、次のようなことがわかった。書いてみると、なあんだ、当然じゃないか、と思うレベルの事実であるが、なるべく丁寧に書いてみたい。
まず、現役時代に、アイドル的な人気を得ていたAV女優の場合。
03年にマルチタレントに転身した及川奈央は、子供番組である『炎神戦隊ゴーオンジャー』にレギュラー出演したり、NHK大河ドラマ『竜馬伝』に主演したりするなど、すっかり芸能界に韜晦する(紛れ込む)ことに成功(どうも性交という言葉がよぎってしまう)している。
そして、この及川奈央が、その後のAV女優たちの芸能界での活躍の分水嶺になっている、と作者は言及している。
その後、インターネットの普及と、AVの世界市場化、それに伴う海賊版の流出により、日本のAV女優の人気は、実は日本国内よりも、国外のアジア圏内での方が凄まじいのだそうだ。
例えば、蒼井そらや小澤マリアなどが、香港や台湾や中国を訪問するときは、SPの人がつくほどの人気らしい。特に小澤マリアは、中国の某大手検索サイトによる、「美女検索ランキング」「女性スター検索ランキング」の両方で1位を獲得するほどの人気と知名度があるそうだ。
そこにとどめをさすかのように、08年に放送開始した、テレビ東京系深夜番組『おねがい! マスカット』に出演するAV女優たちによって結成された、アイドルグループ『恵比寿マスカッツ』が大ブレイクし、日比谷野音でのライブがソールドアウトになったことは、記憶に新しい。
こうした「脱がないAV女優」の活躍がめざましいのには理由がある。00年代に突入して以降、性同一性障害が社会問題として注目されたりするうちに、大衆の性的マイノリティーに対する意識の変容があり、結果、「性意識のポップ化」が進んだ。ゆえに現在、ニューハーフやオカマのタレントがお茶の間を賑わす、という光景が当たり前になっている。
話を元に戻すと、現役時代、アイドル的人気を得ていたAV女優ならば、引退直後、例えば、「元AV女優の○○と焼肉デート!」等の権利を、オークションで数万円で落札させることも可能らしい。また、政財界などから、「あのAV女優を抱きたい!」という依頼が、モデルプロダクションにくることもあるらしい。
では、それ以外の人たちの「第二の人生」はどうなっているのか、といえば、その3分の2が、いわゆる風俗業に流れているという。
残りの3分の1は、というと、AV女優時代に貯蓄したお金で、資格習得のため学校へ行き直す人が多いという。ことにも、看護学校や、ヘアメイクを目指す人が多いらしい。なので、AVの撮影現場で、元AV女優が、ヘアメイクとして働いている姿は、よく見かける光景だそうだ。
当然だが、企業への就職は厳しいそうだ。木下いつきという元AV女優は、システムエンジニアに転職できたらしいが、さすがにレアケースである、と作者も言っている。その他の門戸(いや、イヤラシイ響きですな)としては、AVメーカーにおける広報やADの仕事だったり、所属していたモデルプロダクションのAV女優を管理するマネージャーとしての仕事などがある。
ところで、モデルプロダクションに所属してはいるものの、一度も仕事をしていないAV女優を含めると、年間で4000人〜6000人のAV女優が生まれ、そして、消えているらしい。
作者は、AV女優がAV女優を辞める理由を、9つに要約しているが、中でも、ここでは@だけをあげておく。曰く、「企画単体」から「企画」へとランクが落ちて、ギャラが減ったから、というものだ。
これに関していえば、そもそも、一番上のランクである「単体」は、基本的に、3本/3ヶ月契約であり、当然、販売成績が悪ければ契約更新にはならず、その一つ下のランクである「企画単体」に降格することになる。
また、その「企画単体」ですら、設定した値段で売れなければ、容赦なく10万単位でギャラは下がっていくそうである。
しかも、実際の仕事内容は、「単体」よりも過激になるので、過剰労働のわりにリターンが少なくなり、結果、AV女優を続けていく意欲が削られるそうだ。
順番が逆になってしまったが、ここで、AV女優のカテゴリーと、そのカテゴリーごとのお金の動きをおさらいしておこう。
「単体」
これに属するAV女優は、AV業界のトップといえよう。主役として、まるまる一本の作品に出演できる。モデルプロダクションは、AVメーカーと主演本数・契約期間を取り決め、ギャラを交渉することになる。逆に言うと、契約を結んだメーカー以外のAVには出演できない。
「企画単体」
これは、「単体」によくある『○○デビュー!』というような、大々的なデビューができるわけではないが、「単体」と同じく、一本の作品で主演をはれるAV女優たちを指す。「単体」との最大の違いは、ギャラの仕組みである。「企画単体」の場合、ギャラは、一日単位での計算である。ネガティブなように聞こえるかもしれなが、メーカーとの契約がないということは、言い換えれば、どんな作品に主演しようが自由ということでもある。現在の、AV業界を支えているのは、この「企画単体」のAV女優さんたちである。
「企画」
この「企画」と、一つ前の「企画単体」の最大の違いは、名前が出ないことだ。よって、いつまで経っても知名度が低いままだ。撮影会や、ストリップも、名前がなければ、集客はできない。当然、ギャラも、「企画単体」と比べて、格段に安くなる。いわば、アルバイト的な立ち位置である。
AV業界のギャラは、「入れ込み」と呼ばれる、撮影当日の待ち合わせ場所で、担当マネージャーに現金を手渡しするのが、これまでの慣例だったそうだ。
90年代までは、モデルプロダクション自体が、法人化しないことで税収から逃れる地下業者のようなところが多かったらしく、いわば人身売買のような趣があったそうだが、現在では、それもだいぶ改善されてきているそうだ。多くのモデルプロダクションは、その求人広告で、「即金、当日払い」を謳っている。
では、どうやって、お金が動くのか。
例えば、「元グラビアアイドル」という箔がついており、ある程度の販売が見込める場合、モデルプロダクション側主導で交渉され、その価格も跳ね上がる。逆に、そのモデルプロダクションが、まず「単体」という冠をつけさせておいて、将来的には「企画単体」として長期的に売り出したいと考えている場合、AVメーカー主導となり、当然、価格はだいぶ抑えられる。
「単体」として契約した場合、値幅はかなりあるが、一本あたり100万〜250万程度の金が動くそうだ。これが、以下に記すように、「企画単体」や「企画」になってくると、話は違ってくる。
AV業界では、セックス行為を「絡み」と呼び、セックス行為なしを「擬似」と呼ぶ。
一日の仕事を仮に「2絡み+1擬似」だとすると、「企画単体」は、30万〜80万、「企画」は、15〜25万が日当として支払われるそうだ。ここから、モデルプロダクションと、AVメーカーとの交渉がはじまる。
例えば、「2絡み+1擬似」=20万を前提とした場合、もし「企画」女優が「1絡み」しかしないとすると、ギャラはその半額の10万になったりする。これは、「1擬似」の価値が相当に低いことを意味している。
また、「2絡み+1擬似」セットを、同じモデルプロダクションからもう一人使ってやりたいから、10%値引いて18万にしてくれ、などという交渉も行われる(グロス価格というらしい)。ギャラ交渉の大きな決め手はやはり「絡み」で、「擬似」だけだと、それこそ、3〜5万で行われることもあるそうだ。
しかも、AV業界は現在不況であるから、例えば、100万円の出演料を組んだ場合でも、次のように様々に組み合わせを変え、なるべく低コストで高リターンを得ようと画策する。
@「企画」の「1絡み=10万」×10人
A「企画単体」の「2絡み+1擬似=40万円」×1人+別会社の「企画単体」の「2絡み+1擬似=30万円(人数が増えた分値引きされる)」×2人
今までは、@のように、パッケージに多くの女性の顔が載っている方が「お得感」があって目を引きやすかったが、現在では、Aのような方式の方が売り上げがいいようである。
などと長々書いてきてしまったが、このへんでよす。
僕は、こういう現実を前に、何も言えない。ただ、身につまされるだけだ。
・・・けれども、やっぱりAV、観ちゃうんだよねぇ。
最後に、おススメの一本を紹介して、筆を置く。
小倉ゆず 中出し超高級ソープ嬢 [DVD]
タグ:AV女優 引退 その後
2015年05月18日
乃木坂46の橋本奈々未さんの魅力について(画像付き)
まず、こちらの写真をご覧下さい。
乃木坂46のメンバーの一人に、橋本奈々未さんという方がいらっしゃいます。
まず、断っておきます。
僕は、AKBやら、乃木坂やらの、昨今の「アイドルブーム」に全く興味のない者です。
「まぁ、勝手にやればいいんじゃないの?」ぐらいの距離感で見ている、いわば「部外者」です。
けれど、なぜでしょう、乃木坂46の橋本奈々未さんだけには、興味があるのです。
僕は、彼女の「動いている外見」に惹かれたわけではありません。
むしろ、Youtubeなどの動画で見る彼女の姿や、グーグルで画像検索した結果羅列された画像等を見ても、「なんだか歯並びが悪いなぁ」とか「ちょっとひ弱い未熟児っぽさがあるなぁ」などと、むしろマイナスな印象しか受けませんでした。
しかし、です。
僕はある日、ふとコンビニで、『週刊プレイボーイno.13』をパラパラとめくっているうちに、橋本奈々未さんのグラビアのページに目を留めたのです。
その瞬間、僕は彼女に恋をしてしまいました。
とはいっても、誤解なさらぬように。
恋、といっても、彼女を性的対象として見た、というわけではないのです。
むしろ、逆です。
僕は、橋本奈々未さんのことをいわば「神聖視」してしまったのです。
「神聖視」とは、なんでしょうか。
僕は以前、モヤモヤさまぁ〜ずに出ていた、大江麻理子アナを「神聖視」していました。
もちろん、大江アナのことを「好き」なのですが、まったく性的対象として見れませんでした。
なぜか、と言えば、僕にとって大江アナは「完璧」であり、ほとんど「聖女」のように思われ、純粋で、清い、大江アナは、もはや、恋とか、性的対象を越えて、僕の理想の女性として「神聖視」する他なかったからなのです。
これと同じことが、乃木坂46の橋本奈々未さんのグラビアにも起こりました。
僕は、一瞬で、彼女を「聖女」として「神聖視」してしまったのです。
大江麻理子アナと、橋本奈々未さん。
このふたりの女性を「神聖視」してしまった「共通点」が、このごろになって、少しわかってきたように思います。
それは、「永遠の母性」を思わせるからです。
男は、――と言って語弊があれば、少なくとも僕自身は、自分自身の汚さ・醜さも含めて、どこまでも微笑をもって許してくれるような「永遠の母性」を求めているものだ、と思えるのです。
マザコンという言葉がありますが、あれは、自分の母親へのコンプレックス(あこがれ)を断ち切れないことを言うのではなく、本当は、永遠の母性へのコンプレックス(あこがれ)を断ち切れないことを言うのではないのではないでしょうか。
この二人は、それを持っている、と僕は思いました。
だから、「神聖視」したのです。
ことに、グラビア上での橋本奈々未さんの「永遠の母性」(すべてを許してくれる聖女性)には、僕は完全に惚れてしまいました。
勿論、実際の橋本奈々未さんは、顔も「神聖視」するほど可愛くないだろうし、すごくワガママで、現実主義者かもしれません。
でも、です。
でも、写真という枠に収まった途端、彼女は「すべてを許すような聖女」=「永遠の母性」に映るのです。
そういう意味で(よく知らないで語ってすみませんが)、橋本奈々未さんという人は、過去にないほど写真栄えするアイドル、と言えるのではないでしょうか。
僕は、実際の人物像と、写真像とがこれほど乖離したイメージを与えるアイドルを、橋本奈々未さん以外に知りません。
そう考えると、実際の人物像と、写真に写ったときのイメージの、見事な飛躍が「売り」だと言える橋本奈々未さんのグラビアに、変な謳い文句みたいなものは不要だとも思いました。
実際の橋本奈々未さんは、結構、ドライで、現実主義者。
でも、写真に写ると、「永遠の母性」を称えた「聖女」。
ならば、このギャップを「謎」のままにした方がいい。
だから、本当は橋本奈々未さんのグラビアに変なクレジットなど付けなくていいのです。
ともかく、僕は、橋本奈々未さんのグラビアを見ると、「永遠の母性」を感じ、「聖女」のイメージに繋がり、なんだか、自分の汚さ・醜さが全て許されるような気持ちにさせらるのです。
そして、恋やら、性欲やらを越えて、・・・つまり、心の底から癒されるのです。
こんな稀有な女のひとは、そうそういないのではないでしょうか?
僕は、生涯、この『週刊プレイボーイ』no.13を捨てることはないでしょう。
最後に、気になる方は、以下のAmazonの『乃木坂46 ラミネートポスター A3サイズ【橋本奈々未】9564』をお買い求めてみて下さい。2000円以下で買えますよ。
乃木坂46 ラミネートポスター A3サイズ 【橋本奈々未】 9567
乃木坂46のメンバーの一人に、橋本奈々未さんという方がいらっしゃいます。
まず、断っておきます。
僕は、AKBやら、乃木坂やらの、昨今の「アイドルブーム」に全く興味のない者です。
「まぁ、勝手にやればいいんじゃないの?」ぐらいの距離感で見ている、いわば「部外者」です。
けれど、なぜでしょう、乃木坂46の橋本奈々未さんだけには、興味があるのです。
僕は、彼女の「動いている外見」に惹かれたわけではありません。
むしろ、Youtubeなどの動画で見る彼女の姿や、グーグルで画像検索した結果羅列された画像等を見ても、「なんだか歯並びが悪いなぁ」とか「ちょっとひ弱い未熟児っぽさがあるなぁ」などと、むしろマイナスな印象しか受けませんでした。
しかし、です。
僕はある日、ふとコンビニで、『週刊プレイボーイno.13』をパラパラとめくっているうちに、橋本奈々未さんのグラビアのページに目を留めたのです。
その瞬間、僕は彼女に恋をしてしまいました。
とはいっても、誤解なさらぬように。
恋、といっても、彼女を性的対象として見た、というわけではないのです。
むしろ、逆です。
僕は、橋本奈々未さんのことをいわば「神聖視」してしまったのです。
「神聖視」とは、なんでしょうか。
僕は以前、モヤモヤさまぁ〜ずに出ていた、大江麻理子アナを「神聖視」していました。
もちろん、大江アナのことを「好き」なのですが、まったく性的対象として見れませんでした。
なぜか、と言えば、僕にとって大江アナは「完璧」であり、ほとんど「聖女」のように思われ、純粋で、清い、大江アナは、もはや、恋とか、性的対象を越えて、僕の理想の女性として「神聖視」する他なかったからなのです。
これと同じことが、乃木坂46の橋本奈々未さんのグラビアにも起こりました。
僕は、一瞬で、彼女を「聖女」として「神聖視」してしまったのです。
大江麻理子アナと、橋本奈々未さん。
このふたりの女性を「神聖視」してしまった「共通点」が、このごろになって、少しわかってきたように思います。
それは、「永遠の母性」を思わせるからです。
男は、――と言って語弊があれば、少なくとも僕自身は、自分自身の汚さ・醜さも含めて、どこまでも微笑をもって許してくれるような「永遠の母性」を求めているものだ、と思えるのです。
マザコンという言葉がありますが、あれは、自分の母親へのコンプレックス(あこがれ)を断ち切れないことを言うのではなく、本当は、永遠の母性へのコンプレックス(あこがれ)を断ち切れないことを言うのではないのではないでしょうか。
この二人は、それを持っている、と僕は思いました。
だから、「神聖視」したのです。
ことに、グラビア上での橋本奈々未さんの「永遠の母性」(すべてを許してくれる聖女性)には、僕は完全に惚れてしまいました。
勿論、実際の橋本奈々未さんは、顔も「神聖視」するほど可愛くないだろうし、すごくワガママで、現実主義者かもしれません。
でも、です。
でも、写真という枠に収まった途端、彼女は「すべてを許すような聖女」=「永遠の母性」に映るのです。
そういう意味で(よく知らないで語ってすみませんが)、橋本奈々未さんという人は、過去にないほど写真栄えするアイドル、と言えるのではないでしょうか。
僕は、実際の人物像と、写真像とがこれほど乖離したイメージを与えるアイドルを、橋本奈々未さん以外に知りません。
そう考えると、実際の人物像と、写真に写ったときのイメージの、見事な飛躍が「売り」だと言える橋本奈々未さんのグラビアに、変な謳い文句みたいなものは不要だとも思いました。
実際の橋本奈々未さんは、結構、ドライで、現実主義者。
でも、写真に写ると、「永遠の母性」を称えた「聖女」。
ならば、このギャップを「謎」のままにした方がいい。
だから、本当は橋本奈々未さんのグラビアに変なクレジットなど付けなくていいのです。
ともかく、僕は、橋本奈々未さんのグラビアを見ると、「永遠の母性」を感じ、「聖女」のイメージに繋がり、なんだか、自分の汚さ・醜さが全て許されるような気持ちにさせらるのです。
そして、恋やら、性欲やらを越えて、・・・つまり、心の底から癒されるのです。
こんな稀有な女のひとは、そうそういないのではないでしょうか?
僕は、生涯、この『週刊プレイボーイ』no.13を捨てることはないでしょう。
最後に、気になる方は、以下のAmazonの『乃木坂46 ラミネートポスター A3サイズ【橋本奈々未】9564』をお買い求めてみて下さい。2000円以下で買えますよ。
乃木坂46 ラミネートポスター A3サイズ 【橋本奈々未】 9567
2015年05月15日
今流行のドローンの正式な使い方
安部総理の官邸の上空にはじまり、昨今、様々な場所でドローンを使ったイタズラが横行している。
しかし、どれも犯罪として、詰めが悪く、尻つぼみで、つまらない。
どうせだったら、次のようなケースはどうだろうか?
(ここから、大喜利がはじまります)
Q、本来、ドローンを使って、安部総理官邸の上空に何を置くべきだったでしょうか?
A1、子供服。(子供がいないことへの皮肉)
A2、こいのぼり。(同じく、子供がいないことへの皮肉)
A3、A1(子供服)とA2(こいのぼり)を見せた後で、安部さんとミシェル夫人(オバマの奥さん)の2ショット写真。(完全なる皮肉)
A4、「安部さんの過去映像」。
まぁ、こんなところでしょう。
安部さんは、あんな偉そうに国を憂いてるくせに、子供もいないんですよ?
大きなことをいいがちな人に限って、身近なことがおろそかになっている。
この格言を安部さんに贈りたいと重います。
安部さんのこれまでの経歴を知りたい方は、ぜひ、以下の本を読んでみて下さい。
公人である安部さんと、私人である安部さんとのギャップに、きっと驚くでしょう。
新しい国へ 美しい国へ 完全版 (文春新書 903)
しかし、どれも犯罪として、詰めが悪く、尻つぼみで、つまらない。
どうせだったら、次のようなケースはどうだろうか?
安部総理官邸上空のケース
(ここから、大喜利がはじまります)
Q、本来、ドローンを使って、安部総理官邸の上空に何を置くべきだったでしょうか?
A1、子供服。(子供がいないことへの皮肉)
A2、こいのぼり。(同じく、子供がいないことへの皮肉)
A3、A1(子供服)とA2(こいのぼり)を見せた後で、安部さんとミシェル夫人(オバマの奥さん)の2ショット写真。(完全なる皮肉)
A4、「安部さんの過去映像」。
まぁ、こんなところでしょう。
安部さんは、あんな偉そうに国を憂いてるくせに、子供もいないんですよ?
大きなことをいいがちな人に限って、身近なことがおろそかになっている。
この格言を安部さんに贈りたいと重います。
安部さんのこれまでの経歴を知りたい方は、ぜひ、以下の本を読んでみて下さい。
公人である安部さんと、私人である安部さんとのギャップに、きっと驚くでしょう。
新しい国へ 美しい国へ 完全版 (文春新書 903)
オードリー春日のフィンスイミング日本代表選出について
オードリーの春日が、フィンの日本代表に選ばれた、というニュースについて。
春日が出場するのは、「男子サーフィス50mの部」だということらしい。
僕がこの情報に触れて、直感的に思ったことは、
「50mなら、素人に毛が生えた程度の春日でも、奇蹟が起せるのではないか?」
ということであった。
考えてみてほしい。
もし、これが、100m、200mならば、素人の春日が勝てるわけがない。
でも、50mという短距離ならば、奇蹟が起せるのではないか? と番組スタッフは思ったに違いないのだ。
200mに兆戦するのは「兆戦」とは言わない。それは、「無謀」である。
「兆戦」というのは、勝利の可能性がわずかにある分野に賭けることだ。
とにもかくにも、春日には、頑張ってほしい、と思っている。
ただ、負けた際は、れいの「トゥース!」を封印してほしいけどね(笑)。
でも、まさか、春日がこんな肉体派のタレントになるとはねぇ。
以前の春日なら、考えられなかったことだ。
その証拠に、以下にオードリーの単独ライブのDVDを紹介しておく。
これを見れば、春日の変わり様に、皆さん、驚くはずだ。
オードリー DVD
春日が出場するのは、「男子サーフィス50mの部」だということらしい。
僕がこの情報に触れて、直感的に思ったことは、
「50mなら、素人に毛が生えた程度の春日でも、奇蹟が起せるのではないか?」
ということであった。
考えてみてほしい。
もし、これが、100m、200mならば、素人の春日が勝てるわけがない。
でも、50mという短距離ならば、奇蹟が起せるのではないか? と番組スタッフは思ったに違いないのだ。
200mに兆戦するのは「兆戦」とは言わない。それは、「無謀」である。
「兆戦」というのは、勝利の可能性がわずかにある分野に賭けることだ。
とにもかくにも、春日には、頑張ってほしい、と思っている。
ただ、負けた際は、れいの「トゥース!」を封印してほしいけどね(笑)。
でも、まさか、春日がこんな肉体派のタレントになるとはねぇ。
以前の春日なら、考えられなかったことだ。
その証拠に、以下にオードリーの単独ライブのDVDを紹介しておく。
これを見れば、春日の変わり様に、皆さん、驚くはずだ。
オードリー DVD
「後悔」と「失敗」の違いについて
今日、フジテレビの『直撃LIVEグッディ!』の番組終わりで、
高橋克美さんが、
『「後悔」と「失敗」の違いってなんですかね?』
と仰っていた。
僕は、その場面だけ見たので、どういう流れから、その問いに辿りついたのかは、知らない。
が、その「問い」になんとなく興味を持ったので、僕も少し考えてみたいと思う。
「後悔」と「失敗」の違いとは何か?
なに、解答は簡単である。
それは、基本的には、そこに「自己の意思決定」があったか・否かにあるのである。
だって、「自分の意志決定」の元、物事にのぞんだ場合、仮に勝負に負けたって、「後悔」などないはずだ。
むしろ、「やりきった!」と思うことだろう。
逆に、そこで「後悔」を感じる人は、事前に「意志決定」をしてのぞまなかったか、
あるいは、自分の「意志」に揺らぎがあったからだ。
すると、「反省」とは、自分の確固たる「意思決定」の元、何かにのぞんで、負けた場合のミスに対する見直し、でしかない。
こうなると、問題は、やはり、「後悔」の方が比重が重い、と言わざるを得ない。
ここからは、「後悔」について、少し語ってみる。
前言撤回するようだが、「自分の意志」で決定さえすれば、全て「後悔」しないか、といえば、
そうでもない、といわざるを得ない。
例外があるのである。
その例外とは、――「時間」である。
例えば、人気絶頂の女優が、「仕事」と「結婚」という選択を前に、
「自分の意志」で「結婚」を選択した、としよう。
そして、20年後。
すっかり主婦となった彼女に、突然、
「もし、あのまま女優を続けていたら…」
という「後悔」が襲い掛かってくるのである。
「自分の意志」で選んだはずなのに。。
つまり、こういうことである。
人間は、「一回性」の人生の中で、その度に人生を選択しなくてはならないのだ。
そして、「自分の意志決定」で決めた・決めてないに関わらず、
選ばれた(失われた)「もう一つの人生(時間)」に対して、想いを馳せ、「後悔」をする宿命なのだ。
「あったかもしれない、もう一つの人生」
誰もがそれについて思いにふけった経験をお持ちだろう。
そして、この「あったかもしれない、もう一つの人生」をテーマにしたゲームがある。
PSのRPGの『クロノクロス』である。
この記事を読んで興味を持った方は、ぜひ、以下の『クロノクロス』を買い、確認してもらいたい。
なかなかよく出来たストーリーであるから。
アルティメット ヒッツ クロノ・クロス
高橋克美さんが、
『「後悔」と「失敗」の違いってなんですかね?』
と仰っていた。
僕は、その場面だけ見たので、どういう流れから、その問いに辿りついたのかは、知らない。
が、その「問い」になんとなく興味を持ったので、僕も少し考えてみたいと思う。
「後悔」と「失敗」の違いとは何か?
なに、解答は簡単である。
それは、基本的には、そこに「自己の意思決定」があったか・否かにあるのである。
だって、「自分の意志決定」の元、物事にのぞんだ場合、仮に勝負に負けたって、「後悔」などないはずだ。
むしろ、「やりきった!」と思うことだろう。
逆に、そこで「後悔」を感じる人は、事前に「意志決定」をしてのぞまなかったか、
あるいは、自分の「意志」に揺らぎがあったからだ。
すると、「反省」とは、自分の確固たる「意思決定」の元、何かにのぞんで、負けた場合のミスに対する見直し、でしかない。
こうなると、問題は、やはり、「後悔」の方が比重が重い、と言わざるを得ない。
ここからは、「後悔」について、少し語ってみる。
前言撤回するようだが、「自分の意志」で決定さえすれば、全て「後悔」しないか、といえば、
そうでもない、といわざるを得ない。
例外があるのである。
その例外とは、――「時間」である。
例えば、人気絶頂の女優が、「仕事」と「結婚」という選択を前に、
「自分の意志」で「結婚」を選択した、としよう。
そして、20年後。
すっかり主婦となった彼女に、突然、
「もし、あのまま女優を続けていたら…」
という「後悔」が襲い掛かってくるのである。
「自分の意志」で選んだはずなのに。。
つまり、こういうことである。
人間は、「一回性」の人生の中で、その度に人生を選択しなくてはならないのだ。
そして、「自分の意志決定」で決めた・決めてないに関わらず、
選ばれた(失われた)「もう一つの人生(時間)」に対して、想いを馳せ、「後悔」をする宿命なのだ。
「あったかもしれない、もう一つの人生」
誰もがそれについて思いにふけった経験をお持ちだろう。
そして、この「あったかもしれない、もう一つの人生」をテーマにしたゲームがある。
PSのRPGの『クロノクロス』である。
この記事を読んで興味を持った方は、ぜひ、以下の『クロノクロス』を買い、確認してもらいたい。
なかなかよく出来たストーリーであるから。
アルティメット ヒッツ クロノ・クロス
2015年05月11日
うつみ宮土理の会見について
夕方のニュース番組で、改めてうつみ宮土理さんの会見を見たが、やっぱり「この人はどこかおかしい」と思った。
その人格の異常さが度を越えていて、この会見自体が「ホラー」にすら思えてきたぐらいだ。
彼女の裏に「宗教」の匂いさえ、嗅ぎ取った。
その人格の異常さを、これから順を追って説明していきたいと思う。
まず、この会見の大前提として、“芸能人”うつみ宮土理さんがするべき2つのことがあったと思われる。
@故人・愛川欣也さんの裏エピソードを語り、死後の評価をあげること。
A生前の愛川を甲斐甲斐しく看護したエピソードを語り、うつみ宮土理さん自身のオフィシャルイメージ(高感度)を上げること。
もちろん、こんな腹黒いことを“ことさらに”しなくてもいい。
けれど、前述の2つの「得」を得られないならば、この会見自体、そもそも「やる意味」がないではないか。
けれど、うつみさんの言動からは、ことごとく、自ら進んで「損」をすることしかしていない。
それが異常なのだ。
おかしい点はいくらでもある。
まず、誰の目にも明らかなところからいえば、死ぬ直前の愛川さんの様子をきかれ、「そんなの言えるわけないじゃないですか」などと言った点だ。
これは、観てる誰もが「え?え?」と思ったはずだ。
自分から会見を開いたのではないのか?
なぜ、自分から会見を開いておいて、質問に答えないのだろう。
それに、記者たちも、視聴者たちも、そこが一番知りたいのは明々白々ではないか。
それなのに、あの態度。
意味がわからない。
また、気になったのが、「病院の二文字なんか一切浮かばなかった」などと言った点だ。
そんな言い方をされたら、愛川さんの意向など一切無視し、うつみさんが独善的に全て取り仕切っていたように思えるではないか。
もしそう仮定すると、以前うつみさんが病床にいる愛川さんと電話する形でテレビ出演した際の言動の不可解さにもつじつまが通ってくる。
あのとき、うつみさんは、元気そうに「キンキン」と喋ることで、世間に「夫婦二人の同意の下治療を進めているんですよ」というイメージを打ち出したかったはずだ。
しかし、本当は、うつみさんが、独善的に(一方的に)愛川さんの療養のことを取り決めていたのではないか。
そうでなければ、「 病院の二文字なんか一切浮かばなかった」みたいなことを言うはずがないではないか。
また、うつみさんは会見の途中、「この悲しみが、あなた方にわかるわけがないでしょう!」みたいなことを感情的に言っていたシーンがあったはずだ。
これはもう、観ている人が皆、「えええ!?」とうつみさんの人格を疑ったのではないか。
親しい人が死ぬ悲しみを知っている人はいくらでもいるし、それに、もう70を越えた「いい大人」が発する言葉とは到底思えない。
この言葉をきいたとき、「この人はホラーだ!」と思って、僕は全身ゾッと寒気が走ってしまった。
そうかと思えば、会見の最後では、唐突に笑みを見せ、「満員御礼」などという言葉も飛び出す始末なのである。
「満員御礼」って・・・。
言葉の使いどころを間違ってるし、逆効果でしかないし、・・・なんなでしょうか、このひとは。
このうつみ宮土理さんという人は、「演技」(嘘をつくこと)の“使いどころ”が、ことごとく「ズレ」ているし、「損」な効果しか生んでいないことが多すぎる。
なぜ、「損」になると分かり切っているタイミングで、へんな「演技」や、へんな「嘘をついたり」、あるいは、要らない「本音を吐く」のだろう。
まったく理解不能としか言いようがない。
自分のイメージダウンにしか繋がらないのに。
本来、うつみ宮土理さんは、「悲しいけれど、尽くしきったので、後悔はないです」と言えばよかったのである。
それだけで、随分、視聴者に与えるイメージが違っただろうに。
「まだ遺骨と寝ている」などと未練タラタラならば、「妻として尽くし切っていなかった」ということを逆に証明しているようなものではないか。
妻として尽くしきれたならば、少なくとも「後悔」はないはずだ。
それが、あの様子である。
したがって、彼らの「本当の夫婦生活」の実態がどんなものだったかは、推して知るべし、であろう。
つまり、うつみ宮土理さんの会見から学ぶ点は、次のようになる。
人間、こういう場合は、全部正直に言うか、完璧に嘘を突き通すか、その2つ以外にない、ということだ。
その2つでなければ、必ず「損」をするに決まっている。
そのどちらにも徹し切れなかったうつみさんは、少なくとも「芸能人」としてバカと言うしかない。
どちらにせよ、今回の件で、うつみ宮土理さん=「どこかおかしい、狂っている人」というマイナスイメージが定着してしまったことは確かである。
最後に、うつみ宮土理さんのベストアルバムであり、集大成の音楽アルバムである『花の行方』を紹介しておこう。
花の行方
今までのブログを見て、「いい記事だな」と思った方が、ぜひ購入してみてください。
以上です!
その人格の異常さが度を越えていて、この会見自体が「ホラー」にすら思えてきたぐらいだ。
彼女の裏に「宗教」の匂いさえ、嗅ぎ取った。
その人格の異常さを、これから順を追って説明していきたいと思う。
まず、この会見の大前提として、“芸能人”うつみ宮土理さんがするべき2つのことがあったと思われる。
@故人・愛川欣也さんの裏エピソードを語り、死後の評価をあげること。
A生前の愛川を甲斐甲斐しく看護したエピソードを語り、うつみ宮土理さん自身のオフィシャルイメージ(高感度)を上げること。
もちろん、こんな腹黒いことを“ことさらに”しなくてもいい。
けれど、前述の2つの「得」を得られないならば、この会見自体、そもそも「やる意味」がないではないか。
けれど、うつみさんの言動からは、ことごとく、自ら進んで「損」をすることしかしていない。
それが異常なのだ。
おかしい点はいくらでもある。
まず、誰の目にも明らかなところからいえば、死ぬ直前の愛川さんの様子をきかれ、「そんなの言えるわけないじゃないですか」などと言った点だ。
これは、観てる誰もが「え?え?」と思ったはずだ。
自分から会見を開いたのではないのか?
なぜ、自分から会見を開いておいて、質問に答えないのだろう。
それに、記者たちも、視聴者たちも、そこが一番知りたいのは明々白々ではないか。
それなのに、あの態度。
意味がわからない。
また、気になったのが、「病院の二文字なんか一切浮かばなかった」などと言った点だ。
そんな言い方をされたら、愛川さんの意向など一切無視し、うつみさんが独善的に全て取り仕切っていたように思えるではないか。
もしそう仮定すると、以前うつみさんが病床にいる愛川さんと電話する形でテレビ出演した際の言動の不可解さにもつじつまが通ってくる。
あのとき、うつみさんは、元気そうに「キンキン」と喋ることで、世間に「夫婦二人の同意の下治療を進めているんですよ」というイメージを打ち出したかったはずだ。
しかし、本当は、うつみさんが、独善的に(一方的に)愛川さんの療養のことを取り決めていたのではないか。
そうでなければ、「 病院の二文字なんか一切浮かばなかった」みたいなことを言うはずがないではないか。
また、うつみさんは会見の途中、「この悲しみが、あなた方にわかるわけがないでしょう!」みたいなことを感情的に言っていたシーンがあったはずだ。
これはもう、観ている人が皆、「えええ!?」とうつみさんの人格を疑ったのではないか。
親しい人が死ぬ悲しみを知っている人はいくらでもいるし、それに、もう70を越えた「いい大人」が発する言葉とは到底思えない。
この言葉をきいたとき、「この人はホラーだ!」と思って、僕は全身ゾッと寒気が走ってしまった。
そうかと思えば、会見の最後では、唐突に笑みを見せ、「満員御礼」などという言葉も飛び出す始末なのである。
「満員御礼」って・・・。
言葉の使いどころを間違ってるし、逆効果でしかないし、・・・なんなでしょうか、このひとは。
このうつみ宮土理さんという人は、「演技」(嘘をつくこと)の“使いどころ”が、ことごとく「ズレ」ているし、「損」な効果しか生んでいないことが多すぎる。
なぜ、「損」になると分かり切っているタイミングで、へんな「演技」や、へんな「嘘をついたり」、あるいは、要らない「本音を吐く」のだろう。
まったく理解不能としか言いようがない。
自分のイメージダウンにしか繋がらないのに。
本来、うつみ宮土理さんは、「悲しいけれど、尽くしきったので、後悔はないです」と言えばよかったのである。
それだけで、随分、視聴者に与えるイメージが違っただろうに。
「まだ遺骨と寝ている」などと未練タラタラならば、「妻として尽くし切っていなかった」ということを逆に証明しているようなものではないか。
妻として尽くしきれたならば、少なくとも「後悔」はないはずだ。
それが、あの様子である。
したがって、彼らの「本当の夫婦生活」の実態がどんなものだったかは、推して知るべし、であろう。
つまり、うつみ宮土理さんの会見から学ぶ点は、次のようになる。
人間、こういう場合は、全部正直に言うか、完璧に嘘を突き通すか、その2つ以外にない、ということだ。
その2つでなければ、必ず「損」をするに決まっている。
そのどちらにも徹し切れなかったうつみさんは、少なくとも「芸能人」としてバカと言うしかない。
どちらにせよ、今回の件で、うつみ宮土理さん=「どこかおかしい、狂っている人」というマイナスイメージが定着してしまったことは確かである。
最後に、うつみ宮土理さんのベストアルバムであり、集大成の音楽アルバムである『花の行方』を紹介しておこう。
花の行方
今までのブログを見て、「いい記事だな」と思った方が、ぜひ購入してみてください。
以上です!
タグ:うつみ宮土理 会見
2015年05月09日
大久保佳代子が24時間テレビのマラソンランナーに選出された件について
シミーズ、じゃなかった、オアシズの大久保さん(シミーズ着るような歳だけど)が、24時間テレビのランナーに選ばれたそうですね。
問題は、なぜ、彼女が選ばれたのか、ということです。
前提として言っておきます。
僕は、まったくの無知の状態です。
裏事情などについて、まったく知りません。
なので、ここからは、僕自身による、勝手な「クイズ」になります。
僕の意見は、こうなのです。
つまり、大久保佳代子さんは、今まで、なんの波乱もない、平坦な人生を送ってこられた方だと、僕の推測では思われます。
そんな大久保さんが、はじめて、人生初の「チャレンジ」(冒険)に挑む。
ここに、今回の24時間テレビのマラソンランナー抜擢の整合性があった、と僕は読むわけです。
僕の予想では、番組最後に、彼女はこう言うでしょう。
「私の人生において、こんなにチャレンジをしたことはありませんでした」
その言葉を聴いた嵐だか、関ジャニ8だか、なんだか、知りませんが、メインパーソナリティーの方々は、こう大久保さんに問いかけるでしょう。
「では、これを機に、これからも様々なことにチャレンジしていきますか?」と。
そして、大久保さんは、淡々とした口調で、こう答えるでしょう。
「いや、いいです」
ここで、大爆笑。
こういうオチではないか、と僕は踏んでおります。
あなたは、どうですか?
以下に紹介するのは、大久保さんが演出した舞台のDVDです。
Amazonから購入できます。よろしければ、購入してみてはいかかでしょうか?
『大久保佳代子劇団『村娘』DVD』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B004EBUJ84/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B004EBUJ84&linkCode=as2&tag=jigakarabotam-22
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前提として言っておきます。
僕は、まったくの無知の状態です。
裏事情などについて、まったく知りません。
なので、ここからは、僕自身による、勝手な「クイズ」になります。
僕の意見は、こうなのです。
つまり、大久保佳代子さんは、今まで、なんの波乱もない、平坦な人生を送ってこられた方だと、僕の推測では思われます。
そんな大久保さんが、はじめて、人生初の「チャレンジ」(冒険)に挑む。
ここに、今回の24時間テレビのマラソンランナー抜擢の整合性があった、と僕は読むわけです。
僕の予想では、番組最後に、彼女はこう言うでしょう。
「私の人生において、こんなにチャレンジをしたことはありませんでした」
その言葉を聴いた嵐だか、関ジャニ8だか、なんだか、知りませんが、メインパーソナリティーの方々は、こう大久保さんに問いかけるでしょう。
「では、これを機に、これからも様々なことにチャレンジしていきますか?」と。
そして、大久保さんは、淡々とした口調で、こう答えるでしょう。
「いや、いいです」
ここで、大爆笑。
こういうオチではないか、と僕は踏んでおります。
あなたは、どうですか?
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2015年05月08日
オードリー春日のフィンスイミング日本代表選出について
あのさ、きいてよ、オードリー春日が、なんか、アノ、フィンスイミングの、日本代表的な、アレに選ばれた、という件について、ちょっとね。
あのね、皆さん、ご存知の通り、「アレ」を連発してる時点で、僕は、な〜んも知りやせん。
まったくの無知です。
が、そこから、このニュースの「裏側」を予測していこう、ってわけです。
だからつまり、自分勝手な「クイズ」(推測)ですよね。
きいてください。
あのさ、僕はさ、春日が挑む種目、「50m」という距離にピン!ときたわけ。
つまり、こういうことですよ。
素人に毛が生えた程度の春日が、万が一でも奇蹟を起せる競技は、「50m」しかなかったのではないか、というわけなわけです。
だって、「50m」だったら、その場の勢いで、なんとか、「奇蹟」を起せそうでしょ?
逆に、これが「200m」とかだったら、ベテランが勝つに決まってるじゃないですか。
春日程度の素人が奇蹟を起せる種目は「50m」だろう、と春日&スタッフは思ったにちがいない。
それが、僕の感想です。
最後に、余談ですが、春日は、「もし負けたら髪の分け目を変えます!」的なことを言ってますけど、僕は彼が金を取れなかったら、「トゥース!」を封印することを希望します。
以上です!
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まったくの無知です。
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だからつまり、自分勝手な「クイズ」(推測)ですよね。
きいてください。
あのさ、僕はさ、春日が挑む種目、「50m」という距離にピン!ときたわけ。
つまり、こういうことですよ。
素人に毛が生えた程度の春日が、万が一でも奇蹟を起せる競技は、「50m」しかなかったのではないか、というわけなわけです。
だって、「50m」だったら、その場の勢いで、なんとか、「奇蹟」を起せそうでしょ?
逆に、これが「200m」とかだったら、ベテランが勝つに決まってるじゃないですか。
春日程度の素人が奇蹟を起せる種目は「50m」だろう、と春日&スタッフは思ったにちがいない。
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