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ともなりたかひろ
小説家界の革命児。 主な著作に『太郎取扱説明書』(インディーズ文庫)。『小説・神聖かまってちゃん』(Amazon Kindle)などがある。 もっと詳しい著作が知りたい場合は、以下を参照下さい。 メインホームページ(ニコニコ動画)→http://com.nicovideo.jp/community/co1841805 Twitterアカウント→https://twitter.com/jiga_from_jiga ちなみに、このブログはアフィリエイト(金稼ぎ)のためにやってみよう、と思って開設したんですが、まったくの無知(あるいはバカ)のため、そうですね、うん、まずまぁ、稼げないでしょうね。
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2016年06月09日

小林麻央さんの寿命はあとわずかだと思えてならない。。説をプロデュース

・・・今週のブログ・テーマ、
「6月19日は父の日!何を贈る?」
とかほざいてますけど、まぁ、健康用品でもあげればいいんじゃないですか、中年ですし。まぁ、それが妥当でしょうよ。
・・・はい、もうこれで「テーマ」回収しました。終り。
……それよりもね、あの、僕にとって6月19日は、僕の誕生日以外の何物でもないんですよね。
そして、6月19日は、かの太宰治の誕生日でもあります。
かの太宰さんは、次のような言葉を残しております。
明ルサハ滅ビノ姿デアロウカ
――この言葉を、僕は、海老蔵さんの会見を見て、あるいは、小林麻央さんの過去の笑顔の映像を見て、あるいは、小林麻耶さんの笑顔の映像を見て、
「――ああ、しっくりくるな。。」
と思ってしまいました。。

・・・これまでの文章のテンションでもお分かりでしょうが、今日の僕は、海老蔵さんの会見を見て、大変、鬱になっております。
なんなら、泣いてしまいそうなぐらいでした。
――別に、肉親が死んでも泣かない、この、僕が。
――別に、海老蔵さん夫妻とはなんの関わりもない、この、僕が。

自分でも理由は分かりませんが、たぶん、海老蔵さん夫妻を僕は、日本の「ウィリアム王子とキャサリン妃」だと思っていたんですよね。。
「国民」が羨むような「ベスト・カップル」だと。。
いや、それも理由としては全然、体を成していないですね。。……ちょっと、考えさせてください。。

・・・なんでしょう、海老蔵さんの姿勢にも心を打たれましたし、いや、それ以上に、過去の、麻央さんの、美しく、気高く、周りを照らす煌びやかな笑顔が、…その「明るさ」が、いかにも、儚げで、美しいまま、すっと消えてしまいそうな予感がしたからでしょうか。。

あの、麻央さんの、周囲の全てを照らすような、美しく、気高く、明るいオーラを見ると、やっぱり、前述の、太宰さんの言葉を思い出してしまうんですよね。。
明ルサハ滅ビノ姿デアロウカ
「明るさ」というのは、やっぱり、実は「今にも消え入りそうな繊細さや脆さ」と表裏一体な気がします。。

とにかく、……麻央さんと海老蔵さんが、あまりにも可哀想で、可哀想で、仕方がないんです、僕は。


ここから言うことは、すべて、僕個人の「予感」や「妄想」に過ぎません。
ですので、「間違い」だと思います。
なんなら、僕の「予感」や「妄想」なんか的中しなければいい、と本気で思っているので、ちょっと書いてみよう、と思います。

1年8か月も抗がん剤治療して「手術」っていうのは、まずありえない、とレベル4の大腸がんを患った経験を持つ母が、言ってました。。
だから、「入院生活を辞めた」のも、…僕は、「残り少ない時間を家族で過ごしたいから」と受け取っちゃうんですよね。。



通院」のくだりの際、多くの人が、
ああ、麻央さん、入院しなくてもよくなったんだな
「良い」意味で解釈したと思うんですけど、あの、海老蔵さんは、そのとき「快方に向かっているので」とは、言わなかったじゃないですか。。
・・・だから、ああ、と。。

ゆえに、姉の小林麻耶さんの「無期限休養」=「仕事を放りだしてでも、残り少ない妹との時間を共有したい」と解釈してしまって。。
だって、過労で倒れて、「無期限休養」って言い方、普通、しないような気がしちゃって。。
普通は、体調が戻り次第、復帰します、とかでしょう。。
この「無期限休養」というコトバを使うときって、大抵、後ろ暗い、何かがあるときなんですよね。。

さらに、海老蔵さんが、「今年は休養して、旅にでようと思っている」的な発言をしたときに、ああ、これはもう、と何かを「確信」してしまいました。。
完全に、「麻央さんの悔いのないよう思い出作りをしてあげよう」ってことだな、と。


・・・まとめますと、
(快方に向かっているので、とは言わない)通院生活」=「残り少ない時間を家族と過ごしたい
麻耶さんの無期限の休養」=「残り少ない時間を妹と過ごしたい
今年は休養して、旅に出るつもり」=「麻央さんに精一杯の家族との思い出作りをしてあげたい

ということになるかと思います。。


勿論、これは小説家としての、僕の、勝手な、「妄想」であり、「予見」なので、まず間違いなく「間違って」ます。
否!
以上の、僕がした「解釈」が全て外れてもらいたい! 間違いであってもらいたい! と切に、本当に切に、願っております。
以上です。

PS.

・・・つまり、人はいつ、病気になって、死ぬか、分からないわけですから、
今週のテーマ「父の日」のプレゼントも、なんでもいいので、あげない、よりは、あげた方が絶対にいい、と思いますよ。。
死んだら、もう、おしまいなんですから。。

短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)→http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/19054
いまはまだねむるこどもに(表紙).jpg

2016年06月06日

『北海道の小2置き去り事件は父親個人の「自己責任」であるべきであったよね、をプロデュース!』

――あるカップルが、終電間際の改札前で、いちゃいちゃしていたのを見た。
理由はおそらく、ホテルに行く金もなく、否、タクシーを拾う金もなく、否、一人暮らしをする金もないからである。
私はそっと素知らぬふりして、そのカップルの顔を見た。――どっちもブサイクであった。
やがて、ブサイクな男が、ブサイクの女の耳元で、囁いた。
「――アモーレ。
私はそれを見て、たまらず、念能力『第三者の目(現実を見ない)』(by舛添都知事)を発動させた。

――というわけで、hunter×hunter33巻が発売されましたね!
内容、文句なく最高でした!
いやぁ、本当に面白い! もう、小説執筆なんかそっちのけで、貪り食うように熟読してしまいました。
たぶん、ここでヒソカvsクロロ戦を描いたのは、・・・いや、そんな話はどうでもいいんですよね。
今週のブログ・テーマは、「梅雨対策」ということらしいんですが、――うん、北海道へ行く! これで決まりでしょう。
はい、これでブログ・テーマ、すべて、回収しました!(超強引)
――そして、北海道といえば、小2置き去り事件ですよね。

というわけで今回は、

『北海道の小2置き去り事件は父親個人の「自己責任」であるべきであったをプロデュース!』

僕は、この事件に対して、「しつけの定義」とか「奇跡的な生還の詳細」などの「論点」は、「枝葉」に過ぎないと思われる、そう、山林だけに(いや、別にうまくない)。

「根っこ」にある「論点」は、父親の公私混同、この一点だ。

「勝手に、子供を置き去りにして、いなくなった」という「私的」な「事件」を、これだけ「公的」な「事件」にまで「発展」させたことが、問題なのだ。
それは、なぜか。
答えは、明白。
この父親の「私的なわがまま」(捜索)のために、多額の公費が費やされており、しかも、その公費は、僕らの税金から捻出されているからである。

疑う者は、2013年の、キャスターの辛坊治郎さんがヨットで遭難した事故のことを思い出して欲しい。
あのとき、最終的には海上保安庁からの要請で、海上自衛隊を出動させて、救難飛行艇US-2が四機も使われた。
そして、結局、そのUS-2の燃料費が約数百万、加えて、人件費も加えれば、1000万円の公費が費やされたのだ。
そして、その公費は、全て国民の税金から捻出されたものなのだ。

このことから、辛坊治郎さんは、今回の事件について、一言一句も口をさしはさむ権利がない、ということが分かる(いや、それはどうでもいい)。
とにかく、一事が万事、この通りであるから、今回の小2置き去り事件においても、多額の公費が使われていることは、明白であろう。それは、多くのヘリの使用を見てもお分かりだろう。

これが、父親になんの過失もなく、「第三者に、子供が、さらわれた」とかだったら、話は別だ。
が、今回は、完全に「行き過ぎた公私混同」だ。
だから、あくまで「自己責任」で、父親一人で捜索し、解決するべき事案であった、と思いますが、さすがに厳し過ぎますかね。

ともかく、あまり「美談」にするのはいかがかな、とは思いますけどね。

PS.
僕の誕生日は6月19日なのですが、この時期(双子座)に誕生日を迎える人が、絶対、一度は他人から言われる言葉を紹介します。

「Happy birthday 梅ー雨。」

あ、あと、プロフィール画像、変えました。
はい。完全に、クロロ・ルシルフルです。

僕34.jpg

短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)→http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/19054

2016年04月20日

「『熊本地震』をめぐる状況」についての正しい分析

やめっ!

もうこれ以上の「言葉」は「汚い」
――そう思って、「今月はもう何も書かない」ことを「宣言」したが、どうしても書いておきたいことが出てきたので、今日限りの二言、三言、許してくれ給え。
言うべきことを言ったら、さっと身を引くつもりである。

ブログテーマ、『新生活に変化はありましたか?』であるが、れいの「熊本地震」で、ほとんどの人に「変化」があっただろう。
はい、これでブログテーマ全部回収。終り。

改めて、「援助物資が行き届かない」理由を明確にしておこう。
まず、「公的な避難所」だけでなく、「公的」に「避難場所」と「されていない場所」を「避難所」としている人々が多数いる。
理由は単純。
「物理的」な理由(距離的に遠い/道の陥没のせいで自動車が使えない等)から「公的な避難所」まで行けないからである。


まず、そうした「非公的な避難場所」を含めた「すべての避難場所のマップ」を作らなければならない。
結局、「熊本」といっても、都市中心を離れれば、片田舎の「村」や「集落」が多い。
そこに住む人々にとって、「公的な避難所」など、「遠すぎて」いけるはずもないのだ。


また、『「地震」によって亡くなれた人』の「定義」も、見直し、もっと「拡大解釈」するべきである。
皆、「地震」という「直接的被害」を受けた人を「被災者」と言いがちだが、「地震」によって、ライフラインが途絶え、その「副次的被害」によって、死んでいった方々も「被災者」なのだ。


ある医者の友人が語っていたことだが、今回の「熊本地震」に遭っても、「無傷だと思われている病院」内でも「死者」は出ている、と言っていた。
理由は勿論、病院内の「ライフライン」が復旧していないからである。


然るに、病院内は高齢者が多いことにも投石患者には大量の「水分補給」が必要である、が、「水」がライフラインの崩壊によって足りていないので、「死ぬ」のである。
こうした「間接的な二次被害」によって「死亡」したケースは、メディアによって「無視」されがちな「側面」である。

だが、そんなことよりも、である。
そんなことよりも「重要」な「問題」は、「熊本地震」という「社会的事象」に対して僕たち「個人」が、「どのような立場から語っているのか?」あるいは、「どのような関わり方を持っているのか?」という「そもそも論」である。

「つながろう!」「ひとつになろう!」という「風潮」がまた来た。
だが、「3.11」にしても、「熊本地震」にしても、同じことである。
その「社会的事象」に、「どのような関わりを持つのか?」は、「私」個人の「選択」の問題であり、「私たち」全体の問題ではない。


「熊本地震」は「私たち」全体の「問題」だ!
と口にするとき、すでにありもしない「問題」が文中に「出現」している。

だが、「熊本地震」という「社会的事象」が、その人「個人」にとって「問題」になるか・ならないか、「人それぞれ」なのだから、「『私たち全体』の問題」という構えは「誇張した問題意識」である。


本来は、「積極的にボランティアをする人」「これを機に売名する芸能人」「熊本地震とはまったく無関係に日常を送る人々」も、それらすべて「並列」に扱うべきである。
「自発的にボランティアをする偉い人」も「売名する恥知らずな人」も「無関心な心ない不謹慎な人」も、等しく「共存」しているのが、「この世界」の「本質」なのだから。

立場も事情も全く違う、てんでバラバラな「他者」同士が「共存」しているのが、「この世界」の「共通前提」である。
言うさえ野暮な、当たり前の「事実」だ。
しかし、彼らは「ひとつになろう!」という名の下、一つの「権力」を形成し、それに「同調」するよう「無言の圧力」をかけてくる。


御多分にもれず、僕も、昨今の「つながろう!」的な「同調圧力」を、勿論、3.11の時の状況の「再体験」として感じたが、その「権力性」を明らかにするには、むしろ昨年の『安保法案』の時の奥田愛基くんの「国会答弁」を例に出すのが有効的だと考える。


奥田愛基くんは国会答弁の際、「『個』で動いている」と主張しつつも、『私たち』という「主語」を使用したのである。
あの状況で、『私たち』と発言すれば、『私たち』=『私のような若者一般は全て』「曲解」されてもおかしくない。
事実、メディアも『私たち』=『私のような若者一般は全て』として彼の答弁を「理解」し、放送してしまった。


そのとき僕は、『いや、勝手に僕を『私たち』というカギカッコの中に入れないで下さい』と思ったものだ。
つまり、政府という「権力」に対する民衆のデモという「反権力」も「権力」には違いないのだ。
「賛成か/反対か」二項対立だけで考え、「グレーゾーン」を全く「黙殺」している時点で。
それと同じ「権力性」を「つながろう!」という「同調圧力」にも感じるのだ。


「安保法案に対して賛成か/反対か」という言葉を、「震災に対して同情的か/非同情的か」という言葉に置き換えてみれば、昨今の「ひとつになろう!」という「同調圧力」の持つ「権力性」が明らかになるだろう。
考えてみたまえ。
別に、同情的でも、非同情的でもない、そんなに関係ないなぁ、と思っている「グレーな人々」が、一言でも意見を口にしようものなら「不謹慎だ!」と叩かれるであろう。
その時点で、「つながろう!」という善意は、完全に「権力」である。


そして、「つながろう!」と呼びかけ、それに同調しなかった人を「不謹慎だ!」と指弾する不謹慎厨の「根本」にあるのは、実は、ただ「大きな社会的事象」を「背景」に「みんなが一つになっている!」という「エクスタシー」を感じ、それに「酔っ払いたい」だけの「不謹慎」な「陶酔」でしかないのだ。

――こう考えてみると、「他者」との関係を深く考えるがゆえに「何もしない」僕のような人間と、彼らのような人間、どちらが「不謹慎」か、分かったものではない。


そして、「ひとつになろう!」「つながろう!」という「大きなこと」を主張している人に限って、意外と、「小さなこと」――学校や職場などの身近な人たち=「他者」との関係が上手くいっていなかったりすること――を僕は知っている。
「小さなこと」――身近な「他者」との人間関係すら上手くいっていない人が、「ひとつになろう!」などという「大きなこと」を声高に主張しても何の説得力も感じないのである。


結論。
今回の「熊本地震」は、「人それぞれ」であって、「それ以上」でも「それ以下」でもない。
そして、「それ以上」のこととして受け止め、はしゃいでいる人々は、それはご勝手にすればいいと思うが、「それ以上でもそれ以下でもない」人たちに「同調」するよう「強要」しないこと。
以上だ!
もう、ほんとうに、今月は何も書かん!


震災小説『ひとつになるとき』(縦書き文庫/無料)→http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18203

2016年04月09日

4月の時事ネタ総まとめをプロデュース!

ブログテーマが『女磨き特集』ということなんですが、・・・・・・


興味ねぇっ!!


前回の記事でも言った通り、『ブスがどんなに努力しても、生来の美人には勝てない』のだし、もっと言えば、『本当に美しい人が似合うファッションは、実は「普段着」である』なのだ。


疑う者は、きゃりーぱみゅぱみゅちゃんの「普段着」画像を見るか、以下の、僕(ともなりたかひろ)の画像を見給え。


Picture 20.jpg


下手なそこらの女より、男の僕の方が「美しい」のだ。

はい、以上、『女磨き特集』、ぜんぶ「回収」致しました(敬礼)。終り。


さて、本題に入ろう。

今日、「宣言」したいことが、3つある。


まず、1つ。
僕はこの『4月の時事ネタ総まとめをプロデュース!』の記事をもって、一旦ブログ更新はストップします。


2つ目は、もうこの『ともなりたかひろ.com』は「アフィリエイトブログ」ではなく、ただの「時事ネタブログ」になることを宣言します。
俺はもう、嫌だ。
「お金」のために記事を書くのは、もう、嫌だ。
つかれた。


最後は、――僕が今、「4月限定」でネット上で発表し、宣伝している、『電力自由化』をテーマにした、ある夫婦を描いた短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)が、「時代の最先端を切り取った小説」として、巷で話題になっている、ということを、このブログでも大いに誇示したい、ということだ。
なぜ、「巷で話題」になっているのか、といえば、そのたった7ページの小説の「内容」が、れいの風見しんごさんの身の上と酷似してしまっているからである。

後でURLを貼って宣伝するが、――『いまはまだねむるこどもに』は「ある夫婦における長男の死産」をめぐる話なのだから。


さて、後はめんどくさい「時事ネタ」を片付ければよいわけだ。
今の僕は、本当に面倒くさい気分なので、「箇条書き」でもって以下に記す。

【カトパンの今後について】
きっと、彼女は何かの番組の「スポーツキャスター」になり、野球選手か、なにかのスポーツ選手に直撃取材することで、「結婚相手」を探そう、と考えているに違いない。
少なくとも、彼女は30歳、「婚活」のためにフリーになったのは間違いない。

【乙武洋匡さんのゲス不倫について】
僕はTwitter上で、乙武さん本人に以下の2つのリプを送った。それでもって十分であろう。
『五体不倫満足』ではなく、『股間不満足』ですね。」
「貴方の根本は、『教育者』だ。そこでもし、貴方のような人間を『国会議員にさせる』ような、『民度の低い都民』だったらならば、それは即ち、貴方がしてきた『教育の失敗』なのではないでしょうか。」

【闇カジノについて】
そもそも「闇カジノ」という言葉がおかしい。
もともと日本ではカジノ自体が「非合法」だからだ。「表」も「裏」もない。
本当の「闇カジノ」とは、インターネットを通じて海外のカジノに参加する、「ネットカジノ」のことである。
「ネットカジノ」は、「海外」に拠点を置いているカジノゆえ、日本の法律の「範疇外」なので、日本の法律では取り締まれないのである。

【北島康介の引退に関して】
これは、一言で言える。そして、フィギュアスケートの浅田真央にも、同じことが言える。
説いて曰く、
「北島康介さんも、浅田真央さんも、試合にのぞむその『姿勢』は、『挑戦者』ではなく、『エキシビション』に近い。少なくとも、最初から勝ち負けにかける「意気込み」が欠けている。」
それこそ花見ではないが、花は綺麗なうちに眺めるべきである。枯れてきたら、すぐに切るべきである。
ゆえに、彼はあくまでロンドンオリンピックで引退するべきであった。
本当にやりたいからまだ続ける」のと、「他に出来ることがないのでまだ続ける」のとは、全然違う。後者は、しがみついているという意味で、みっともない。
北島康介さんも、浅田真央さんも、サッカーのキングカズも後者である。



はい、4月の「時事ネタ」終り。
そして、このブログ『ともなりたかひろ.com』の更新も、これにて一旦終り。


最後に、先述した、短編小説『いまはまだねむるこどもに』の宣伝をしておく。

それでは、さようなら。

【4月限定宣伝】
短編小説『いまはまだねむるこどもに』(「縦書き文庫」/無料)
http://bit.ly/21Uw2L3
「電力自由化」がテーマのともなりたかひろ「2016年初」の短編小説。
……ろうそく、火、照らす、光と影、対立、火葬。そして、――二度目。




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2016年03月23日

「春の一押しファッション」をプロデュース!

ツッコミ「いやぁ、もうすぐ4月で、春がやってきますよ。春といえば、何の季節ですか?」
ボケ「自爆テロの季節。」
ツッコミ「違うわ!! ・・・とも言いずらいわ、今の状況じゃ! そうじゃなくて、恋の季節ですよね?」
ボケ「ああ、確かに。僕もね、新たな恋人が出来たんですけど。」
ツッコミ「おおっ。」
ボケ「文『』にバレて、すぐ『』がきちゃいましたけどね、・・・・・・(ドヤ顔で)解散した、ねづっちです!
ツッコミ「いいよ、上手いこと言わなくて。あと、解散した、は余計だから。――まぁ、春と言えば出会い、というのもありますけど、やっぱりこんなポカポカ陽気には絶好の…」
ボケ「はなみず日和ですよね。」
ツッコミ「いや、花見(はなび)日和だわ。確かに、花粉症シーズン真っ盛りだけども。――で、花見と言えばですよ、必要なもの、ありますよ。ええと、お酒、おつまみ、それと」
ボケ「――マスク、メガネ、アレグラ系のおくすり。」
ツッコミ「だから、はなみず日和じゃねーわ! 一旦、忘れろよ、花粉症のことは、このヤロー! で、話を戻しますと、花見って、場所取りも大変なんですよね〜。」
ボケ「確かに、僕の友達も、この間、場所取り失敗して。」
ツッコミ「マジで?」
ボケ「それで、ブログに書いてましたよ。『場所取り落ちた日本死ね』って。」
ツッコミ「もういいわ、いい加減にしろ!」

・・・・。
・・・なんでしょう、昨夜、ベルギーでテロが起きましたよね。
で、そのことについて、あるいは、昨今の時流について、色々考えるところあり、
僕含め皆の頭は「システム・トラブル」を起こしている、そんな中、『春のファッション』について、書いて、あるいは、読んで、一喜一憂している場合なんでしょうか?(急に真面目。)

馬鹿ですよ。
まぁ、結局、その記事を書いている、僕自身が、一番馬鹿なわけですけど。
誰も読まねーのに、こんな記事。

それに、『春のファッション』つっても、こういうブログがターゲットにしている対象者は、「若者」ではなく、「奥様方」とかでしょう?きっと。

「若者」なら、まだしも。

だから、こんなテーマ、僕的には専門外ですよ、完全に。

だからね、――僕には姉がいまして、この姉は弟の僕が言うのもなんですけど、「ファッション」に関しては、この姉はひいき目なしで見て「センスがある」と思います。

だから、この『春の一押しファッション』を知りたければ、姉、まぁ、名前は友成貴子と言いますが、彼女に、まぁ、Facebookをやってますから? 聞いてみればいいんじゃないですかね。いや、ほんとうに。

ただ、僕が「美」に関して言えることがあるとすれば、以下に掲げる言葉と、僕が「美しい」と感じている画像のみです。

本当の美人とは、若いころの顔を見て、老いたときの顔が想像できない人のことである。

本当にかわいい人とは、部屋着が一番似合う子である。

よって、この春はくるかもしれない、『部屋着ブーム』が。

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眠り姫.jpgundefined


松田るかB.JPGundefined


僕31.jpgundefined



以上です。
あとは、前回と同じように、この『春のファッション』に関してよく分かってらっしゃる会社さんの商品? だかなんだか知りませんけど、とにかく、信頼度の高い会社さんの「広告」から、『春のファッション』を購入してみてはいかがでしょうか?(なげやり)

だって、どうせ購入しないに決まってるもん。
俺だって、そうだもん。購入どころか、それ以前に「広告」なんて無視するに決まってるもん。
それに、――素で「美しいひと」「かわいい人」は、何着たって「美人」だもん!(言っちゃったよ、ついに!)
さ・よ・な・ら。






2016年03月17日

『母の日』をプロデュース!

どうも。
「五月上旬の暑さ」は「十一月下旬の寒さ」と同じなんじゃないか? という説を唱えてる、小説界のドナルド・トランプこと、ともなりたかひろです。

まずは、【春あるある】を、一つ。

」は、「spring」というよりも、「skip」という語の方がぴったりくる。

《例》
期間限定! 『からあげくん skip』発売!

・・・みたいなね。
あの、――この記事自体、「skip」しないでね。・・・なんつってね。

さて、今週のテーマは、『母の日』ですか。

『母の日』と言えば、実は僕にも、過去に忘れがたい思い出がありましてね。。話し出すとすごく長くなるんですがね、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(回想のセンチメンタルなBGMが10秒ほど流れる)・・・・・・・。
・・・・・・・。
――ふっ(微笑)。
まぁ、昔の話ですよ。「←いや、何にも喋ってないじゃないですか!!

まぁ、そんな冗談はさておき、『母の日』に何をプレゼントするべきか、という問題ですけど、
僕は作家ですから、ここは奇抜なアイデアを出さねばならないわけだが、――今日は調子が悪いのか、なんのアイデアも思い浮かばない。

・・・面倒くさいが、少し考えてみましょうか。

『母の日』という言葉を、『母になった日』と、言い換えてみようか、まずは。

転じて、逆に『母になってから』ではなく、『母になる前のこと』に、アイデアの焦点を置いてみましょうか。

――だから結局、「ビデオ・レター」にはなるよね、どうしても。

ただ、その「ビデオ・レター」に協力してもらう方々は、そのお母さんが、「母」になる前の、「女友達(現在は『母』)」に限りますけどね。

で、まず、そのお母さんが、『母の日』=『母になった日』以前の「人生」が、「生活」が、「言動」が、どんなものだったかのか、をまず語ってもらう、と。

で、その次に、その「女友達(現在は『母』)」たちに、自分たちが『母になってから』のことを語ってもらう、と。

そうすれば、というか、――その「ビデオ・レター」をお母さんに贈ればさ、

ああ、そういえば、彼女たちのように、私も『母になった日』が昔あったんだ

と、つまり、『母の日』=『母になった日』を、転じて、『母』としての「自覚」を再び「意識」することになると思うんだよね。

――というわけで、僕のアイデアは、こんなもんです。

だから、こんなクソみたいな非現実的なアイデアが気に食わない人は、以下の広告のプレゼントを贈ってやればいいんじゃないですかね。ええ。

なんか、僕知りませんけど、非常に「母の日のプレゼントとしては信頼度が高いものばかり」だそうですから。

そうしてください。

そんじゃ、またね。









2016年03月04日

おすすめの花粉対策をプロデュース!

お久しぶりです。
3月末が締切りに中編小説の執筆がようやく峠を越えまして、ちょっと余裕が出来たもんで、AmazonのDVD『内村さまぁ〜ず the movie エンジェル』のレビューを「ともなりたかひろ」名義で書きました。

http://amzn.to/1WRywYV

結構、「良い事」書いている、と思いますよ。

なので、このブログの読者の皆さんはね(そんな奴いないんじゃね?)、ここは「さくら」になって頂いて、「参考になりました」ボタンを連打していただければな、と。
――ていうか、余りにもレビュー数が少ないですよ! 『内村さまぁ〜ず』ファンは、もっとAmazonにレビューを書こうよ!

ところで、今週のブログテーマが、

おすすめの花粉症への対策法を教えて下さい

ということらしく、まぁ、『内村さまぁ〜ず』になぞらえて、今日はもう全編「大喜利」で答えていこう、と思います。
これでも、小説家の端くれ=言葉の使い手、ですから、「大喜利」は結構得意で、・・・Twitter上では、しょっちゅう「大喜利」やってる、っていうね。

では、本日は、


「おすすめの花粉対策をプロデュース!」


というわけでね、じゃあ、早速お答えします。


問題「おすすめの花粉症への対策法を教えてください

……ああ、これは簡単。すぐできた。はい!
《じゃあ、答えの方、どうぞ》

A1、「(フリップをめくって)―――ググれば?

《・・・いやいや、それ言っちゃおしまいでしょ! もっと、ちゃんとやってくださいよ!》

ちぇっ、分かりましたよ。じゃあ、ちゃんとした答え(A2)を。

問題「おすすめの花粉症への対策法を教えてください

A2、「えー、(フリップをめくり)―――海外へ移住する。
A1と同じじゃねぇかよ!! もっと具体的に生活レベルで使える対処法を教えてくださいよ!》

・・・うるさいなぁ。じゃあ、もっと実用的な、現実的な対処法ね? これなんか、どうでしょう。

問題「おすすめの花粉症への対策法を教えてください
A3、「 (フリップをめくって)―――基本的には、我慢。
ねぇーのかよっ!!
ねぇよ、そんなもん! 基本的には、マスクして、アレグラ系の薬飲んで、我慢だよ! ・・・だから、逆転の発想で、花粉症を楽しめばいいんだよ!
《は? 花粉症を楽しむって、なんすか?》
だから、

A4、「・・・基本的には食い止める方法はないので、病院などに行って『花粉症フレンド』、通称、『花フレ』をつくる、と。で、そっから肉体関係に発展して、『下のマスク』をずりおろしたあと、一言、『あれ? 君のアソコ、花粉症みたいにぐしょぐしょになっ…
言わせねぇよ その先はっ(お笑いコンビ「我が家」のツッコミ) なに花粉症から下ネタになってるんすか!? ダメですよ、そんなの。 あと、そもそもその解答、大喜利になってませんからね!?》

――とまぁ、こんな感じで、大喜利が得意なわけですけど、この記事、これだけじゃ、物足りないので、もう一問だけやりますか?
・・・うん、うん、うん、・・・うん、じゃあやりましょう。
《うん、うん、うん、って誰と話してたんだよ…。》

では、問題。

問題「『春』といえば、『出会い』と『別れ』の季節です。そこで、問題です。あるバイトの送別会で、新社会人になる若者に、言ってはいけない別れの挨拶を言ってしまいました。さて、その一言とは、なんでしょう?

・・・・・・。はい。
《あ、早いすね。じゃあ、答えの方、どうぞ。》

A、「――あの、お題変えてもらっていいっすか?
答えろよ!
だって、これはお題が悪いよ。答えがすげー絞られちゃうもん。
《・・・例えば?》
だから例えば、

A2、「(フリップをめくって)・・・長崎に行っても元気でね!
みたいな。。
転校する学生じゃねぇんだよ 相手は新社会人なの》
・・・ほらな? こんな感じになっちゃうんだよ。
《・・・。》
だから、お題を変えてくれ、つってんの。
《・・・分かりましたよ。次で、本当にラストですからね。ちゃんとやってくださいよ。》

問題「『センテンススプリング』の正しい使い方を教えてください

(真面目な顔して)――はい、できた。こういうお題なら得意ですよ。
《じゃあ、どうぞ。》

A1、「・・・えっと、ビックマックと、コーラのSサイズと、――あとセンテンススプリング一個で。

《おお、これは上手いんじゃないですか? 確かになんかファーストフードの食品っぽいし。》

このお題なら、ぽんぽんでるわ。いきますよ。

A2、「(宝箱を開け)なんと! 魔剣『センテンススプリング』を手に入れた!

ドラクエじゃねぇかよ!
FFだよ
《どっちでもいいわっ ちなみに、その魔剣『センテンススプリング』っていう武器は、どういう武器なんですか?》
「・・・これは、だから、あれだよ…。最強の剣だから、装備すると攻撃力は4倍になるんだけど、ずーっと『呪い』っていうステータス異常にかかった状態になる、っていう」
《さりげなく『ゲスノートの呪い』をパクッてるんじゃねーよ!》
うるさいなぁ。・・・これだから、アンジャッシュの渡部じゃない方はつまんねぇんだよ。
誰が児島だよ!!

――というわけで、最後はね、とびっきりの解答を出してやるよ。
《期待していいんですね?》
はい。
《じゃあ、どうぞ。「『センテンススプリング』の正しい使い方を教えてください」。》
・・・もうね、『センテンススプリング』の使用法は、これしかないと思いますよ。

A3、「・・・時事ネタ漫才のナイツがM‐1で手紙ネタをやるときに、普通の紙ではなく、一冊の文春を使う
『センテンススプリング』はどこいったんだよ!! 確かに『センテンススプリング』=『文春』だけども! 俺は『センテンススプリング』の使用法を聞いてたわけで、『文春』の使い方は聞いてないからなっ!!》
・・・はい、こちらからは以上で〜す。
《勝手に終りにしてんじゃねぇよ!》










自由テキスト

2016年02月04日

僕たちの「人生」自体が全て『依存』である、をプロデュース!〜清原容疑者逮捕の件に際して〜

ねぇ、今週のブログテーマは、「今年注目のチョコを教えて」ということですが、そんなことは、以前僕が創ったテキスト漫才『バレンタインデー』を見て頂けると分かると思う。

テキスト漫才『バレンタインデー』(漫才ヘヴン)→http://manzaiheaven.com/n/5cbb


まぁ「チョコ」と言えば「ビター」ということで、ちょっと「ビターな記事」になりますよ、今回は(話の持って行き方が強引すぎる)。

今一番「ビター」な、つまり、チョコのように「甘くない」現実と立ち向かっているのは、言わずもがな、清原容疑者でしょう。

清原容疑者のことは、だいたい僕のTwitter上→https://twitter.com/jiga_from_jigaで余すところなく書いたように思うので、ここでは、この件のキーワードである「依存」の本質について書いておく。

「依存」ときくと、だいたいの人が、「薬物」や「覚せい剤」や「セックス」のことを想起するだろうが、ここで定義する『依存』とは「生活全般」に渡る言動のことを指す。

それらは、「合法か」、「非合法か」の違いに過ぎない。

つまり、これを読んでいる貴方も、無関係ではないのだっ!!

分かってんのか! 清原を叩いている「街ゆく人たち」よ! ・・・このノロマが!!(?)

ゆえに、自分のこととして、以下の記事をお読み下さい。


というわけで今回は、『依存』の本質をプロデュース!


早速だが、ラッパーのGAKU‐MCさんの『a day in the life』という曲中に、こんな一節がある。

「いつものところに いつものものがない そんな小さなことで 僕らはおかしくなる」

この一節は、僕らの「生活全般」に渡る『依存』の本質を余すところなく言い当てていると言ってよい。


手始めに、僕らの「生活」の「小さな『依存』」から紐解いてみようか。

例えば、「携帯がなくなった」。
それだけで、貴方、大慌てでしょう? 誰とも連絡もつかないし、ネットにも接続できないわけですから。これ、いわゆる「携帯依存」ですよね。

あるいは、「自転車が盗まれた」。
それだけで、貴方、「あわわ、今日の仕事、間に合わないわ、どうしよう!」と大慌てでしょう?
これは別に、「車」でもいいし、「PASMO」でも構わないです。

あるいは、身近な例で言えば、「タバコがきれた」も、そうでしょう。一日吸えないだけで、もうイライラして、貧乏ゆすりが止まらないはずだ。

とにかく、たった一つ、たった一つでも、「生活」の「習慣」=『依存』を取られると、僕らはすぐにあたふたしてしまうわけです。

ここまでで、だいたい、『依存』の「本質」、分かってきて頂いたでしょうか?
次に、話を「人生」単位に移し、その『依存』の本質を暴いていこう、と思う。


――ここからは、「生きがい」=『依存』と定義させて頂く。

なぜなら、「生きがい」という言葉は、「かっこいいポジティブな言葉」だと思われているが、それを奪われたらおしまい、という意味では、「『依存』でしかない」という「ネガティブな側面」を有しているからだ。


例えば、「仕事」が「生きがい」の人が、定年を迎え、その「仕事」=「生きがい」を失った途端、何もする気がなくなった、というケースはよく耳にする話だろう。
つまり、逆説的に言えば、その人は「仕事」に『依存』していたのだ。
というわけで、はい、『依存』ハンコ、ポン!『依存』確定で〜す。(?)

あるいは、「家族」なども『依存』の代表例に入るだろう。
これもよく聞く話だと思うが、長く連れ添った夫婦が一組、いたとしよう。もう結婚して40年にもなる。ゆえに、夫の方は無口で、妻に対してロクに口もきかず、過ごしていた。決して冷たく接していたのではない。そんな不愛想な態度が、その夫にとっては当たり前だったのだ。
だが、ある日突然、妻が死んでしまったとする。
そうした途端、なんとたった一日で、その不愛想な夫の髪の毛が真っ白になってしまい、その日以来、廃人になってしまったという。
たとえ、お金も持っていても、豪華な一軒家を持っていても、妻という要素を引き抜いてしまえば、こんなふがいないことになってしまう。
これも、無意識のうちに、「妻」という存在に『依存』していた、ということが言えるだろう。

などなど、例を出せばキリがないが、僕たちの「生活」あるいは「人生」全般のすべてが、実は『依存』で成り立っていることがお分かり頂けただろう。

最後に、三島由紀夫のこんな言葉を置いておこう。
精神を凌駕できるのは、習慣という化け物だけなのだ。











自由テキスト

2016年01月23日

こんな寒い日には・・・・・・独り、短編小説を読むのが一番でしょう。

 
 
 こんな雪の降るような寒い日には、――小説を読むのが一番でしょう。
 以下に、初期の僕が書いた「雪」をテーマにした短編小説を。
 読者である貴方の心に、ちょっとした「灯り」がともればいいな、と思ってます。
 では。



タイトル『野暮ったいやつ』


 例えば、福岡などの九州でさえ降る雪が、なぜか関東だけは降らない、ということがよくある。
 そのたびに僕は、
「関東っていうのは、ほんと、気の利かない、野暮ったい奴だな。」
 と思ってきた。
 その呟きは、関東の野暮ったさについての感慨であると同時に、僕自身の中にある野暮ったさに対する感慨でもあったのである。
 本当に、雪ぐらい気軽に降ってくれさえいれば、こんな「別れ」にはならなかっただろうに、と口惜しく思われる、小さな小さな物語がある。それを物語ろう。
 当時、26歳の僕は、神奈川県の海老名市という片田舎に住んでいた。
 小説家を目指していた僕は、昼は地元の食料関係を取り扱う物流倉庫で働き、夜空いた時間に小説を執筆する、という生活を続けていた。一日の大半を倉庫内で過ごし、それも仕事が終わるのは大抵夜7時過ぎ、となると、当然、仕事終りに事務所の玄関から外に出ると、もうすでに辺りは真っ暗になっている。ゆえに、必然的にもう長いこと日中の日差しを浴びたことがなかったし、ましてや、西日の美しさを見る機会など皆無と言っていいほどなかった。
 うす汚れた喫煙室にて、あらくれ者たちとタバコを吹かしながら、とりとめもない雑談を交していると、何度となく「僕は一生、こんな世界の片隅で終わるのだろうか?」という考えに囚われたものだ。雑談に溶け込み、「顔」は笑っていたとしても、僕の「影」は泣いているに違いなかった。
 
 そんな倉庫内の仕事の中にも、一つの救いがあった。
 それは事務の中谷さんという女のひとの存在であった。僕は彼女のことが好きだったのだ。
 中谷さんは、事務所内でもなかなかの古株らしく、歳も36、7ぐらいと噂されていたが、未だに独身のようであった。どころか恋の気配すらなく、仕事一徹の堅物といった感じであった。面長の顔立ちで、顎が突き出ており、目も一重で光なく、かわいそうなほど顔中の至るところに赤いにきび痕が残っていて、少しも垢抜けていなかった。からだも小柄すぎるほど小柄で、足などは紺のハイソックスのせいか、小学生のようにさえ見えるほどで、要するに、女性としての色気はまったくと言っていいほどなかった。
 しかし、小さなくちびるを真一文字に締め、小さな背筋をぴんと伸ばし、書類をトントンと揃え、てきぱきと仕事をこなす姿は、僕にはとても理知的に見えた。中谷さんと僕の担当業務は違ったので、僕はそんな中谷さんの仕事姿を、ただ遠くから見つめるばかりであったのだが、僕が見た限りでは、中谷さんはそんな理知的に振る舞いによって、自身の女性としての深い苦悩を隠蔽しているように思えてならなかった。むしろ彼女が女性としての魅力のなさを、気にしていないかのように振舞えば振舞うほど、それが「影」として浮き彫りになるのだから、不思議なものだ。
 中谷さんの「影」は泣いている。僕はそこに好意を抱いてしまったのである。前述のとおり、僕も「影」が泣いていたのだから、この人とはきっと理解しあえる、と思い込んでしまったわけだ。
 しかし、担当業務が違うので、そもそも話す機会がなかった。万に一、あるとすれば、それは帰り際、雨の降っている日に限っていた。
 ある雨の日の仕事終わり、偶然にも、僕は中谷さんと事務所の玄関先で一緒になったことがある。
 その際僕は、
「雨、ですね。」
 と言った。
 中谷さんも平気な顔で、
「ですね。」
 とだけ言った。
 たったそれだけのやりとりであった。
 彼女はしっかり者であるから、小柄な体型にしては大きすぎるピンクの傘を携帯しており、それをぱっと開いて、「それじゃ、お先に失礼します。」と小声で僕に言い残し、しのつく雨の中へと消えていった。僕は僕で、安物の傘を持っていたのだから、お話にならない。そう。雨では駄目なのだ。お互いに傘を持っていれば、雨などなんの「きっかけ」ももたらしてはくれない。
 時間が過ぎるのは早いものである。季節はすでに12月になっていた。気温が一桁台の寒い日々が続いた。未だ雪は降っていないが、この調子ならこの冬は関東にも雪が降るだろう、と思われた。
 もし雪が降ったとしたら、中谷さんと急接近できるかもしれない。なぜならば、雪の場合、「雪が降ったこと」自体がすでに話のネタになるからだ。そうなれば、もはや傘の有無で一喜一憂する必要がなくなるわけだ。
 しかし、待てど暮らせど、関東だけは決して雪が降らなかった。
 12月という季節は、物流系、なかでもうちのような食料を取り扱う仕事にとっては、一番の書き入れ時らしく、多忙をきわめる。僕の担当する業務もそのご多分にもれず、12月から年末にかけて、過労死するほどの仕事量を押しつけられ、僕もめくらめっぽう八面六臂に立ち働かされた。その間はさすがに中谷さんのことを思い慕う余裕などなかった。
 年末が去り、1月に入った。しばらくしてから、ふと、事務所内に中谷さんの姿がないことに気がついた。
 これは後で聞いたことなのだが、彼女は12月中にはもうこの仕事を辞めることを決めていたという。
 中谷さんは、暇を見つけては度々、同期の大木さん(同期といっても、一回り上のおばさんなのだが)に、身の上相談をしていたらしい。大木さんは勿論、なぜその歳で仕事を辞めるのか、その理由を詰問したそうだ。すると中谷さんは、静かな口調で、「これからの人生を、一度、真剣に考え直してみたいんです。」とだけ答えたそうだ。
 そんな後日談を聞いて僕は、「やはり恋愛や結婚のことで悩んでいたのだな」としみじみ思った。と同時に、そんな彼女の裏の「人生問題」に僕という存在は含まれていなかったのだ、と思うと、真っ向から眉間を割られた思いだった。
 それを知らされた日の仕事帰り、呆然とした思いで外に出てみると、――馬鹿な話、雪が降っていたのだ。塵を散らしたようなボタン雪であった。泣けなかった。ただ、間の悪さに、胸が一杯になっただけだった。
 いくらこの雪が今日深夜から明日の朝にかけて断続的に降ったとしても、この関東地方においては、翌日には暖かい日差しを受け、跡形もなく消え失せるだけなのだ。おそらく、僕の彼女に対する思いも、この関東地方における雪のように、明日になってしまえば、仕事の忙しさの中へと埋没してしまうに違いない。やがて、彼女の存在自体もまた、次第次第に忘れ去られていってしまうに違いない。
 僕は長い間じっと、そのボタン雪を見るともなく見ながら、もし、彼女が辞める前に、雪が降っていたとしたらどうなっていただろう? と考えた。
 僕は、雪を見て、
「あ。雪、ですね。」
 と言う。
 中谷さんは、
「ほんとだ。雪ですね。」
 とやはり理知的に答えたに違いない。
 そして、白い息を弾ませて、ふたり、自然と同じ方向へと歩き出していたかもしれない。
 そんな甘い空想を思い浮かべていると、どうにも目が滲んできて、困った。僕はボタン雪を眺めたまま、やがて諦めたように白い息を吐き、苦笑しながら次のように呟く他なかった。
「おまえは、ほんと、気の利かない、野暮ったい奴だよ。」

2016年01月10日

「今年の目標」 feat. 「2016年日本はどうなるか」?&「ベッキーの不倫騒動における真の情報提供者は実は僕かもしれない」・・・をプロデュース!

どうも。

基本的に、毎日、何人観覧数が来ているのか、あるいは、ランキング(?)で何位になっているのか、とか、あるいは、数少ないコメントにも、まったく目を通さない主義の、ともなりたかひろです。

理由は、・・・はい、メンディーくさいからです。

まぁ、今日のテーマは、「今年の目標は?」っていう、fanblogさんからの要請ですけどね、このブログは「時事ネタブログ」という体裁ですし、時局も時局ですから、ちょっと「今年のテーマ」は横に置いておいて、“よく知ればゲス”(有吉の“よく見ればブス”を拝借)の「ベッキー」について、ちょっと語らせてもらいますけどね。

もちろん、「今年の目標は?」については後々、書きますよ。 ・・・たぶん。

で、ベッキーについてはですね、色々な人が色々な場所で書いているだろうし、今回の件を利用した「大喜利」(上手いことを言うこと)もネット上で散々出回っていることでしょう、なので、僕が改まって書くことは何もないので、ちょっと視点を変えて、僕らしく、つまり、小説家らしく、以下の図のように、「言葉」(句読点)の違いによって、ベッキーの「精神構造」を分析する「遊び」にとどめておきましょう。

ベッキーの略奪愛の精神構造.jpg


どうです?
当たらずとも遠からず、というところでしょう。

だから彼女は、あまりに「清く正しく美しい」という、芸能人としての「キャラ」=「自己像」を最初から打ち出していたから、「損」ですよね。

だって、これが、オアシズの大久保さんとかだったら、こんな略奪愛に走っても、全然「ネタ」(笑い)になるじゃないですか。

「ええ、不倫してましたよ。だって、最初から私はゲスですから」って言えますもんね。

そういうところを含めて、・・・ベッキー、残念だったね。

そんなことより、僕、ベッキーについて隠していることがあります。
・・・あの、ここだけの話ですよ?
これは、この記事を読んでいる貴方にだけ漏らす大事なので、他言しないように。
あのですね、今のベッキーの置かれている状況を、・・・誇張ではなく、栗原類54世(いや、山田ルイ54世みたいに言うな)よりもはるかに具体的に「具体的に予見」してたんですよ。

『人に迷惑をかけるな』(パブー・無料)→http://p.booklog.jp/book/76338

まぁ、それはさておき、「今年の目標」ですけど、・・・まず言いたいのは、「僕自身の目標」なんて、僕自身興味ないですし、どうでもいいです。特にないですし。
そんな僕の個人的なことはさておいてですね、ちょっと日本情勢がどうなるか、それを考えてみましょう。

では、「今年、日本情勢がどうなるか?」、お教えします。

答え。

・・・まったく、分かりません。

すみません、去年は「パクリ問題」が起こる(小説『太郎取扱説明書』→http://indiesbunko.com/index.php?IB_taro)とか、「水害」が起こる(小説『ひとつになるとき』→http://tb.antiscroll.com/novels/jiga619/18203)とか、ある程度「予見」できていたんですけど、今年に限ってはどうなるか、皆目、見当もつきません。

ただ一つ。

ただ一つ、「見えること」が、あるんです。

それは、「安倍総理、というか、自民党が、夏の参院選で勝つ」ということです。

それはなぜか?

答え、「安倍総理が、ズルいから」、です。

昨年、数々の政策を決定導入してしまった結果、国民生活にも良くない意味でさまざまな「変動」が起こりましたよね。

TPPで国内のお野菜が高い、とか。
増税で、懐が寒い、とか。
そのくせ、国民年金料は下がったり、とか。。

だから、今の一般的な国民は、・・・いいですか、ここが重要なのですが、――日々の生活にいっぱいいっぱいなので、「安倍政権反対!」なんて声をあげる「体力」がないほどに、「生活」に疲れきっているんです。

ゆえに、「反政府の声」は、昨年のシールズのように、「過激に高まる」ことはないでしょう。

繰り返すようだけど、安倍さんが決めた政策のせいで、日々の生活に「疲れてきっている」からね、僕たち一般国民は。

一般市民は不満がなくて「安倍反対!」を叫ばないのではなくて、不満はあるのだけど、安倍さんによって変えられた「生活」自体に「疲れ切っている」ので、半ば「投げやりで諦めがち」なわけです。

新政策導入で国民を「生活レベル」で「疲れさせて」、「反発の声」さえ国内から出させなくする――。

これが、安倍総理の「ズルさ」なわけです。

・・・あー、僕も疲れきっているよ、安倍さん、・・・クソ。

安倍さん。

あんたの首相官邸の屋上に、ドローンで、「子供用のドレス」を置いてやろうか。

もちろん、皮肉の意味で。(安倍さんには、子供がいないから)












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