車のまま生き埋めになったのだろう。
捜索はいったん打ち切られてしまいそのまま。
だが、母親たちは自ら捜し歩き続けて、とうとう発見したという。
執念とはこういうことだろう。
Yahoo!より、
【熊本の記憶】「一緒に帰るよ」発見まで4カ月間、執念の捜索 諦めなかった家族
8/11(火) 14:00配信
KKT熊本県民テレビ
https://news.yahoo.co.jp/articles/19899a9482362c7973dbb99145583de3a245f58e
記事より、
熊本県南阿蘇村で土砂崩れの犠牲になった大学生の大和晃(ひかる)さん。
安否が分からなくなり、発見されたのは地震から約4か月後の8月11日でした。
あれから4年―。晃さんの両親は、捜索に協力してくれた人たちの家を1軒1軒訪ね、感謝の気持ちを伝え続けています。
地震で土砂崩れが発生 阿蘇大橋が崩落した
家族は警察や村役場に捜索を依頼。しかし、返ってきたのは「2次災害のおそれもあり危険で現場に近づけない」という回答でした。
父・卓也さん
「中に入れなくても調査はやっているとあれば私も納得できるが…」
母・忍さん
「会いたいです。抱きしめたいです」
本震から4日後。ようやく晃さんの捜索が始まりました。
使われたのは遠隔から操作する無人の重機。
しかし、捜索現場がいつまた崩れてもおかしくない危険な場所であったため、
それも10日あまりで打ち切りになりました。
土砂が流れ落ちた谷底にいたっては、立ち入ることすらできませんでした。
そこで家族は決断します。
父・卓也さん
「自分たちが動いて晃を見つけ出す」
【執念の捜索、帰ってきた息子】
行方不明から1か月後。崩落現場の下流の町に家族の姿がありました。手作りのチラシを配り情報を求めたのです。晃さんが乗っていたのは黄色い車。来る日も来る日も一軒一軒家をまわり、息子の手がかりを捜し続けました。
7月には自分たちで河川敷の捜索も始めました。梅雨で水かさが増した川でも車体の黄色を手掛かりに探します。捜索に参加してくれる仲間も出てきましたが、車は見つかりませんでした。
母・忍さん
「正直たまに諦めかけて、河原歩いていればこのまま川に身をと思うことも…」
そして、梅雨が明けた7月下旬。崩落現場に近い崖の下におりる大和夫婦。
車らしきものを見つけたのです。そこにあったのは黄色い金属の塊でした。
父・卓也さん
「間違いないです。確実に間違いないです」
さびついてはいるものの黄色い塗装の車。この中に晃がいるに違いない。
素手で車にかぶさった泥を掻き出す母・忍さん。しかし、車はびくともしません。両親が車を見つけたのは阿蘇大橋から400メートル下流。車は大きな岩に挟まれ中を確認することはできません。忍さんは日没が近づいてもその場をなかなか離れることができませんでした。晃が寂しくないように・・・忍さんは自分で折った千羽鶴を置いていくことにしました。
家族の執念によって再開した本格的な捜索。岩を爆破するなど車を引き上げる作業が続きました。そしてついに捜索再開から2日後。車の中から晃さんが見つかりました。
「ひかるー!」
4か月ぶりに帰ってきた息子。
こうした執念の捜索はやはり家族によってしかできないと思う。
もちろん長い年月ののちに車が発見されることは十分あり得る話だが、そのスピードという意味では家族の執念に勝るものはないということだ。
公には限界があるのだ。
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