1986年に瀬戸大橋が完成。
それから33年。
ある意味、よく併存してきたとも言えるだろう。
Yahoo!より、
宇高航路フェリー「航路に育ててもらった」 元船長、感謝 15日最終運航
12/14(土) 12:32配信 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191214-00000023-mai-soci
記事より、
高松港(高松市)と宇野港(岡山県玉野市)を結ぶ「宇高航路」のフェリーが15日を最後に運航を休止し、1910年の開通以来、初めて四国と岡山の直通航路が途絶える。運航する「四国急行フェリー」(高松市)で約20年間船長を務めた青木博さん(63)=高松市=は「航路が人生の全てだった。さみしいけれど、本当にありがとう」と
開通から109年。宇高航路は戦後の復興、高度経済成長、バブル経済崩壊など時代が移りゆく中、本州と四国を結ぶ物流の大動脈としてだけでなく、通勤・通学の足としても市民生活を支えてきた。国土交通省四国運輸局によると、87年度には民間3社の船を約400万人が利用。バス、大型トラックなど約190万台の車両を運び、お盆や年末年始には親子連れでごった返した。青木さんは仲間の船員と交代で仮眠を取りながら、1日10往復する時もあったという。
55年には連絡船同士の衝突で168人が死亡する大惨事もあり、「二度と事故を起こさないよう、常に緊張感があった」と青木さん。サワラ漁の流し網に注意してかじを取り、台風が来る時には風に流されないよう必死に船の姿勢を保った。「経験に裏打ちされた勘が重要だった」と振り返る。
瀬戸大橋が開業した88年度には、航路利用客が約220万人に急減。高速道路の料金割引などもあり、利用客数は右肩下がりで、運航会社の撤退や減便が相次いだ。青木さんは「私の仕事は乗客を無事に降ろすこと。一日一日が勝負」と気を緩めず、無事故で17年に定年を迎えた。既に、フェリーは同社の1日5往復だけになっていた。そのフェリーも赤字が続き、16日から運航を休止することが11月11日に発表された。
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