コカイン瀧の作品が、ピエール瀧の作品よりも良いとすれば、それはルール違反ということだ。
芸能界も競争の激しいところ。
ルール、この場合は法律、を守って初めて同じ条件となる。
無法ならなんでもありだろうが、そこは法治国家で許されるものではない。
作品に罪がないについて、明確に否定する言葉は清々しい。
Yahoo!より、
松本人志“飲酒して番組やってるお前もドーピングだろ”という声に反応
3/18(月) 18:39配信 スポニチアネックス
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190318-00000200-spnannex-ent
記事より、
・「ダウンタウン」の松本人志(55)が18日、自身のツイッターを更新
・「もしかしたら、薬物という作用を使って、素晴らしい演技をしていたと思ったら、それはある種ドーピングなんですよ。ドーピング作品になってしまうので僕は監督しては公開して欲しくないですけどね」と持論。「5、6番手のちょい役の人でそこまで言うのか、となると分かれてくるところ」と前置きし、「作品に罪はある、罪はないってことで言うと、僕は場合によっては(罪は)あると思う」と
・「役者さんが女性問題で暴行とかはドーピングではないので、被害者との問題になってくるので全然別問題ですけど」としつつも、音楽作品などについても「レコーディングの時にそういうことをしていて、もしすごくいい物ができたのだとしたら、それはドーピングだと思うのでダメだと思いますね」と主張。瀧容疑者については「好きなんですけど…。皆が『いい役者だったのに』って言うんですけど、あなたが言う役者の時、何かやっていたかもしれないよって思う。完全に薬が抜けた時のピエール瀧の演技を見てみたいと思います」
とてもわかりやす表現。
ドーピング作品という言い方は良い。
演技でも音楽でもそうだ。違法作品ということだ。
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