だが、それをもって差別をされているというのは日本においては当たらない。
今回の水田論文というものも、支援がすぎるのではないかという批判だと素直に読めばいいだけの話。
過剰反応をしたのはマスコミや、活動家たちによる工作としか言いようがない。
そもそも週刊誌の内容については編集長に責任があるのが一般的だ。
社長が雑誌の内容について逐一検閲をしたり、ましてや責任を取るような姿勢を見せるのはおかしい。
出版社というのは、言論の自由を実現する手段をもっている大切な社会の仕組みの一つなのではないか?
いわば言葉を運ぶ器なのだ。
今回のように「新潮45」という紙媒体を休刊するということがどんな意味をもつのかということ。
気に入らない雑誌ならば単に編集者を首にすれば済むだけの話ではないか。
逆に、今の社長が編集長に圧力をかけて、水田論文を掲載、また、反論に対する反論も企画までしたというのだろうか?
生産性という言葉の表現の稚拙さだけを巡って話題になった程度の話。
本当に生産性という言葉をもって訴えたかったのは、日本人の消滅の危機をなんとかしたいという重いからだろう。
日本の少子化は非常に深刻だ。人口というのは単純に国力なのだ。
そして、日本人がこの世からいなくなるくらいに深刻な少子化。
女性の権利を主張することで、産めよ増やせというのはタブーとなってしまった今の日本。
晩婚化は進み、卵子が年令とともに劣化するということに目をそむけて、不妊治療に大金を投じるような世界が健全といえるだろうか?
言葉の良し悪しはあるにしても、水田論文を景気に少子化について真剣に考える必要がある。
絶対に言論封殺のような社長による雑誌の休刊ということではないはずだ。
Yahoo!より、
新潮社、「新潮45」の休刊を発表 杉田水脈氏の寄稿文問題で批判
9/25(火) 17:33配信 ハフポスト日本版
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180925-00010003-huffpost-soci
記事より、
・8月号に杉田水脈氏が同性愛者について「生産性がない」と記した寄稿文を掲載、さらに10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した特集を組んで批判を浴び、社長が9月21日付けで「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」があったと認める声明を出す事態になっていた
・「会社として十分な編集体制を整備しないまま『新潮45』の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました」と宣言
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