2016年04月16日
「療育なんて行ってもしょうがない」という言葉
我が家の自閉症の子供達は、揃って病弱なため
小児科には かなりの頻度でお世話になっている。
産院は、大きな病院で 我が子達の事情も熟知しているので
本当は、いつだってそこに行きたい。
しかしながら、重症でない時まで行くのは憚られるため
その都度、スムーズに受診できそうな小児科を選んで行っている。
通院可能な小児科は、どこも小規模でスタッフも少ない。
受診する子供の人数や状態、こちらの人手の状況次第では
小児科や他の患者さんに 迷惑をかけまくるからだ。
そのため、複数の小児科にかかっている状況である。
しばらくは、やむを得ないところだろう。
これらの小児科は、いずれも「発達相談」を行っているが
我が家としては、「発達相談」の目的で行ったことはない。
ただ、風邪や胃腸炎などの受診時に、
すでに我が子らが「自閉症」と診断されており
現在、療育に通っていることを伝えた。
検査や薬の処方時に 考慮してもらえることがあるからだ。
すると、ほとんどの小児科医師はこう言った。
「療育なんて行ってもしょうがないから」
そして、何人かの医師はさらに続けた。
「療育なんて、他に仕事がない奴がやってるんだ。」
「他にすることがないから、通ってるわけだよね。」
その上、ある医師は こちらが尋ねてもいないのに
自分の出版物や講演内容とは異なる見解を 延々と展開し
「親の育て方が悪いから、自閉症になった」とまで言及した。
発達障害関係の出版物や講演などでは
親の耳障りの良いことを並べた方が 評判が良いのは当然だ。
つまり、そこは、大人の事情というところか。
それとも 寝ボケていたとでもいうのか。
第1子に自閉症の診断を下した産院では、
「療育機関は玉石混合だから」と言われた。
そして、私自身も、それに同意する考えに至っていた。
cf.「我が子が初めて受けた新版K式発達検査の結果」 「療育という名のトンネル」 「解約」 「はずれの先生」
私は、「自閉症を、療育で治そう」とは考えていないし
「どの療育に行ってもしょうがない」とも 思わない。
現代医療では、手が打てないということだから
「主に、困難を減らすために」 やむを得ず療育に通っている。
他にすることがない主婦の暇つぶしではない。
そして、先の見えない生活の中で モチベーションはとても重要なのだ。
もう少し、丁寧に言葉をつかって欲しい。
さらに言うならば、「発達相談」を掲げる医師として
自分に手が打てないことについて 何も感じないのか。
そんな発達相談こそ、行ってもしょうがない。
診察室で、なぜかタイムリーに奇声をあげる我が子らを前にして
上記の医師達に、このような言葉を発することは 一度もなかった。
・・・母まで怪鳥になってはいけない。
cf.「自閉症児と奇声と外出と」
小児科には かなりの頻度でお世話になっている。
産院は、大きな病院で 我が子達の事情も熟知しているので
本当は、いつだってそこに行きたい。
しかしながら、重症でない時まで行くのは憚られるため
その都度、スムーズに受診できそうな小児科を選んで行っている。
通院可能な小児科は、どこも小規模でスタッフも少ない。
受診する子供の人数や状態、こちらの人手の状況次第では
小児科や他の患者さんに 迷惑をかけまくるからだ。
そのため、複数の小児科にかかっている状況である。
しばらくは、やむを得ないところだろう。
これらの小児科は、いずれも「発達相談」を行っているが
我が家としては、「発達相談」の目的で行ったことはない。
ただ、風邪や胃腸炎などの受診時に、
すでに我が子らが「自閉症」と診断されており
現在、療育に通っていることを伝えた。
検査や薬の処方時に 考慮してもらえることがあるからだ。
すると、ほとんどの小児科医師はこう言った。
「療育なんて行ってもしょうがないから」
そして、何人かの医師はさらに続けた。
「療育なんて、他に仕事がない奴がやってるんだ。」
「他にすることがないから、通ってるわけだよね。」
その上、ある医師は こちらが尋ねてもいないのに
自分の出版物や講演内容とは異なる見解を 延々と展開し
「親の育て方が悪いから、自閉症になった」とまで言及した。
発達障害関係の出版物や講演などでは
親の耳障りの良いことを並べた方が 評判が良いのは当然だ。
つまり、そこは、大人の事情というところか。
それとも 寝ボケていたとでもいうのか。
第1子に自閉症の診断を下した産院では、
「療育機関は玉石混合だから」と言われた。
そして、私自身も、それに同意する考えに至っていた。
cf.「我が子が初めて受けた新版K式発達検査の結果」 「療育という名のトンネル」 「解約」 「はずれの先生」
私は、「自閉症を、療育で治そう」とは考えていないし
「どの療育に行ってもしょうがない」とも 思わない。
現代医療では、手が打てないということだから
「主に、困難を減らすために」 やむを得ず療育に通っている。
他にすることがない主婦の暇つぶしではない。
そして、先の見えない生活の中で モチベーションはとても重要なのだ。
もう少し、丁寧に言葉をつかって欲しい。
さらに言うならば、「発達相談」を掲げる医師として
自分に手が打てないことについて 何も感じないのか。
そんな発達相談こそ、行ってもしょうがない。
診察室で、なぜかタイムリーに奇声をあげる我が子らを前にして
上記の医師達に、このような言葉を発することは 一度もなかった。
・・・母まで怪鳥になってはいけない。
cf.「自閉症児と奇声と外出と」
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