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2019年07月02日
家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨 <43 ひき逃げ>
ひき逃げ
絵梨が無事に妊娠4カ月をむかえたころ、小樽から刑事がやってきた。なんでも長谷川が深夜の高速道路ではねられて亡くなったそうだ。酔って高速道路を歩いていたらしい。ひいた車は見つかっていないということだ。自死か事故死か、いずれにしてもひき逃げ事件だった。
刑事は「申し訳ありません。とりあえず関係者の方全員にお話を伺っています。こちらのお嬢さんが以前離婚されているようなので、事情をお伺いしたいと思いまして。」といった。
僕は「たしかに娘は長谷川さんに嫁いでいましたが離婚してから、もう5年になります。今はもう関係者じゃありません。」と断った。刑事は。「よく承知しています。ただ、離婚の経緯を伺いまして、こちらのお嬢様は長谷川さんを恨んでおられるのではないかと思いまして。」ときたので、「私どもは家族で長谷川さんを恨んでおります。亡くなられたと聞いても別段悲しくもありません。ただ、そんなことで時間を割くほど暇でもありません。」と少し気色ばんでしまった。
そして「娘は今は再婚しております。妊娠4カ月目です。以前のこともありますので、ご質問は私どもだけでお願いしたい。娘には余計なストレスを与えたくありません。もう二度と以前のような辛い思いはさせたくないんです。」といった。
横で聞いていた真梨も「どうぞ、ご質問には何でもお答えいたします。娘はどうぞ、そっとしておいてくださいませ。よろしくお願いいたします。」と丁寧に頭をさげた。
刑事は「もちろんです。お嬢様に余計な心配をおかけするのは私の方でも本意ではありません。どうも、お門違いに寄せていただいたようですな。お幸せの最中につまらないこともなさいませんよね。」と言って座を立ちかけた。
その時、刑事は急に何かを思い出したようで「奥さん、お恥ずかしいんですが、ちょっと筆を貸していただけませんか?筆を忘れてきてしまいました。」といった。唐突な頼まれごとで真梨は虚をつかれたようだった。「筆ペンでよろしいですか?私どもは不調法で筆はおいておりませんのよ。筆ペンなら薄墨用もございますよ。」と答えた。
刑事は「いや、奥さん失礼いたしました。なければ結構です。実はウチが調べているのは、これなんですよ。」と言って一枚の紙を見せられた。脅迫状のコピーだった。毛筆で「お前のせいで死んだ。お前を絶対に許さない。」と呪文のように何度も書かれていた。
おぞましさに顔が引きつった。刑事は「嫌なものをお見せしてすみません。」と謝った。もちろん思い当たることは無いと答えた。「お嬢さんは毛筆は?」と聞かれたので「いや、まったくできないと思います。習わせたこともないので。」と答えた。
刑事は簡単に納得して帰った。さほど熱心に捜査する気もなさそうだった。長谷川は医療過誤の訴訟問題も抱えているといっていた。刑事が帰って、なんとなく真梨も僕も疲労感に襲われて黙っていた。
僕は脅迫状に心当たりがあった。ひどい嫁いびりにあって流産を経験している女を知っている。流産後に逃げるように大阪へ出た。その女は筆耕という毛筆の技術を買われて田原興産に事務員として採用された。そして田原興産の息子と恋に落ち、その妻になった。絵梨はその女の孫だった。
母と純一は1年弱同居している。その間にずいぶん親しくなっていったようだった。純一は長谷川への恨み言を母に打ち明けていた。その恨み方が激しすぎることで大阪の人間が純一の絵梨への恋心に気が付いたのだ。それが結局純一と絵梨の結婚に結びついた。
この時期母は、もし、純一と長谷川が出会うようなことが合ったら、ただでは済まないと心配していた。母は女を虐待するタイプの男は執着心が強いことも熟知していた。実際、自分が前夫に重傷を負わされていた。絵梨の身に危険を感じていたのかもしれない。
僕の母は自分と同じ目にあった孫の復讐をしようと企てたのだ。長谷川が不慮の死を遂げたのは母の執念かと思えた。いや、単なる復讐心ではなかったかもしれない。身重の孫の木を守るために何かをしたのかもしれなかった。最悪のことを考えて、わざと目立つ毛筆にしたのだ。自分が刑に服す覚悟を決めていたのだろう。
「ママ、ぎりぎりセーフや。心臓がガチャンと音を立てて割れそうになった。びっくりさせたらいかん。」と心の中でつぶやいた。
続く