新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2019年07月01日
家族の木 THE SECOND STORY 俊也と真梨 <43 妊娠と急逝>
妊娠と急逝
絵梨と純一が結婚して8カ月ぐらい経ったころ、夫婦でケーキを持って遊びに来た。2週間に一度ぐらいの割で遊びに来ては夕食をして帰るのが習慣になっていた。
その日は絵梨の目の下にうっすらと隈が出ていた。それに少しばかりやせた気もする。こっそり純一を捕まえて、少し慎むように言うと直立して神妙に「すんません。」といった。思わず苦笑いしてしまった。内心「人のことが言えた義理か!」と新婚時代の自分を責めた。
幸福な日々が続いた。ある夕方、純一たちの家の夕食に招待された。食事は近所のイタリア料理店からのテイクアウトだった。招待しておいて店屋物か?と拍子抜けしてしまった。「すいません。絵梨は自分で作るといったんだけど僕が止めたんだ。無理しちゃいけないと思って。」と純一が言った。「無理?どうした?体調が悪いのか?」と聞くと絵梨が「まあ、ひどくはないんだけど、ちょっとむかつくかな?」と答える。
また純一を責めそうになったが真梨が嬉しそうにしていた。「いつ分かったの?」「一昨日の夜、お医者さんに行ったの。3カ月だって。」という母子の会話でやっと話の流れが分かった。ワインを進められたが早めに帰った。絵梨の負担にならないようにした。
家に帰ってから真梨に「純一に慎むように注意したんだが的外れだったな。」と話すと真梨は「慎んでたらできないじゃないの。キャッハッハ」と少し卑猥な感じで笑った。僕もつられて、ギャハハと破廉恥な笑い方をしてしまった。有頂天とはこのことだった。
だが有頂天はその夜限りで、真梨は神経質と思えるぐらい絵梨のそばを離れなかった。おかげで、こちらは飯も手抜きになってしまった。純一も毎日「ママ頼みます。」と声をかけて出勤した。家族全員で絵梨とおなかの子供を気遣っていた。
絵梨の妊娠を伝えると聡一も大層喜んだ。聡一にとっても僕たち夫婦にとっても初孫だった。不思議なことに美奈子さんまで初孫フィーバーに参加した。もちろん僕の母も初ひ孫に大喜びだった。純一と僕が直接出向いて母に報告した。
母は、その1か月後に狭心症発作を起こして入院した。不幸な結婚生活から子供を連れて逃げ出してから57年の歳月が経っていた。僕が孫を持つような年になるまでよく生きていてくれた。初ひ孫の誕生を心街にしながら、たった12日間の闘病で亡くなった。
純一は僕が見舞いにいけない日も母を見舞った。母と純一は大阪暮らしの間にずいぶん仲良くなっていた。純一は母にはいろいろなことを打ち明けていたようだった。
続く
絵梨と純一が結婚して8カ月ぐらい経ったころ、夫婦でケーキを持って遊びに来た。2週間に一度ぐらいの割で遊びに来ては夕食をして帰るのが習慣になっていた。
その日は絵梨の目の下にうっすらと隈が出ていた。それに少しばかりやせた気もする。こっそり純一を捕まえて、少し慎むように言うと直立して神妙に「すんません。」といった。思わず苦笑いしてしまった。内心「人のことが言えた義理か!」と新婚時代の自分を責めた。
幸福な日々が続いた。ある夕方、純一たちの家の夕食に招待された。食事は近所のイタリア料理店からのテイクアウトだった。招待しておいて店屋物か?と拍子抜けしてしまった。「すいません。絵梨は自分で作るといったんだけど僕が止めたんだ。無理しちゃいけないと思って。」と純一が言った。「無理?どうした?体調が悪いのか?」と聞くと絵梨が「まあ、ひどくはないんだけど、ちょっとむかつくかな?」と答える。
また純一を責めそうになったが真梨が嬉しそうにしていた。「いつ分かったの?」「一昨日の夜、お医者さんに行ったの。3カ月だって。」という母子の会話でやっと話の流れが分かった。ワインを進められたが早めに帰った。絵梨の負担にならないようにした。
家に帰ってから真梨に「純一に慎むように注意したんだが的外れだったな。」と話すと真梨は「慎んでたらできないじゃないの。キャッハッハ」と少し卑猥な感じで笑った。僕もつられて、ギャハハと破廉恥な笑い方をしてしまった。有頂天とはこのことだった。
だが有頂天はその夜限りで、真梨は神経質と思えるぐらい絵梨のそばを離れなかった。おかげで、こちらは飯も手抜きになってしまった。純一も毎日「ママ頼みます。」と声をかけて出勤した。家族全員で絵梨とおなかの子供を気遣っていた。
絵梨の妊娠を伝えると聡一も大層喜んだ。聡一にとっても僕たち夫婦にとっても初孫だった。不思議なことに美奈子さんまで初孫フィーバーに参加した。もちろん僕の母も初ひ孫に大喜びだった。純一と僕が直接出向いて母に報告した。
母は、その1か月後に狭心症発作を起こして入院した。不幸な結婚生活から子供を連れて逃げ出してから57年の歳月が経っていた。僕が孫を持つような年になるまでよく生きていてくれた。初ひ孫の誕生を心街にしながら、たった12日間の闘病で亡くなった。
純一は僕が見舞いにいけない日も母を見舞った。母と純一は大阪暮らしの間にずいぶん仲良くなっていた。純一は母にはいろいろなことを打ち明けていたようだった。
続く