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2023年08月06日

日本を愛する外国人 スティーブ ジョブズ

ジョブズ氏は、生後まもなく養子に出され、常に自分はなぜ生まれてきて、どういう生き方をすべきなのか意識していました。高校ではLSDを試し幻覚体験をし、リード大学時代では導師を求めてインドを訪れたりしていました。その旅費の捻出のため、アタリ社に力づくで入社したほどでした。実際には、インドが、探し求めていたものとかけ離れていたために帰国します。その後は東洋の禅に特別な関心を持つようになります。
そしてサンフランシスコ ロスアルトスの禅堂で鈴木俊雄、知野弘文との出会いがありました。
『宿無し弘文 スティーブ ジョブズの禅僧』柳田由紀子著 を読み終え、弘文禅師がどのような方であったのかを知ることになりました。
著作に載せておられるだけでも、31人の方とインタビューされている。
6年以上をかけ、日本、アメリカ、スイス、オーストリアを何回も往復して。
曹洞宗北アメリカ国際布教総監、ジョブズの友人、弘文の養母、永平寺雲水時代の同期、弘文の最初の妻、スイス フェルゼンタール禅堂主宰者、カトリック修道女、そしてやっとの思いで会ってくれた再婚したあとの長女 タツコ乙川。
タツコさんのお話を聴いて、事情は一変します。今も重くのしかかってきます。
英文の参考文献が34、和文68が巻末にあります。禅宗に留まらず仏教の成り立ちとその奥へと迫ります。
ジョブズが自ら創業したアップルを彼の『傲慢さ』のゆえに追放されたのですが、その不遇の時代を乗り越えられたのは弘文から学んだところによるものと言っていいのかと思います。
膵臓がんが見つかりましたが、東洋医術に傾倒していたため西洋の外科手術を拒み、死期を早めたことにつながりました。
乙川弘文氏は「円を描くような呼吸」(自我と宇宙が持ちつ持たれつ影響しあっているということでしょうか)、を追い求めたがゆえに、非業の死を遂げたのかもしれません。
著者は、アメリカの若者に少なからず影響を与えてきた宗教家に、どこかにあると信じる救いをいまなお求め続けています。
この事例だけを鑑みて、道元禅師の説いた教えがこうであったとはいまの私には到底考えが及ばないところです。


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