その女性ユニオンでは、主にMR(営業)に医薬品の売り方など、電話でアドバイスしていた。それも、一日20か30名位の女性後輩達だった。自分は、彼女らが自分の風俗に行かないのを慕う事、また、自分のアドバイスに素直に従い、生き生きとドクターなどを、活気づけて行くのを頑張りの素にしていた。実際、自分は当時東証一部上場だったB製薬では、26歳の時には、社長後補とされていて、入社4年目の夏の賞与までは、評価が高かった(しかし、その頃は年収では差が出来にくかった)。しかし、B製薬のN坂氏が介入した様で、入社4年目の冬からは、どんどん同期入社の中でも、年収が伸びず差が出来て、退社頃は同期入社で最低の年収だったと思う。彼は、久木野謙司は自分が見出した、久木野は最低の評価で年収が増えなくしたら、活動量に差が出来るか試してやる、そして、最低の評価から、いきなり社長にシンデレラの様にさせてやると考えていたのだろう。
自分が28歳の頃、2000年11月に、新入社員向けの講演会で講師をしたが、その頃は、女性ユニオン設立の発起人をしていて、女性後輩達にどうすれば、医薬品を売れるかなどアドバイスをしていて、彼女らも実践して、かなりの実績を上げていた。そして、2000年の冬の賞与について、2000年入社の新入社員から聞いたが、自分は1994年入社だったが、その彼女に賞与で越されていた。彼女らは、自分のアドバイスのおかげで売上実績を残したが、自分は、B製薬のN坂氏の介入により、殆ど賞与が増えなかった。自分の年収の低さは、自分がおかしいと主張して、社長のN坂氏以外の、取締役や親会社米国M社など全員が、問題だと共感したが、結果は、N坂氏が意見を押し切った。因みに、自分が高知県でHMG-CoA還元酵素阻害剤のとある製品を、転勤直前には全国で一番実績のある県にしたが、自分の転勤後に担当した人達は、自分が転勤後に売上を減らしたが、彼らは高い年収を得た、実際にその元の売上を作った久木野は、最低の年収になっていると主張した。社長のN坂氏以外の全ての人が、おかしいと共感した理由は、実際にその売上を作った久木野が、年収が少なく、その売上を自分の転勤後に減らした人は、全国から見たら売上がいいからと、年収が増えている事だった。あの時は、鬼の様にトコトン売ったのを覚えている。
そして、女性ユニオン設立の発起人だった頃、女性後輩達と毎日、電話をしていたが、彼女らの一人が、自分から何か情報や良い意見を貰う事ばかり考えて、毎日何を話してくれるのかなと貰う事ばかり当てにして電話して来るのに、嫌気がさして、電話が来ても、その子とは会話したがらなくなった。
その時に、自分がその子に言った言葉は「あなたは、何かを貰えます、理由は何でだと思いますか?」と尋ねた。自分は、「上げたから、貰える」というのを回答と思っていた。しかし、その子は「余っているから?」と答えた。自分は、女性後輩達は、皆、こんなんなのか?と、他の女後輩達にも同じ質問をした。女性ユニオンの代表をしていて、自分の手足の様に動いてくれる、1995年入社の女後輩の回答は「ご褒美ですか?」と、自分の満足出来る回答(頑張ったから貰えるという内容)をしてくれて、殆どの女性後輩達はタカリでは無い感じだった。ただ、他の一人の女性後輩は、「何か、くれるのかな。久木野さん、何かくれるんだ!」と、貰う事ばかり考えている感じで、余っているからかな?と回答した子と、似た回答をした。
自分の考えは、当時・2000年末には「上げたから、貰える」というものだった。ただ、2023年5月(51歳)の今は、当時28歳の頃とまた異なり、「見返りを求めなくても、捧げる感じで、上げる一方でもいいのではないか?」という感じになって来た。自分は、周りから一杯貰って来たし健康で知力にも恵まれて来たから、知力の余裕による上から目線で、他者に見返りを求め無くて捧げてもいいのではないかと、ふと感じてしまう。
ただ、独身で彼女は募集していますが。
2023年5月7日(日)
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