2015年10月02日
イン・スニ、韓国の全世代から好かれる歌手
K-POP情報ではあまり聞きなれない名前「イン・スニ」ですが、韓国では全世代から好かれる歌手として有名です。彼女の活動と人気の秘訣がこの1ページでわかります!
(本記事でリンクしているYoutube動画はすべて著作権者であるKBSとYTNがアップロードしたものです。ご安心ください(^_-)-☆)
イン・スニ(인순이)は1957年生まれの女性歌手です。1978年にデビューし、83年にリリースした「밤이면 밤마다(バミニョン バンマダ)」(訳:夜な夜な)が大ヒットします。その当時の映像ではありませんが、2014年にイン・スニ本人がテレビ番組で歌った映像があります。ご覧ください。
この曲で大ヒットするも人気は長続きすることなく、イン・スニはナイトクラブの歌手として活動を続けていきます。
歌唱力に定評のあったイン・スニでしたが、ナイトクラブの歌手として表に出ない活動を続けていました。そんな彼女を再び表に復帰させたのは、JYPという名で知られる韓国の大物プロデューサー「パク・ジンヨン(박진영)」です。
イン・スニは1996年にテレビに復帰し、2004年にはラップ歌手とコラボレーションした「チングヨ(친구여)」(訳:友達よ)が大ヒットします。その当時の映像があります。ご覧ください。
この曲は当時アイドル歌手の戦国時代となっていた韓国の歌番組で堂々と1位を獲得します。当時1位を争ったアイドルグループは今も活動している「ワンダーガールズ(원더걸스)」でした。この「ワンダーガールズ」をプロデュースしたのは、実はJYP!パク・ジンヨンさんなんです。
イン・スニは歌唱力を武器に幅広いジャンルの歌を歌いこなす歌手です。先ほどのディスコ風の歌はもちろんラップ歌手とのコラボもこなす彼女は、演歌歌手としても人気があるんです。その映像もご覧ください。
韓国でお年を召した方に絶大の人気を誇るジャンルである演歌(トロット)もこなすイン・スニです。韓国の全世代から好かれる秘訣の一つは、そのジャンルの幅の広さにあるといえます。
イン・スニの映像をご覧になってすでにお気づきでいらっしゃると思いますが、彼女はハーフです。韓国人の母と駐韓米軍のアフリカ系の父の間で生まれました。彼女の若き時代、韓国の1960年〜70年代は外国人も珍しかった時代です。なのでハーフが珍しがられるのはなおさらです。彼女は外見から様々な差別を受けてきたといいます。
1983年デビュー当時も、歌唱力で人気を得たものの、ハーフであることで差別にあい、ナイトクラブのような裏の舞台に行くしかなかったそうです。韓国は1988年のソウル・オリンピックをきっかけに急速に現代化が進んだといわれていますが、それを考えてみると1983年の韓国の社会的な雰囲気が予想できると思います。
差別を乗り越え、努力を続けてきた結果、彼女は大人気の歌手になりました。このような背景もあり、彼女の歌は聞く多くの人に感動を与えています。その中でも特に人気のあるおすすめの曲は「ゴウィイ クム(거위의 꿈)」(訳:ガチョウの夢)です。映像でご覧ください。
歌詞の訳もどうぞ。
今のイン・スニは韓国の国民栄誉賞である国民勲章の授章者であり、数々の歌手大賞を受賞、大学の教授で学部長も務める、尊敬される人物です。
2015年で韓国の数え年で58歳になったイン・スニは驚きの挑戦もしています。ニュースでも紹介されています。なんと、ボディービルダーになったのです。映像でご覧ください。
イン・スニがパフォーマンス部門で2位を収めたというニュースです。
今でもテレビやコンサートなどで引っ張りだこなイン・スニ。終わらない彼女の挑戦とパワフルな歌唱力は韓国の国民に感動を与えています。
(本記事でリンクしているYoutube動画はすべて著作権者であるKBSとYTNがアップロードしたものです。ご安心ください(^_-)-☆)
1.イン・スニ、デビュー後大ヒットするもナイトクラブの歌手に
イン・スニ(인순이)は1957年生まれの女性歌手です。1978年にデビューし、83年にリリースした「밤이면 밤마다(バミニョン バンマダ)」(訳:夜な夜な)が大ヒットします。その当時の映像ではありませんが、2014年にイン・スニ本人がテレビ番組で歌った映像があります。ご覧ください。
この曲で大ヒットするも人気は長続きすることなく、イン・スニはナイトクラブの歌手として活動を続けていきます。
2.1996年テレビに復帰、それはあの有名人の誘い!
歌唱力に定評のあったイン・スニでしたが、ナイトクラブの歌手として表に出ない活動を続けていました。そんな彼女を再び表に復帰させたのは、JYPという名で知られる韓国の大物プロデューサー「パク・ジンヨン(박진영)」です。
イン・スニは1996年にテレビに復帰し、2004年にはラップ歌手とコラボレーションした「チングヨ(친구여)」(訳:友達よ)が大ヒットします。その当時の映像があります。ご覧ください。
この曲は当時アイドル歌手の戦国時代となっていた韓国の歌番組で堂々と1位を獲得します。当時1位を争ったアイドルグループは今も活動している「ワンダーガールズ(원더걸스)」でした。この「ワンダーガールズ」をプロデュースしたのは、実はJYP!パク・ジンヨンさんなんです。
3.人気の秘訣の一つは、ジャンルの幅の広さ
イン・スニは歌唱力を武器に幅広いジャンルの歌を歌いこなす歌手です。先ほどのディスコ風の歌はもちろんラップ歌手とのコラボもこなす彼女は、演歌歌手としても人気があるんです。その映像もご覧ください。
韓国でお年を召した方に絶大の人気を誇るジャンルである演歌(トロット)もこなすイン・スニです。韓国の全世代から好かれる秘訣の一つは、そのジャンルの幅の広さにあるといえます。
4.イン・スニの出生と感動の話
イン・スニの映像をご覧になってすでにお気づきでいらっしゃると思いますが、彼女はハーフです。韓国人の母と駐韓米軍のアフリカ系の父の間で生まれました。彼女の若き時代、韓国の1960年〜70年代は外国人も珍しかった時代です。なのでハーフが珍しがられるのはなおさらです。彼女は外見から様々な差別を受けてきたといいます。
1983年デビュー当時も、歌唱力で人気を得たものの、ハーフであることで差別にあい、ナイトクラブのような裏の舞台に行くしかなかったそうです。韓国は1988年のソウル・オリンピックをきっかけに急速に現代化が進んだといわれていますが、それを考えてみると1983年の韓国の社会的な雰囲気が予想できると思います。
差別を乗り越え、努力を続けてきた結果、彼女は大人気の歌手になりました。このような背景もあり、彼女の歌は聞く多くの人に感動を与えています。その中でも特に人気のあるおすすめの曲は「ゴウィイ クム(거위의 꿈)」(訳:ガチョウの夢)です。映像でご覧ください。
歌詞の訳もどうぞ。
私は夢があったの。捨てられ、破られても胸の奥深くに、宝物のように秘めていた夢。
たまには誰かが、意味の分からない嘲笑いを私の背中にこぼしても、
辛抱しなければならなかった、辛抱することができた、あの日のために。
いつも心配そうに言うね、はかない夢は毒だって。
この世の中は結論の決まっている本のように、すでにどうにもできない現実だって。
そう、私には夢があるの。その夢を信じてる。私を見ていて。
あの冷たくそびえる運命という壁の前に、堂々とぶつかっていけるわ。
いつか私はその壁を越えて、あの空高く舞い上がる。
この重い世の中も私を縛り付けることはできないわ、
私の人生の最後、ほほ笑むその日をともにしましょう。
今のイン・スニは韓国の国民栄誉賞である国民勲章の授章者であり、数々の歌手大賞を受賞、大学の教授で学部長も務める、尊敬される人物です。
5.終わらないイン・スニの挑戦
2015年で韓国の数え年で58歳になったイン・スニは驚きの挑戦もしています。ニュースでも紹介されています。なんと、ボディービルダーになったのです。映像でご覧ください。
イン・スニがパフォーマンス部門で2位を収めたというニュースです。
今でもテレビやコンサートなどで引っ張りだこなイン・スニ。終わらない彼女の挑戦とパワフルな歌唱力は韓国の国民に感動を与えています。
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