自分の認識では戦後処理については、8月14日に受諾を通告し、8月15日の玉音放送で国民に発表したが、9月2日の降伏文書調印までの間の軍隊と政府の対応がデタラメだったと認識している。国民を守るはずの軍隊が一番最初に逃げ出し、残された人達は酷い目に遭った。S国は北方領土をかすめ取り、K国にいたっては1951年サンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復する直前に竹島をかすめ取っている。8月15日は「戦争は悲惨だ。2度と起こしてはいけない。」と言った所で意味はなく、これらの1945年8月14日から1951年9月8日までの日本としての戦後処理の対応について議論認識を深めないと意味がないと思う。
一方の”何故その戦争が始まったか”について、「経済封鎖にあって軍艦を動かす石油も数カ月しか持たないので、残っている今のうちにガツンとやった。」と歴史の授業で聞いた気がするが、なぜ経済封鎖にあったのか?とか議論を深めないと意味がない。自分の認識では1915年の対華21カ条要求から伏線が始まり、1931年の満州事変でこの戦争の路線が確定した気がする。結局は15世紀の大航海時代から始まった19世紀の帝国主義が産業革命で拍車がかかり、収奪先が飽和状態になった所で利権の争いで第一次世界大戦が起こり、「新たな収奪は控えようね。」という欧米の風潮に対し、「皆やってたから大丈夫」と遅れて帝国主義をやらかしたのが日本だったのでは?と思う。日本史で言えば豊臣秀吉の惣無事令で「もう争はやめよう」という関白秀吉の命令に反して潰された北条氏の様な感じ。時代の流れが読めてなかったと思う。
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