清水次郎長の事は詳しくなかったのでネットで確認すると本名は山本長五郎。高木三右衛門という廻船業者の次男に生まれるが叔父の山本次郎八という米穀商の養子に入り、「次郎八さんの所の長五郎」という事と清水の博徒を仕切ってた事から清水の次郎長と呼ばれた様である。
●次郎長宅跡(船宿末廣跡)…Googleマップではスパルスドリームプラザ脇に石碑と説明文を記載した物があったはずなんだけど、エスパルスドリームプラザ脇の土手は工事中で何もなかった。ガッカリ。後で調べてみると清水港船宿記念館末廣というのが近くにあったらしいが、ホームページによると令和5年9月25日)から令和6年2月26日まで工事の予定だそうなのでいづれにしても見れなかったが。残念。
●次郎長生家 …いい感じの京都の町家風の建物だったが、12月28日から年末の休暇に入っていて入館できずこれも残念。
●次郎長遺物館 …ココは入れた。梅蔭禅寺というお寺の中にあった。入館料300円/人。このお寺は清水の次郎長のお墓があるお寺で遺物館の拝観ルートの中にそのお墓もあった。遺物館には清水一家が使った喧嘩道具や賭博道具、山岡鉄舟が書いたと言われる”精神満腹”という毛書が額に飾られていた。「現実的な欲望を満たすのではなく心を満たすこと」の意だそうだが、そう言われてみれば言ってる事は般若心経とも重なるので何となく判る気がするが、教養が高くない自分にはその説明文を読むまでは”精神満腹”と書いている事すら判らなかった。次郎長には奥さん3人もいたんだ。とか、石松とか小政の若い子分は30歳前後で亡くなってるのに親分は70歳過ぎ迄生きてるんだ。とか余計な事ばかり思ってしまった。
何で米穀商から博徒の道に入ったのか!?とかは判らず何か消化不良な感じ。来年3月以降で船宿記念館末廣の工事が終わった後で機会が合ったらもう一度行ってみたい。
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