アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2025年02月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール

2023年11月15日

鎌倉の和田塚を見に行く機会があった

 自分は、歴史上の出来事の跡を散策するのが好きで、先日は鎌倉の和田塚を見に行く機会があった。和田塚とは800年ほど昔、鎌倉時代初期の源頼朝死後に幕府執権の北条義時と有力御家人の和田義盛の戦いで、負けた和田氏側を供養した塚と伝わっている。この戦いを和田合戦といい、有力御家人の集合体である鎌倉幕府の中心人物であった源頼朝が亡くなった後、幾つかある御家人同士の利権争いの中の終盤での出来事。

 この和田合戦は、鶴ヶ岡八幡宮の東隣にあった幕府付近で始まり、一昼夜かけて戦い続け、和田軍は1.5km 程離れた由比ガ浜近くのこの和田塚付近まで押されて力尽きた。昔に思いを馳せると感慨深い。和田義盛からすると、それまで権力の中枢にいたのに全てを失ってしまった。勝負をかけたのか、挑発に乗ってしまったのか。スッキリしたのか、シマッタと思ったのか。どんな気持ちだっただろう。丸一昼夜戦い疲れただろうに。和田義盛はこの時66歳。源頼朝の挙兵→鎌倉幕府の創設→幕府内の権力争い→そしてこの一族滅亡につながる敗戦。人生いろんなことがあった。人生に悔いなしか悔いありか。
 和田義盛にとって北条義時は幕府での上司とはいえ16歳年下だったので「この小僧が。ワシをないがしろにするでない。」と思ってたとすれば、ソコは老人としては気持ちは良く判る。

 和田塚は江ノ電の和田塚駅から由比ガ浜方面に数十メートル歩いたところにある。石垣に囲まれた十数メートル四方の塚で、住宅街に溶け込んでいて気を付けてないと通り過ぎそう。由比ガ浜の海が道沿いに見える。


【このカテゴリーの最新記事】
posted by konbux2 at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史散策

2023年11月14日

般若心経は哲学

 般若心経→仏教→宗教 と話が広がるが、前述のとおり般若心経は自分の解釈で「この世は幻だから執着すんな。」でも「幻が消えてしまう前の今を大事に。」と諭し、「執着が無いと見え方変わるよ。ひと皮剝けるよ。」と言っている。コレって人の心の持ち方を言っていて、哲学を説いている。
 写経をしてると、お手本を上手くなぞれたか?とか墨が薄いなあ。とか気になるけど、三蔵法師達がサンスクリット語をどう理解してこの漢字に訳したか?と意味を意識しながら書かないと勿体ない。と改めて思う。


posted by konbux2 at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 写経

2023年11月13日

人間は生まれながらに罪深い

 宗教で良く「人間は生まれながらに罪深い」とか言い、その理由として「他の命を頂かなければ、生きることができないから」とか言われてるけど、ホントにそうなのかなあ?と思う。大昔からそんな事で人は気にしてきただろうか?
 これも、自分の私見だが、人間って「他の人よりも自分が得したい。」と思ったり、「他の人は奴隷でも自分は特権階級になりたい。」って思いますよね。それが、「人間は生まれながらに罪深い」の意味ではないかと思う。「人は相手を見るとその相手が自分よりも上か下のかを判断する。自らを分ける(=反作用で相手を分ける)から自分と言う。」と言いうが、それの事だと思う。

 宗教も最初は純粋な信仰で仲間を増やしたい。共感したいだけだったかもしれないけど、仲間が増えてくると組織となり、管理する人と管理される人が出てくる。管理する人は、管理される人から富から集めたり指図したりしてるうちに偉くなったと勘違いする。それが搾取する者とされる者となり、特権階級と奴隷となる。そして搾取される立場の人で「こんなのおかしい。」と思った人が次の教義を思いつき新たな宗派となる。これの繰返していく。仏教もこういった流れでいろんな宗派が誕生したのではないか 海外でもユダヤ教、キリスト教、イスラム教とか同じ神様でも「神のお告げ」と称して新しい宗教が現れた。そして各々の宗派や宗教は争う。特に一神教の宗教組織は教義が相容れないので戦争を繰返したりする。また、近年は隣国の新興宗教団体が日本人から膨大な財産を搾取して大問題となっている。

 宗教と称して戦争したり搾取したりって、「神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また,神仏の教え。」という宗教からは程遠い。宗教と称しても結局これらの根源が人の欲であり「人間は生まれながらに罪深い」という意味に繋がっているのだと思う。


posted by konbux2 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 写経

2023年11月12日

聖徳太子の頃の仏教

 丁未の乱(1450年近くの前)の頃のことは判らんけど、私の私見だが、聖徳太子は当時の中国に対等をアピールする為に仏教を利用したいと思っていて、蘇我氏と物部氏の利権争いの丁未の乱に仏教派だった蘇我氏側について、その狙いを達成しようとしたのではないか!?と思う。
 「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。云々 」といって隋と対等に国交しようとしてたし、「ウチも負けんくらい先進国でっせ」とメンチを切るために宗教を利用してたのではないか。お寺を沢山作ったのも、ちょうど明治初期に明治政府が急激に西洋化して「ウチも負けんくらい文明国でっせ」と鹿鳴館を作ったのと同じ感じ。
 一方、聖徳太子は冠位十二階や十七条憲法も定めて公務員改革や政治改革もしようとしてるので、本気で仏教で国を治めると思ってたかも知れない。そうだとすると、この後の日本の仏教は宗派が分かれていくが、その源流の聖徳太子の頃の仏教とはどんな仏教?どんなお経読んでた?のか気になる。


posted by konbux2 at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 写経

2023年11月11日

仏教伝来の謎

 三蔵法師達がインドから持って帰ったお経を漢訳したのが7世紀半ば(650年前後)だそうだから、あの聖徳太子が仏教を広めようと蘇我氏と共に物部氏と戦った丁未の乱の6世紀末(587年)の頃は未だ中国にすら漢字のお経はなかった筈。仏像はあったかもしれないけど、聖徳太子はお経もまともになかった頃に「篤く三宝(仏宝、法宝、僧宝)を敬い」とか言ってを仏教を広められるものかな?と疑問。お経も無く三宝が解かるんなら三蔵法師達はわざわざインドに行ったりお経を漢訳する必要ないじゃん。
 6世紀半ば(550年前後)に仏教(仏像と経論)が日本に伝来したとあり、サンスクリッド語のお経が法隆寺に保管されているという話を聞いたことがあるので、サンスクリッド語が読めたのか?それなら日本で和訳するのでは?なんで聖徳太子が仏教にこだわった?


posted by konbux2 at 12:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 写経

2023年11月10日

宗教とは

 宗教とは、「神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また,神仏の教え。」とある。従って誰が何を信じようが「信じて安らぎを得られるのなら、何を信じても自由にすれば?」と言うのが基本だと思う。
 亡き母は、「般若心経を唱えよ」とか「観音経を読経しろ」とか言ってたが、般若心経を唱えることで安らぎを得られるのであれば、それも宗教。観音経には「南無観世音菩薩と唱えよ」と書いているので、それで安らぎが得られるのであれば、それも宗教。他にもいろいろあると思うが。
 ところが、世の中にはその宗教を他人に無理強いする輩がいる。自分も40年くらい前に「親鸞聖人・・云々」と言われて付きまとわれて嫌な思いをしたことがある。この様な行為は安らぎどころか不快な行為であるので宗教の布教の類ではない。(団体への勧誘か?)
posted by konbux2 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 写経

2023年11月09日

宗教にのりこめない

 お釈迦様が35歳で悟りを開いて80歳で亡くなるまでの45年間で、最初に説いたのが華厳経典群、2番目に阿含経典群、3番目が方等経典群、4番目がこの般若心経典群、5番目が法華経典群と涅槃経典群、続いて密教経典群と言われているそうだ。これらのお経に対し、「どのお経が正しい。」と言ったり、それを受け継いだ「聖人(とか上人)の言う事が正しい。」という風になって日本では多くの宗派があるのだと認識している。

 しかし、自分はこの宗教の解明に残り少ない人生の多くの時間を費やすのは如何なものかと思う。お釈迦様が亡くなって600~1000年の期間を経て各々まとめて漢訳されたお経をそれから更に1400年経って「お釈迦様は本当はこう言った。ああ言った。」と言ったところで判る筈がない。現在でも伝言ゲームは旨く伝わらないのに。各々の宗派が「このお経が正しい。あのお経は違う。」と言ってもお釈迦様が直接書面で残したわけではないし、事実がどうなのか判る訳ないと思う。


posted by konbux2 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 写経

2023年11月08日

仏教と一言でいっても

 お釈迦様が亡くなったのが紀元前4世紀頃。お釈迦様が35歳で悟りを開き80歳で亡くなるまでの間の各々の時期に説いた教えを600年の期間を経てまとめたお経が数千あって、そのまた400年後に唐(現在の中国)の三蔵法師達がインドに行って幾つかのお経を写し、持って帰って漢訳した。
 お釈迦様のお弟子さんが数千人いたそうなので、それぞれの時期のお弟子さんが伝えたお釈迦様の話が長い期間を経て経典にまとまって、またそれを翻訳したという壮大な話。1000年もかかってる。それから現代まで1400年。

 仏教と一言で言っても、この2400年の間にいろんなお経や宗派があって般若心経はその一つという位置づけ。お釈迦様自身が悟りを開いてからの45年間で変わっていくだろうし(悟りを開くと変わらない?かは知らないけど)、それを聞いたお弟子さん達もそれぞれの環境で受けとめ方も違うかも知れないし、漢訳した時点でニュアンスのズレとかもあって、まあいろんな宗派があってもその様な気がする。


posted by konbux2 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 写経

2023年11月07日

お経の意味

 写経で書いてるお経は、自分の場合は般若心経。さすがに何枚か写経をしてるとその意味が気になる。調べてみると276文字のうち1/4がサンスクリッド語の音のアテ文字という。数千もあるお経をこの般若心経の276文字に集約したそうな。その意味は一言でいえば「執着すんな。」この世は幻だから。でも「今を大事にしろ。」幻が消えてしまう前に。と言ってるような感じ。有名な「色即是空空即是色」のフレーズ。そうすれば苦しみから解き放たれますよ。
 私の場合、「無所得故菩提薩多」のところも好き。「得する所無きが故に悟りを開く」と言ってるのだと思うが、損得に囚われずに生きると欲にまみれた社会に対し少し達観した気がする。勿論(お金とか)必要な物は必要だが。


posted by konbux2 at 12:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 写経

2023年11月06日

2023年プロ野球日本シリーズを振り返って

 今年の日本シリーズは昨日、阪神の日本一で終わった。阪神とオリックスのどっちが強いというより、強いチームがアッチコッチ入れ替わって下関海峡の様に流れが右にったり左に行ったりで最後に流れを掴んだ方が日本一になったという感じ。得点を見みると第1戦から順に(1)Bu:0-8:T, (2)Bu:8-0:T, (3)T:4-5:Bu, (4)T:4-3:Bu, (5)T:6-2:Bu, (6)Bu:5-1:T, (7)Bu:1-7:Tで、これで見ると第1戦と第2戦は8点差。第3戦と第4戦は1点差。第5戦と第6戦は4点差。で同じ点差で阪神とオリックスがそれぞれ勝っている。もし、第8戦があったら6点差でオリックスが勝ってる様な流れ。

 全てのプレーを見てた訳でないが、ストレートで押されてたバッターがフォークで落とされても旨くあわせてヒットにする所を見ると、「さすがプロだなあ。」と感心。日頃からそういうシーンを想定して練習してるんだろう。そうではないバッターもいたけど日ごろの鍛錬の差がこの檜舞台ででてくるのだなあ。