「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。云々 」といって隋と対等に国交しようとしてたし、「ウチも負けんくらい先進国でっせ」とメンチを切るために宗教を利用してたのではないか。お寺を沢山作ったのも、ちょうど明治初期に明治政府が急激に西洋化して「ウチも負けんくらい文明国でっせ」と鹿鳴館を作ったのと同じ感じ。
一方、聖徳太子は冠位十二階や十七条憲法も定めて公務員改革や政治改革もしようとしてるので、本気で仏教で国を治めると思ってたかも知れない。そうだとすると、この後の日本の仏教は宗派が分かれていくが、その源流の聖徳太子の頃の仏教とはどんな仏教?どんなお経読んでた?のか気になる。
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