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2017年02月14日
BDレコーダーに溜まっていく録画番組の山!押し潰されるその前に
以前に「テレビの音がうるさいと感じる時」という記事を書きました。
テレビの音がうるさいと感じる時: 世界は素敵で面白い、そんな生き方を目指すブログ
元来テレビっ子だった私が「テレビがうるさい」とふと感じたくだりや、その理由は何なんだろうと考察した記事なのですが、意外とアクセス数が多くて(あくまでこのブログの中では、ですけれど・・・)驚いています。
同じように感じる人が多いってことなのかな?
さて今日はまた「テレビ」に関してまた書いてみたいと思います。
タイトルのとおり、BDレコーダー(HDD搭載のもの)に気が付けば録画番組が溜まりまくってもう見ることも無理っぽい・・・ときの話です。
そうなんです。決してテレビを全く見ていないという訳ではありません。
例えば去年話題になった「逃げるは恥だが役に立つ」も見ていました。面白かったです。
そういえば自分が今チェックしているテレビ番組ってどれくらいあるんだろう・・・とふと考え、整理してみました。次のリストのとおりですが、結構あるなって感じです。
・カルテット(ドラマ)
・下克上受験(ドラマ)
・奪い合い、冬(ドラマ)
・機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ(アニメ)
・ワールドプロレスリング(スポーツ)
・全力!脱力タイムズ(バラエティ)
・アメトーーク(バラエティ)✕2
・そこまで言って委員会NP(報道バラエティ)
・らららクラシック(音楽)
・題名のない音楽会(音楽)
並べただけではピンと来ませんので、時間にしてみましょう。
見る時は大抵録画でCMを飛ばしますから、1時間30分番組は1時間、1時間番組は40分、30分番組は20分でざっくりと計算します。あ、NHKはCMが少ないですから30分番組は30分とします。
60分+40分✕4+20分✕5+30分=350分
一週間で350分!なんと、実に5時間30分ものボリュームになっていました。
なんだ大したことないじゃんって思う人もいるかもしれません。一週間で5時間30分ですから、1日あたりだと1時間を切りますからね。
でも家族持ちには結構厳しい時間です。
なぜなら、これらの番組は今のところ全部私の趣味に過ぎないからです(泣)。家族の時間にこれらのテレビを見ることはできず、つまり、一人の時しか見れないという制約があるってことなんです。
一人で使える時間のうち、一週間に5時間30分。
これはかなりキツイです。
ではどうなるか?というと、単純な話ですが「見れません」。じゃあ諦めて見たいものだけ見ればいっか・・・て考えれば良さそうですが、そうはいきません。
なぜなら、見えない鎖に縛られているからです。
見えない鎖とは何か。それはBDレコーダーによる「自動録画」です。
このBDレコーダーは、革命的な家電製品です。今の若い人には(すみません、お決まりのフレーズで・・・)VHSビデオで録画していた頃のことなんて知らない人も多いでしょう。かつては「VHSテープ」という大きなカセットに録画していました。
このVHSテープには幾つかの制約があり、それに応じて録画する側も工夫が必要でした。
・録画できる時間が少ない(通常2時間、3倍録画で6時間)
→何本ものテープを持ち、テープ残数を把握しながら差し替えていた。
・録画後の編集ができない(編集するには高額な機材が必要)
→同じドラマだけを連続して録画するには専用の◯◯テープを作り、録画刷る時にはそのテープをかならず使わなければならない。ミスは許されない。
→CMカットをするためには、テレビの前に張り付いて自分が「録画一時停止」操作をCMのたびにしなければならない。
・中身の確認は実際に見るしかない
→手間がかかる。これを怠ると大事にしていた番組が上書きで消えてしまう。
これらの課題が、BDレコーダーの登場によって全て一気に解消されてしまったのです。これはVHS時代を知っている人間には「テレビ録画の革命や!!!」としか言い表しようがないインパクトでした。
更にHDD大容量化により録画可能時間も飛躍的に伸びました。もうこれからは、好きな番組を好きなだけ録画できる。そんな夢が正に現実のものとなったのです。
・・・ちょっと話が逸れてしまいました。
しかしそんなBDレコーダーにも一つデメリットがありました。ようやく話が戻りますが「自動録画」です。自動録画が何かというと、改めて言うまでもありませんが、「同じ番組を自動的に毎週録画してくれる機能」で、本当に便利な機能です。
ではその便利な機能の何が問題なの?ということなんですが、まさにこの便利というものが曲者で、便利だからその機能を使ってしまいます。「ちょっと面白そうだな」と思うと、数分もかからないうちにその番組の自動録画が出来てしまう。とても簡単です。
「あ、これも面白そう」
「これも面白そう」
「これも見てみたいな」
・・・
そうして登録された設定に従い、BDレコーダーは黙々と自動録画を繰り返していきます。機械的に(機械ですから・・・)。そしたらどうなるか?もうお分かりですよね。
あっという間に、レコーダーの中は未視聴の録画番組が山のように積み上げられてしまいます。
こうなったらもう無理です。物理的に全部を見ることなんてできません。
でも気になっていたあのドラマ、話題になっていたあのドラマも、そのレコーダーには第1話から最終話まで全部録画されているんですよ。
見たい。いや、見なければいけない!
きっと面白いものがそこにあるから。見ることができるものを見ないなんて、何か損するような気持ちだから。
限られた時間の中で見ようと努力する傍ら、レコーダーは機械的に新しい録画をどんどん積み上げてきます。物量戦です。どんなに奮戦(視聴)しても敵の補給は尽きること無く、積み上げられた録画番組の山にやがて押し潰されてしまう。。。
気が付けば、私はそんな状態になっていました。
そんな中で、何とか確保した時間で録画した番組をちょっとだけ見ることができると、「ようやく少しだけ見れた・・・」とホッするとともに、重荷が少しだけ減ったような感覚を覚えるのです。
でもふと気付きました。
ちょっと待てよと。
俺は”重荷から解放されてホッとするためにテレビを見ているのか?”と。
そうなんです。
元々は「楽しいものが見たい」という自発的な気持ちだったものが、気が付けば「見ないと損」「見なければいけない」という強制的な意識へと変貌していたんです。
悦楽だったものが苦行に変わり、また、行為の主体が自分自身からそれ以外の誰かへと変わっていた。
これで楽しいはずがありません。冷静に考えて、こうまでしてテレビを見る必要なんてあるはずもない。でも、いつの間に変わってしまったんだろう?
自分なりに思考を巡らせてみました。
そして気付いたのは、勘違いによる錯覚に陥っていたこと。
まず最初に、「便利にたくさん録画できる」ことを「いつでも自由に見られる」ことだと認識していたのだと考えました。
でもこれは勘違いではなく事実です。私は録画した番組を、好きなときに、いつでも自由に見ることができます。この事に間違いはありません。
次に、この「いつでも自由に見られる」ことを「録画した番組の全てをいつでも自由に見られる」ことだと認識していたと考えました。
ここです。ここに第一の勘違いがあったのです。
録画した番組の「全て」を自由に見ることなんて出来ないのです。一つ一つの番組を見ることは勿論可能です。事実です。でも全部を網羅して見るためには、録画機能とは関係なく、結局は自分がそれを見る時間を確保できるかどうか次第なんです。
結局は時間を確保できず、見れずに山積みになっている、ということです。
そしてそこに、過去の自分の「これが見たい」という気持ちが亡霊のようにこびりつき、自分自身に「見なければいけない」という義務が課せられているかのような錯覚に陥る。これが第二の勘違いです。
録画番組は機械的にドンドン積み上げられていく。
「見なければいけない」という義務感はそれに従いドンドン強くなっていく。
この心理的負担が自分自身に重くのしかかってくる。
これが今の状態なんだと。
ここから脱却するために、そもそも論で考えてみました。
そもそも論として、本来は楽しむために見ようとしていたものです。
それが「見なければいけない」ことで苦しむようなら本末転倒。
じゃあどうすればいいか?
見なければいいんです。
ただそれだけ。
または、最初から録画しないという方法もあります。
後でどうしても見たくなればDVDとかオンデマンドとか多分方法はあると思いますし。
溜まった録画番組は「見れないもの」と割り切って、一切合切、削除してしまいましょう。
断捨離の考え方では(あまり最近聞かなくなりましたね・・・)、「いつか使うものは捨てる」のが原則。これをBDレコーダーにあてはめると、「いつか見たいものは削除する」のが原則。
少なくとも1ヶ月以上見ていないものは、お気に入りの保存用を除いて、スパスパっと削除してしまえばいい。
しかし、そう思っても、いざ消す段になれば、録画容量が一杯じゃない限りはやはり消せません。今のところ「消す必要」が無いのです。私の手もここで止まりました。「そうだ、とりあえず、録画容量が一杯になったら消そう」と、何とも気持ちは弱いもの。
でもいいんです。
後は「見なければいけない」という錯覚で作り出した思考から脱却し、「見られたら見ればいい」「どうしても暇な時に見たらいい」というような緩い思考でBDレコーダーに向き合うことができれば、心の負担にはなりませんから。
別に見なくたって損もしないし、得もしない。
そこにどんなに面白いコンテンツがあったとしても、なかったとしても構わない。
自分が楽しめる状態の時に、楽しむものとして、楽しめる範囲で見ればいい。
きっと、そうなんです。
でも気をつけないといけません。
油断するとあっという間に「見なければいけない」という強迫観念にまた堕ちてしまいます。それは現代社会が私たちに仕掛けている罠のようなもの。
(この「罠」についても、また記事で書きたいと思います)
というわけで、BDレコーダーから心を解き放ち、また一つ気持ちを楽にして日々を生きていきたいと思います。
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
テレビの音がうるさいと感じる時: 世界は素敵で面白い、そんな生き方を目指すブログ
元来テレビっ子だった私が「テレビがうるさい」とふと感じたくだりや、その理由は何なんだろうと考察した記事なのですが、意外とアクセス数が多くて(あくまでこのブログの中では、ですけれど・・・)驚いています。
同じように感じる人が多いってことなのかな?
さて今日はまた「テレビ」に関してまた書いてみたいと思います。
タイトルのとおり、BDレコーダー(HDD搭載のもの)に気が付けば録画番組が溜まりまくってもう見ることも無理っぽい・・・ときの話です。
とは言いつつテレビを観ています。
そうなんです。決してテレビを全く見ていないという訳ではありません。
例えば去年話題になった「逃げるは恥だが役に立つ」も見ていました。面白かったです。
そういえば自分が今チェックしているテレビ番組ってどれくらいあるんだろう・・・とふと考え、整理してみました。次のリストのとおりですが、結構あるなって感じです。
・カルテット(ドラマ)
・下克上受験(ドラマ)
・奪い合い、冬(ドラマ)
・機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ(アニメ)
・ワールドプロレスリング(スポーツ)
・全力!脱力タイムズ(バラエティ)
・アメトーーク(バラエティ)✕2
・そこまで言って委員会NP(報道バラエティ)
・らららクラシック(音楽)
・題名のない音楽会(音楽)
並べただけではピンと来ませんので、時間にしてみましょう。
見る時は大抵録画でCMを飛ばしますから、1時間30分番組は1時間、1時間番組は40分、30分番組は20分でざっくりと計算します。あ、NHKはCMが少ないですから30分番組は30分とします。
60分+40分✕4+20分✕5+30分=350分
一週間で350分!なんと、実に5時間30分ものボリュームになっていました。
なんだ大したことないじゃんって思う人もいるかもしれません。一週間で5時間30分ですから、1日あたりだと1時間を切りますからね。
でも家族持ちには結構厳しい時間です。
なぜなら、これらの番組は今のところ全部私の趣味に過ぎないからです(泣)。家族の時間にこれらのテレビを見ることはできず、つまり、一人の時しか見れないという制約があるってことなんです。
一人で使える時間のうち、一週間に5時間30分。
これはかなりキツイです。
ではどうなるか?というと、単純な話ですが「見れません」。じゃあ諦めて見たいものだけ見ればいっか・・・て考えれば良さそうですが、そうはいきません。
なぜなら、見えない鎖に縛られているからです。
自動録画というネビュラチェーン
見えない鎖とは何か。それはBDレコーダーによる「自動録画」です。
このBDレコーダーは、革命的な家電製品です。今の若い人には(すみません、お決まりのフレーズで・・・)VHSビデオで録画していた頃のことなんて知らない人も多いでしょう。かつては「VHSテープ」という大きなカセットに録画していました。
このVHSテープには幾つかの制約があり、それに応じて録画する側も工夫が必要でした。
・録画できる時間が少ない(通常2時間、3倍録画で6時間)
→何本ものテープを持ち、テープ残数を把握しながら差し替えていた。
・録画後の編集ができない(編集するには高額な機材が必要)
→同じドラマだけを連続して録画するには専用の◯◯テープを作り、録画刷る時にはそのテープをかならず使わなければならない。ミスは許されない。
→CMカットをするためには、テレビの前に張り付いて自分が「録画一時停止」操作をCMのたびにしなければならない。
・中身の確認は実際に見るしかない
→手間がかかる。これを怠ると大事にしていた番組が上書きで消えてしまう。
これらの課題が、BDレコーダーの登場によって全て一気に解消されてしまったのです。これはVHS時代を知っている人間には「テレビ録画の革命や!!!」としか言い表しようがないインパクトでした。
更にHDD大容量化により録画可能時間も飛躍的に伸びました。もうこれからは、好きな番組を好きなだけ録画できる。そんな夢が正に現実のものとなったのです。
・・・ちょっと話が逸れてしまいました。
しかしそんなBDレコーダーにも一つデメリットがありました。ようやく話が戻りますが「自動録画」です。自動録画が何かというと、改めて言うまでもありませんが、「同じ番組を自動的に毎週録画してくれる機能」で、本当に便利な機能です。
ではその便利な機能の何が問題なの?ということなんですが、まさにこの便利というものが曲者で、便利だからその機能を使ってしまいます。「ちょっと面白そうだな」と思うと、数分もかからないうちにその番組の自動録画が出来てしまう。とても簡単です。
「あ、これも面白そう」
「これも面白そう」
「これも見てみたいな」
・・・
そうして登録された設定に従い、BDレコーダーは黙々と自動録画を繰り返していきます。機械的に(機械ですから・・・)。そしたらどうなるか?もうお分かりですよね。
あっという間に、レコーダーの中は未視聴の録画番組が山のように積み上げられてしまいます。
こうなったらもう無理です。物理的に全部を見ることなんてできません。
でも気になっていたあのドラマ、話題になっていたあのドラマも、そのレコーダーには第1話から最終話まで全部録画されているんですよ。
見たい。いや、見なければいけない!
きっと面白いものがそこにあるから。見ることができるものを見ないなんて、何か損するような気持ちだから。
限られた時間の中で見ようと努力する傍ら、レコーダーは機械的に新しい録画をどんどん積み上げてきます。物量戦です。どんなに奮戦(視聴)しても敵の補給は尽きること無く、積み上げられた録画番組の山にやがて押し潰されてしまう。。。
気が付けば、私はそんな状態になっていました。
そんな中で、何とか確保した時間で録画した番組をちょっとだけ見ることができると、「ようやく少しだけ見れた・・・」とホッするとともに、重荷が少しだけ減ったような感覚を覚えるのです。
でもふと気付きました。
ちょっと待てよと。
俺は”重荷から解放されてホッとするためにテレビを見ているのか?”と。
楽しむために見ようとしていたはずが・・・
そうなんです。
元々は「楽しいものが見たい」という自発的な気持ちだったものが、気が付けば「見ないと損」「見なければいけない」という強制的な意識へと変貌していたんです。
悦楽だったものが苦行に変わり、また、行為の主体が自分自身からそれ以外の誰かへと変わっていた。
これで楽しいはずがありません。冷静に考えて、こうまでしてテレビを見る必要なんてあるはずもない。でも、いつの間に変わってしまったんだろう?
自分なりに思考を巡らせてみました。
そして気付いたのは、勘違いによる錯覚に陥っていたこと。
まず最初に、「便利にたくさん録画できる」ことを「いつでも自由に見られる」ことだと認識していたのだと考えました。
でもこれは勘違いではなく事実です。私は録画した番組を、好きなときに、いつでも自由に見ることができます。この事に間違いはありません。
次に、この「いつでも自由に見られる」ことを「録画した番組の全てをいつでも自由に見られる」ことだと認識していたと考えました。
ここです。ここに第一の勘違いがあったのです。
録画した番組の「全て」を自由に見ることなんて出来ないのです。一つ一つの番組を見ることは勿論可能です。事実です。でも全部を網羅して見るためには、録画機能とは関係なく、結局は自分がそれを見る時間を確保できるかどうか次第なんです。
結局は時間を確保できず、見れずに山積みになっている、ということです。
そしてそこに、過去の自分の「これが見たい」という気持ちが亡霊のようにこびりつき、自分自身に「見なければいけない」という義務が課せられているかのような錯覚に陥る。これが第二の勘違いです。
録画番組は機械的にドンドン積み上げられていく。
「見なければいけない」という義務感はそれに従いドンドン強くなっていく。
この心理的負担が自分自身に重くのしかかってくる。
これが今の状態なんだと。
ここから脱却するために、そもそも論で考えてみました。
「見なければいけない」からの脱却。
そもそも論として、本来は楽しむために見ようとしていたものです。
それが「見なければいけない」ことで苦しむようなら本末転倒。
じゃあどうすればいいか?
見なければいいんです。
ただそれだけ。
または、最初から録画しないという方法もあります。
後でどうしても見たくなればDVDとかオンデマンドとか多分方法はあると思いますし。
溜まった録画番組は「見れないもの」と割り切って、一切合切、削除してしまいましょう。
断捨離の考え方では(あまり最近聞かなくなりましたね・・・)、「いつか使うものは捨てる」のが原則。これをBDレコーダーにあてはめると、「いつか見たいものは削除する」のが原則。
少なくとも1ヶ月以上見ていないものは、お気に入りの保存用を除いて、スパスパっと削除してしまえばいい。
しかし、そう思っても、いざ消す段になれば、録画容量が一杯じゃない限りはやはり消せません。今のところ「消す必要」が無いのです。私の手もここで止まりました。「そうだ、とりあえず、録画容量が一杯になったら消そう」と、何とも気持ちは弱いもの。
でもいいんです。
後は「見なければいけない」という錯覚で作り出した思考から脱却し、「見られたら見ればいい」「どうしても暇な時に見たらいい」というような緩い思考でBDレコーダーに向き合うことができれば、心の負担にはなりませんから。
別に見なくたって損もしないし、得もしない。
そこにどんなに面白いコンテンツがあったとしても、なかったとしても構わない。
自分が楽しめる状態の時に、楽しむものとして、楽しめる範囲で見ればいい。
きっと、そうなんです。
でも気をつけないといけません。
油断するとあっという間に「見なければいけない」という強迫観念にまた堕ちてしまいます。それは現代社会が私たちに仕掛けている罠のようなもの。
(この「罠」についても、また記事で書きたいと思います)
というわけで、BDレコーダーから心を解き放ち、また一つ気持ちを楽にして日々を生きていきたいと思います。
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
タグ:テレビ
2017年02月05日
マギ 32巻 大高 忍 (※ネタバレ)
おめでとう。
もう一度、最初に言わせてください。
おめでとう。
32巻はですね、色々と書きたいことはあるんですよ。
成長したアラジンの魔法の凄まじさ(完全にチート級)、白龍やモルジアナの強さ、シンドバッドの心が追い詰められていく描写、見どころの多い巻なんです。
そんな中でも際立つのは、そう、アリババがモルジアナに求婚する話です。
ちょっと驚いたんですよね。大分前に、アリババがモルジアナに告白するという話がありましたが、その時は「モルジアナに告白を受け入れられたと勘違いして大いに浮かれまくったアリババがその間違いに気付いて人間不信に陥る」という半ばギャグみたいな回でした。
その後は、アリババのモルジアナに対する気持ちがどうなったみたいな具体的な話は無かったですし、アリババが死ぬとかアラジンがいなくなるとか、まあ物語が大変なことになっていましたので、すっかり私もそのことを忘れていました。
だからモルジアナと再会したシーンでも、「あ!モルジアナだ!」ぐらいの感想しか私は持ちませんでした。それよりも白龍との再会の方が印象的でしたので、すぐにモルジアナのことは正直忘れてしまいました。
そんなアリババとモルジアナの関係が急展開したのは、再会を祝して4人で宴席を囲んでいるときでした。
「素面のうちに言いたいことがあるんだから!」
とアリババはアラジンとの話を切り、「モルジアナ!」と声をかけます。
ここから急展開だったんですよね。
自分の話を始めたアリババは、その中で「家族」についての考えを持ち出したことを触れます。
そして「俺も年を取った後、家族が欲しいなって思った時に・・・」
「真っ先に思い浮かんだのが・・・モルジアナだったんだ」
続けてモルジアナに対する想いを話した後、ついにアリババは「俺と結婚してくれよ。」と、静かな、それでいて強い眼差しでモルジアナに気持ちを伝えました。
ど、どうするんだモルジアナ。
ちょっと白龍といい感じにも見えたけど(数年一緒にいた間に、何か気持ちが変わったかもしれないし・・・!!)。どんな言葉をアリババに返すんだろうか。
急に、ページを捲る手が止まりました。
こんなにページを捲るのに緊張したのは初めてです。
「暗黒大陸へ渡り・・・」
と話し始めたモルジアナ。「私も自分を、知りました」
うつむき加減だった顔をあげ、アリババに真っ直ぐに向き合ったその目は、力強い光を浮かべていました。
モルジアナはどこか挑戦的な笑顔で、
「ファナリスの女は自分に二度、死ぬよりも悲しい思いをさせた男を、許さないそうですが?」
と言葉を続けます。
アリババが「二度と死なねーよ!」と返します。
そして、次のモルジアナの言葉が。
「大丈夫、私が死なせません。
夫婦になりましょう」
おめでとう!
アリババ、モルジアナ!
2人の長い旅が一つの終着点に辿り着いたかと思うと、急に涙がこみ上げてきました。
よかったねアリババ。散々モテないキャラとしていじられてきたけど、真剣な想いが、真剣な愛情によって結ばれ、最高の物語を手にしたことで見事に収まった感じです。
それにしてもモルジアナの返事が凄い。
いかにもファナリスらしいと言えばそうですが、こんなに力強いプロポーズへの返事を私は今までに見たことがありません。
「大丈夫、私が死なせません。」
この一言に、アリババを一度失ったモルジアナの悲痛な過去、鍛え上げた強さへの自身、二度と離れないという決意、色んな感情が秘められている気がしました。
そういえばアリババが一度死んだ時には、モルジアナは暗黒大陸を目指してアリババとは離れていたんですよね。暗黒大陸から戻ったらアリババが死んでいた。その時にはきっとモルジアナは、離れていて何も出来なかった自分自身に果てしない悔しさを感じて苦しんだに違いないんですよね。
それがモルジアナの一度目の「死ぬよりも悲しい思い」だったのでしょう。
そして「二度も悲しい思いをしたくない」ではなく、「二度目の悲しい思いなんて、私がさせない」という強い決意を持ったモルジアナ。心の強さと、アリババへの思いの強さと、その両方があって初めて出てくる言葉なんだと思います。
この間、ページ数にしてたったの8ページ。
こんな短いページ数に、2人のこれまでの物語と想いとが凝縮され、読者の手へ届けられたことはもう奇跡ですよ。
さすがはマギ、さすがは大高先生です。
ああ、このシーンだけで、32巻はもう最高!な体験でした。
シンドバッドが追い詰められていきます。
頼みのアルバはアラジン達に敗れ、どうやら商売の方も少しずつ他の勢力に押されている感じも出てきている様子。再会したアラジンは何だか甘い事を話し出して、ついに「誰も、何も分かっていない」というような考えを持つに至ります。
表情は笑っていますが、どこかその笑いは薄っぺらく、「このままではいけない」という焦燥感に駆られているようにも見えてしまいます。
さらに32巻の最終話では、煌帝国が同盟からの離脱を表明し、これまでずっと自分を憎んでいた紅玉から「今の平和はあなたのおかげです。ありがとう」という言葉を投げかけられます。
それは単純な感謝の言葉ではないでしょう。
シンドバッドから離れ、一人の独立した人間として向かい合うことが出来たからこそ言えた言葉です。
だからこそシンドバッドはこう考えたはずです。
「紅玉までも、俺の理想から離れて、間違った道を進もうというのか」
世界が自分の手から一つずつ離れようとしている。
その離れていった先には、また過去と同じような悲劇が待ち構えている・・・。そんな考えから抜けることができないシンドバットは、これでまた、相当に精神的に追い詰めれていくはずです。
最終章の導入部が終わり、いよいよ物語が動き出しそうな雰囲気が満ち満ちています。
追い詰められたシンドバッドがどう動くのか。
無敵の強さを見せつけるアラジンはこれからどうするのか。アリババは?白龍は?
一向に姿を見せないジュダルは何をしているのか。
アルバはダビデに頼って何をしようとしているのか。
それらの答えは33巻に示される・・・!!?
ということを楽しみに、発売を待ちたいと思います。
最後にもう一度。
おめでとう!!
(何だかエヴァの最終回みたい)
今回も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
↓↓過去のマギについての記事はこちら
マギ 31巻 大高 忍(※ネタバレ)
マギ 30巻 大高 忍(※ネタバレ)
マギ 29巻 大高 忍(※ネタバレ)
マギ 28巻 大高 忍(※少しネタバレ)
マギ 27巻 大高 忍(※少しネタバレ)
マギ 大高 忍 (11〜26巻)
マギ 大高 忍(1〜10巻)
もう一度、最初に言わせてください。
おめでとう。
32巻はですね、色々と書きたいことはあるんですよ。
成長したアラジンの魔法の凄まじさ(完全にチート級)、白龍やモルジアナの強さ、シンドバッドの心が追い詰められていく描写、見どころの多い巻なんです。
そんな中でも際立つのは、そう、アリババがモルジアナに求婚する話です。
ちょっと驚いたんですよね。大分前に、アリババがモルジアナに告白するという話がありましたが、その時は「モルジアナに告白を受け入れられたと勘違いして大いに浮かれまくったアリババがその間違いに気付いて人間不信に陥る」という半ばギャグみたいな回でした。
その後は、アリババのモルジアナに対する気持ちがどうなったみたいな具体的な話は無かったですし、アリババが死ぬとかアラジンがいなくなるとか、まあ物語が大変なことになっていましたので、すっかり私もそのことを忘れていました。
だからモルジアナと再会したシーンでも、「あ!モルジアナだ!」ぐらいの感想しか私は持ちませんでした。それよりも白龍との再会の方が印象的でしたので、すぐにモルジアナのことは正直忘れてしまいました。
おめでとう、アリババとモルジアナ!
そんなアリババとモルジアナの関係が急展開したのは、再会を祝して4人で宴席を囲んでいるときでした。
「素面のうちに言いたいことがあるんだから!」
とアリババはアラジンとの話を切り、「モルジアナ!」と声をかけます。
ここから急展開だったんですよね。
自分の話を始めたアリババは、その中で「家族」についての考えを持ち出したことを触れます。
そして「俺も年を取った後、家族が欲しいなって思った時に・・・」
「真っ先に思い浮かんだのが・・・モルジアナだったんだ」
続けてモルジアナに対する想いを話した後、ついにアリババは「俺と結婚してくれよ。」と、静かな、それでいて強い眼差しでモルジアナに気持ちを伝えました。
ど、どうするんだモルジアナ。
ちょっと白龍といい感じにも見えたけど(数年一緒にいた間に、何か気持ちが変わったかもしれないし・・・!!)。どんな言葉をアリババに返すんだろうか。
急に、ページを捲る手が止まりました。
こんなにページを捲るのに緊張したのは初めてです。
「暗黒大陸へ渡り・・・」
と話し始めたモルジアナ。「私も自分を、知りました」
うつむき加減だった顔をあげ、アリババに真っ直ぐに向き合ったその目は、力強い光を浮かべていました。
モルジアナはどこか挑戦的な笑顔で、
「ファナリスの女は自分に二度、死ぬよりも悲しい思いをさせた男を、許さないそうですが?」
と言葉を続けます。
アリババが「二度と死なねーよ!」と返します。
そして、次のモルジアナの言葉が。
「大丈夫、私が死なせません。
夫婦になりましょう」
おめでとう!
アリババ、モルジアナ!
2人の長い旅が一つの終着点に辿り着いたかと思うと、急に涙がこみ上げてきました。
よかったねアリババ。散々モテないキャラとしていじられてきたけど、真剣な想いが、真剣な愛情によって結ばれ、最高の物語を手にしたことで見事に収まった感じです。
それにしてもモルジアナの返事が凄い。
いかにもファナリスらしいと言えばそうですが、こんなに力強いプロポーズへの返事を私は今までに見たことがありません。
「大丈夫、私が死なせません。」
この一言に、アリババを一度失ったモルジアナの悲痛な過去、鍛え上げた強さへの自身、二度と離れないという決意、色んな感情が秘められている気がしました。
そういえばアリババが一度死んだ時には、モルジアナは暗黒大陸を目指してアリババとは離れていたんですよね。暗黒大陸から戻ったらアリババが死んでいた。その時にはきっとモルジアナは、離れていて何も出来なかった自分自身に果てしない悔しさを感じて苦しんだに違いないんですよね。
それがモルジアナの一度目の「死ぬよりも悲しい思い」だったのでしょう。
そして「二度も悲しい思いをしたくない」ではなく、「二度目の悲しい思いなんて、私がさせない」という強い決意を持ったモルジアナ。心の強さと、アリババへの思いの強さと、その両方があって初めて出てくる言葉なんだと思います。
この間、ページ数にしてたったの8ページ。
こんな短いページ数に、2人のこれまでの物語と想いとが凝縮され、読者の手へ届けられたことはもう奇跡ですよ。
さすがはマギ、さすがは大高先生です。
ああ、このシーンだけで、32巻はもう最高!な体験でした。
一応、シンドバッドについて・・・
シンドバッドが追い詰められていきます。
頼みのアルバはアラジン達に敗れ、どうやら商売の方も少しずつ他の勢力に押されている感じも出てきている様子。再会したアラジンは何だか甘い事を話し出して、ついに「誰も、何も分かっていない」というような考えを持つに至ります。
表情は笑っていますが、どこかその笑いは薄っぺらく、「このままではいけない」という焦燥感に駆られているようにも見えてしまいます。
さらに32巻の最終話では、煌帝国が同盟からの離脱を表明し、これまでずっと自分を憎んでいた紅玉から「今の平和はあなたのおかげです。ありがとう」という言葉を投げかけられます。
それは単純な感謝の言葉ではないでしょう。
シンドバッドから離れ、一人の独立した人間として向かい合うことが出来たからこそ言えた言葉です。
だからこそシンドバッドはこう考えたはずです。
「紅玉までも、俺の理想から離れて、間違った道を進もうというのか」
世界が自分の手から一つずつ離れようとしている。
その離れていった先には、また過去と同じような悲劇が待ち構えている・・・。そんな考えから抜けることができないシンドバットは、これでまた、相当に精神的に追い詰めれていくはずです。
さて、次の展開は?
最終章の導入部が終わり、いよいよ物語が動き出しそうな雰囲気が満ち満ちています。
追い詰められたシンドバッドがどう動くのか。
無敵の強さを見せつけるアラジンはこれからどうするのか。アリババは?白龍は?
一向に姿を見せないジュダルは何をしているのか。
アルバはダビデに頼って何をしようとしているのか。
それらの答えは33巻に示される・・・!!?
ということを楽しみに、発売を待ちたいと思います。
最後にもう一度。
おめでとう!!
(何だかエヴァの最終回みたい)
今回も長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
↓↓過去のマギについての記事はこちら
マギ 31巻 大高 忍(※ネタバレ)
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