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2016年02月12日

若いっていいねえという危険な言葉について

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20歳のアルバイトさんと話す機会がありました。


聞いていると、強い目標・希望を持って過ごしているんじゃなく、何となしに日々をただ過ごしている、目の前の与えられた課題や小さな欲を満たすために過ごしているというような印象を受けました。


そんな話を聞いていると、今の自分に対する不満が内側からふと湧き上がります。
「こんな風に毎日を過ごしていたから、何の変哲もない、平凡な個人になってしまったんじゃないか」
「もっと熱い気持ちを持って毎日を過ごしていたら、今頃はもっと凄い人間になって、お金も一杯稼いでハッピーな人間になっていたんじゃないか。相当、勿体無いことをしてしまった」
最終的にこの不満は、とある言葉になって表れました。


「若いっていいなあ。
 若さってのは無限の可能性だよね。
 今からだったら何だって出来るんだから、大きな夢や希望を持って、好きに生きるべきだよ」


これを言った次の瞬間、大きな違和感を感じました。
はっきりとは分からないけど、自分で気付かない内に何か大きな間違いをしてしまったような、まとわりつく違和感を・・・。
それを拭えないまま話は終わりました。それから時間が経ち、夜にお風呂に入っている時でした。急にその違和感の正体に気付きました。


20歳のアルバイトさんに言った言葉は、自分の可能性をもう無意識の内に諦めてしまっていることの表れなんだと。
一方で、その諦めを良しとしない、つまり自分の可能性をまだ信じている部分も心の中にある。だからその言葉に対して違和感を感じたんだと。


何だかもっともらしいこの台詞。
そういえば自分も若いころは何度となく聞いたことがある台詞です。
しかし気をつけてください。実はこの言葉は、自分の中から「若い」という気持ちが消えた次の瞬間から、若い人に対してつい言ってしまう禁断の台詞です。


でも、まだ自分の可能性を諦めていなければ、部分的にでも諦めていない心が残っていたら、この言葉を口にするのはやめるべきです。
そのことに今日気づきました。


明らかに出来ないことは確かにあるかもしれませんが、それでも、まだまだどんなことが出来るかは分からないですよね。やってみなければ分かりませんが、何もやらなければ何も変わらないってことです。


スラムダンクで安西先生も言っていたじゃないですか。
「諦めたらそこで試合終了ですよ」


そう考えた時、年齢という概念が消え去っていくのを感じました。
年齢という数字は確かなものとして存在はしますが、それはあくまで「生まれてからどれくらいの時間が経ったか」という単なる目安です。
自分にあるのは、「◯◯歳の自分」ではなく、「今この瞬間の自分」です。


だから私は「若いっていいね」という言葉は、今後一切口にしません。考えません。
だって今の自分が、自分の中で一番若く、次の瞬間以降の自分にはまだまだ無限の可能性があるのですから。
posted by 霧島もとみ at 2016年02月12日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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