2015年12月07日
ふと感じた心境の変化
よく物事を考えます。
といっても、それは「考えているつもり」でしかないと、少し前に読んだ本で指摘をされました。
書かなければ考えていないのだと。
ということは、言い換えると・・・何でしょうね、思索を巡らしているという表現になりますか。
ぱっと目に飛び込んできた光景や、ふっと自分の中から泡のように湧きあがってきたものを捉え、それを元に連想を広げていく、そんな作業のことです。
それをよくやるようになっています。
そんな中で少しずつですが、自分の中に何かが降り積もっていくのを感じます。
わずかずつですが、新しい力の種のようなものが、少しずつ降り積もり、形になっていくのを感じます。
その種から何が生えてくるか。何を育てようとしているのか。
何となくですが、今のところ、「まだ可能性は無限大だ」と感じています。
終わらない限り無限大だと。
ところで、今日は自分の中の心境のとある変化を感じました。
街を出歩いている時に、今までは誰かに出会うことを嫌っていました。
更に言えば「怖れていた」ところがあったと思います。
プライベートで会った時にどんな顔をすればいいのか、どんな話をすればいいのか、どんな反応をすれば「相手に悪い感情を持たれなくてすむのか」ということを無意識の中で考えていて、それがプレッシャーとなり、怖れに繋がっていたのでしょう。
ところが今日は、全く怖れる感情がありませんでした。
別に自分が何か強力な武器を手にした訳でも何でもありません。ただ、他人がどう自分のことを思おうがそれは「どうしようもない」とはっきりと認識するようになったからだと思います。
自分と他人は違う。
そしてこの世界の中に正解は無いのだから、他人が自分のことにどういう答えを持っていたとしても、自分の答えはそれに左右されるものではなく、それぞれが独立したものだということを、感覚として身につけてきたということかもしれません。
あれほど他人を怖れていた気持ちが、不思議なものですが、少し弱くなっていることを感じました。
このまま経過観察を続けたいなーと、今日はそんなことを考えました。
なんか日記みたいですが、まあこれはこれで。
といっても、それは「考えているつもり」でしかないと、少し前に読んだ本で指摘をされました。
書かなければ考えていないのだと。
ということは、言い換えると・・・何でしょうね、思索を巡らしているという表現になりますか。
ぱっと目に飛び込んできた光景や、ふっと自分の中から泡のように湧きあがってきたものを捉え、それを元に連想を広げていく、そんな作業のことです。
それをよくやるようになっています。
そんな中で少しずつですが、自分の中に何かが降り積もっていくのを感じます。
わずかずつですが、新しい力の種のようなものが、少しずつ降り積もり、形になっていくのを感じます。
その種から何が生えてくるか。何を育てようとしているのか。
何となくですが、今のところ、「まだ可能性は無限大だ」と感じています。
終わらない限り無限大だと。
ところで、今日は自分の中の心境のとある変化を感じました。
街を出歩いている時に、今までは誰かに出会うことを嫌っていました。
更に言えば「怖れていた」ところがあったと思います。
プライベートで会った時にどんな顔をすればいいのか、どんな話をすればいいのか、どんな反応をすれば「相手に悪い感情を持たれなくてすむのか」ということを無意識の中で考えていて、それがプレッシャーとなり、怖れに繋がっていたのでしょう。
ところが今日は、全く怖れる感情がありませんでした。
別に自分が何か強力な武器を手にした訳でも何でもありません。ただ、他人がどう自分のことを思おうがそれは「どうしようもない」とはっきりと認識するようになったからだと思います。
自分と他人は違う。
そしてこの世界の中に正解は無いのだから、他人が自分のことにどういう答えを持っていたとしても、自分の答えはそれに左右されるものではなく、それぞれが独立したものだということを、感覚として身につけてきたということかもしれません。
あれほど他人を怖れていた気持ちが、不思議なものですが、少し弱くなっていることを感じました。
このまま経過観察を続けたいなーと、今日はそんなことを考えました。
なんか日記みたいですが、まあこれはこれで。
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