2023年05月20日
再読、名著。「俳優のノート」 山崎努
’
演劇関係者はもちろん、表現に関わっている
すべての人に読んで欲しい、名著です。’
名優がリア王の戯曲をどう読み解き、
演技をしていくかをつぶさに描いている。
あとがきで香川照之が「あなたがもし俳優ならば、
あなたは即刻この本を教科書と指定すべでである」
と記しているが、戯曲を読むとはどういうことか、
演技をするというのは何なのか、を深くえぐられ、
唸るほどの名言が散りばめられている、
類まれなる本です。
少し長くなるけど、その一部をご紹介。
「ある感情から次の感情に飛躍することが
日本の俳優の苦手とするところで、これが劇の
ダイナミズムを損なう最も大きな原因である。
ドラマチックということはダイナミックと
いうことであり、ダイナミックでなければ
ドラマチックではない。
感情の沼に溺れ込んで、ぬくぬくべたべた
めそめそと、まるで羊水の中に留まっていれるだけの
自己充足的感情お化け芝居は劇ではない」
「当初から目指していた演技のダイナミズムが
実現しつつあるように思う。感情のアクロバット。
日常ではあり得ない感情や意義の飛躍を楽しむのだ。
しかし、基本にあるのはあくまで日常の感情だ。
日常の感情を煮つめ、圧縮し拡大したものが
舞台上の感情なのである」
「演技の修練は舞台上ではできない。
優れた演技や演出を見て、技術を学ぼうとしても
駄目なのだ。その演技はその人独自なものである。
大切なものは日常にある」
「やはり人は、皆、己の身の丈にあった感動を
持つべきものなのである。
読みかじったり聞きかじったりした知識ではなく、
自分の日常の中に劇のエキスはある。
我々はそのことをもっと信じなければならない」
「四十年も俳優業をやっているのだから、
笑わせたり泣かせたりすることはもう充分に
出来るはずだ。
どのキーを押してどんな音を出すか、充分に
知ったはずだ。
肝心なことは、何のための演技をするかなのだ。
演技をすること、芝居を作ることは、
自分を知るために探索の旅をすることだと思う。
役の人物を掘り返すことは、自分の内を掘り返す
ことでもある。(略)
役を生きることで、自分という始末に負えない
化けものの正体を、その一部を発見すること。
しかし手に入れた獲物はすぐに腐る。
習得した表現術はどんどん捨てて行くこと」
「俳優は馬鹿ではいけない。俳優は演出家の
道具になってはならない。
今、演出家主導の芝居がもてはやされている
ようだが、これはとても悲しく淋しいことだ
我々俳優は森全体を見、そして木を
見なければならない。
自立しなければならない。
そして、演技をひけらかしては
ならない」
「登場人物が、俳優という生身の肉体を与えられ、
舞台の上で生き生きと存在すること、それが
芝居の生命なのだ。
戯曲が素晴らしい、演出が新鮮だ、演技が見事だと
観客に感じさせたらそれは失敗なのである。
舞台上に劇の世界を生き生きと存在させること。
ただそれだけ」
俳優の話をされてるんですが、いろんなことに
置き換えられる深い言葉だなーと思います。
おそらくこれから何度も読み返す、
大事な本です。
未読の方はぜひ。
’「
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