お正月の年取り魚は「ぶり」と昔は決っていましたね。
今年も、残す所幾日か、ぶりを食べて新年を祝って。
近年、天然物の「ぶり」は一切れ数千円と高くなっていますが?
養殖物が出回って、幾分値段もお手頃に。
★富山湾で取れた「ぶり」を
昔は「塩ぶり」にして、遠く「飛騨地方」や「信州中南信」まで運ばれました。
*富山から高山まで飛騨街道(越中街道)で90キロでおおよそ3日かかった様です
冬の割石は一番の難所で道幅は60センチ断崖絶壁を歩荷(ボッカ)が背負って
*高山から野麦街道(江戸街道)を松本まで110キロ8日かかったようで
難所の一つ野麦峠も標高1600M冬の積雪は1,5メートル以上だった様です。
途中「野麦峠」を抜けて松本へ
〃 を抜けて伊那そして飯田へ
・江戸時代は平地は牛で
・明治大正時代は大八車で
・厳しく、険しい山道は歩荷(ボッカ)が背負って
*歩荷(ボッカ)が背負った「ぶりかご」
セイタで運ぶ「竹のぶり容器」は1箱にぶりの半身が4から5枚
1箱約30キロの重さ
運んで行く内に「塩」が浸み込んで。
★そんな事で「ぶり街道」と名前が付いたようですね。
当時、それほどまでして、大晦日の主役「ぶり」を食べて年越しを?
一年の労を労い、お正月の年取り魚、縁起のよい出世魚「ぶり」を食べて
来る歳の健康とご多幸を祈念して、食べて居たんですね。
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★ハレの日とケの日とは?
(「ケ(褻)」の日
・普段どうりの日常生活を送る日を「ケ(褻)」の日と
(「ハレ(晴れ)」の日
・お正月、節句、お盆、冠婚葬祭を行う日を「ハレ(晴れ)」と言う
単調になりがちな生活に、「変化」と「けじめ」をつけて日常とは違う一日を過ごしたようで
「ハレ」の時は、ハレの日用の着物を着たり、神聖な食べ物として「赤飯」や「餅」を食べたり
お酒を飲んで祝うなど、日常とは違う特別な一日を過ごしたようです。
今日も変わっていませんね。
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