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【日本史の常識を覆せ!】なぜ「一休さん」は有名なのか?単なるお坊さんではないのか?

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★ 「一休さん」は頓智が優れていた?

漫画にもなり、日本人なら誰もが知っている一休さんですが、なぜこんなに有名になったんでしょうか

頓智で有名だった?

貧民を救ったなどで有名になったから?

実際の一休さんを知ると、どうも頓智などとは違う気がします。
一休さんの正体を知るためには、まず一休さんの出自を知る必要がありそうです。


★ 「一休さん」の出自

はっきりしたことは不明です。

しかし、足利三代将軍の足利義満が権力の絶頂期にいた頃の天皇である後小松天皇の子供であったと言われています。
これは、現代の歴史の研究結果から言われていることではなく、当時においても巷で噂されていいたことです。

決定的な根拠はありませんが、この当時の噂は、ほぼ事実だろうと考えられています。
また、一休さんは、足利義満の子供である可能性もあると言われています。

まず、天皇家の血を受けているという見方については、次のような点があります。

〇 一休さんのお母さんが後小松天皇の寵愛を受けていた事実があること。
〇 当時の有力寺であった大徳寺の寺持になりましたが、このような地位に就くには高貴な血統と、有力者からのバックアップがないと普通はなれないこと。
〇 後花園天皇の即位には一休が深く関与しているとされること。

などからです。


★ 「一休さん」はなぜ天皇になれなかったか

では、後小松天皇の子供という噂が事実ならば、なぜ、一休さんは天皇家の子供と認められなかったか。

もし、一休さんが天皇の子と認知されて育っていれば、後小松天皇の第一子でしたので、もっとも天皇位に近い存在として、かなりの高い確率で天皇になっていたものと思われます。

この認知されたかったことには、当時の最高権力者であった足利義満が絡んでいると言われます。
義満は、学校の教科書などには出てきませんが、天皇家を乗っ取ろうとしたと言われており、事実として息子の義嗣を天皇家に入れて親王にする直前まで話を進めています(この儀式の直前に義満は急死するのですが・・・)。

この義満、当時は実質的な最高権力者であり、怖いものなしですから、後小松天皇が寵愛する一休さんのお母さんの元に強引に押しかけ、一夜を共にしたらしい・・・。

それを知った後小松天皇は、一休さんのお母さんを怒りにまかせて追放したと言われます。
この内容は、一休さんのお母さんの行動に不信を持った後小松天皇が、一休さんのお母さんを殴りつけたという記録で残っています。(はっきりと、相手が義満とは書いていませんが、状況から察して間違いないものと歴史研究者達は見ています。)

そして、一休さんのお母さんは、天皇家から追放されて暫く後に一休さんを産んだんです。
したがって、一休さんは正式に天皇家の子供と認められていませんが、誰もが知る公然の秘密だったと言うことです、当時は
まあ、ひょっとすると義満の胤で生まれた可能性もあるんですけどね。


★ 「一休さん」の記録はなぜ残ったか

日本人は、高貴な人物が不幸な人生を送ったり、不幸な死に方をするのを美化して語り継ぐ文化を持っています

例えば、聖徳太子もこの例に当てはまります。

聖徳太子も、本来は用明天皇の皇子として天皇になることが当然の立場にありながら、推古天皇に阻止されて天皇になれず、最後は自殺をしたのではないかという死に方をしています。
又、彼の息子達も滅ぼされ、彼の血筋は絶えています。
このような不幸な人生を送り、また不幸な死に方をした聖徳太子は、非常な天才政治家・仏教家として、語り継がれています。
おそらく、不幸な彼には、実際の成果以上の他人の成果(蘇我馬子などが行ったこと)も、記録に載せてもらっている可能性が極めて高いです。

まあ、聖徳太子の例を出さなくとも、ニュース番組でのインタビューを見ていると気づきますが、事故等に巻き込まれて不幸な死に方をされた方の人柄などについて、その知人達は故人を表現するのに最大級の賛辞で応えるのが普通です。

他民族にも同様の傾向はありますが、日本人は特にこの傾向が強いように思われます。

話を戻しますと、一休さんについても、貴族・武士達の上流階級も、庶民など中・下流階級も、本来なら天皇と言う最も高貴な立場に立つべき人物が皇族・貴族にも入れず、一寺持として人生を終えたことを不幸と感じ、一休さんの人物・人生を美化して記録に残したということなんだと思います。

だから、実際の一休さんは坊主でありながら、酒を飲み肉食・妻帯しと当時の習わしからはかなり破天荒だったようですが、漫画にもあるように、頭がよく思いやりのある人物と表現されることも多いんでしょう。



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以上



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