2013年12月21日
【日本史の常識を覆せ!】百人一首からわかる持統天皇の正体
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歴史好きのあなたに読んでもらいたい!
文化だの政治だの側面ばかりで「歴史」を捉えてはいけません。
人間は今も昔も欲望に生きる動物ということをしっかり意識して、「歴史」を直視するべきです。
まずは、これらの本で歴史の常識を疑うことから始めませんか?
(目からウロコですよ!)
クリックして下さい!⇒ 井沢先生の「逆説の日本史」など
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「春過ぎて夏来にけらし白たへの衣干すてふ天の香久山」
★ のどかさを感じるこの歌が・・・
百人一首にもあるこの歌は、日本人なら多くの人が知っているでしょう。
ほんとに、初夏が来たことを感じさせる、のどかな歌という印象で、この詩を詠んだ持統天皇の人柄がわかりそうな気がします。
持統天皇は、天智天皇の娘であり、また天武天皇の皇后でしたので、壬申の乱を戦った両派を結ぶ人物として周りからの期待を集めての天皇即位だったと見られています。
更に、藤原不比等など有為の人材を登用して日本の中央集権体制を一歩進めた実力派の一面も併せ持つ、いわゆる高貴にして有能な人物と扱われることが多いかと思います。
しかし・・・、この歌をよくよく見てみると、この持統天皇像をそのまま信じていいのか・・・という、大きな疑問点に突き当たるんです。
★ 何が疑問なのか
この歌に登場する「天の香具山」は、奈良県にある小高い程度の山ですが、古代大和朝廷にとっては「聖なる山」でした。
古代における様々な記録や歌にこの山が登場し、ヤマト王権の発祥と深い関係があったことを我々に伝えます。
そこで、もう一度、持統天皇の歌を詠んでみてください。
「春過ぎて夏来にけらし白たへの衣干すてふ天の香久山」
何か気が付きませんか?
そうです、この聖なる山に、なんと洗濯物を干しているではありませんか!
★ 古代日本人における羽衣
ただ、洗濯物と言っても、「白い羽衣」ですから、まだ品があるので許せそうです。
でも、「白い羽衣」にどういう意味があるのか?
日本には、羽衣をまとった天女が舞い降りたという伝説が様々な地域に残っており、このことから考えて「羽衣を身に着ける=天女になる」ということだったろうと考えれます。
又、「天孫降臨」と言われていたことから、「天女になる=天皇になる」という意味もあったものと見ることができるんです。
まとめると、「羽衣を身に着ける=天女になる=天皇になる」 です。
★ 持統天皇の正体
以上から、持統天皇がこの歌に込めた気持ち・願いを改めて考えると、「『聖なる山=朝廷』を支配して『白い羽衣=天皇』になりたい」だったのではないかと思われます。
この歌で、「天武の季節は終わったのね、あ、天女の羽衣があるわ、頂きましょう、これで天下は私のもの」と言っているのです、きっと。
このようにこの歌を解釈すると、持統天皇が皇位に執着し、他の天武の子供達をどんどん排斥して、自らの血統の文武天皇に皇位を継がせた歴史的事実にも合致します。
持統天皇は、かなり強い意志で皇位に就き、維持したんです。
やはり、なんらかの理由で、天武だけの血統は残せない、天智の血統を混ぜて残す必要があり、持統からの血統を正式なものと位置付けて皇位を維持する必要があったのではと考えます。
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☆ 持統天皇を知るには、次のような本がいいと思います。
★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩★✩
週末などを利用して、京都で歴史探訪しませんか?
京都中心部でも、立派な割に格安(数千円)なホテルが多いです。
まあ、無料ですから、目についたホテルの詳細・予約のページも見てみて下さい。
(旅情を誘ってきますよ(笑))
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以上
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持統天皇は、天智天皇の娘であり、また天武天皇の皇后でしたので、壬申の乱を戦った両派を結ぶ人物として周りからの期待を集めての天皇即位だったと見られています。
更に、藤原不比等など有為の人材を登用して日本の中央集権体制を一歩進めた実力派の一面も併せ持つ、いわゆる高貴にして有能な人物と扱われることが多いかと思います。
しかし・・・、この歌をよくよく見てみると、この持統天皇像をそのまま信じていいのか・・・という、大きな疑問点に突き当たるんです。
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この歌に登場する「天の香具山」は、奈良県にある小高い程度の山ですが、古代大和朝廷にとっては「聖なる山」でした。
古代における様々な記録や歌にこの山が登場し、ヤマト王権の発祥と深い関係があったことを我々に伝えます。
そこで、もう一度、持統天皇の歌を詠んでみてください。
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ただ、洗濯物と言っても、「白い羽衣」ですから、まだ品があるので許せそうです。
でも、「白い羽衣」にどういう意味があるのか?
日本には、羽衣をまとった天女が舞い降りたという伝説が様々な地域に残っており、このことから考えて「羽衣を身に着ける=天女になる」ということだったろうと考えれます。
又、「天孫降臨」と言われていたことから、「天女になる=天皇になる」という意味もあったものと見ることができるんです。
まとめると、「羽衣を身に着ける=天女になる=天皇になる」 です。
★ 持統天皇の正体
以上から、持統天皇がこの歌に込めた気持ち・願いを改めて考えると、「『聖なる山=朝廷』を支配して『白い羽衣=天皇』になりたい」だったのではないかと思われます。
この歌で、「天武の季節は終わったのね、あ、天女の羽衣があるわ、頂きましょう、これで天下は私のもの」と言っているのです、きっと。
このようにこの歌を解釈すると、持統天皇が皇位に執着し、他の天武の子供達をどんどん排斥して、自らの血統の文武天皇に皇位を継がせた歴史的事実にも合致します。
持統天皇は、かなり強い意志で皇位に就き、維持したんです。
やはり、なんらかの理由で、天武だけの血統は残せない、天智の血統を混ぜて残す必要があり、持統からの血統を正式なものと位置付けて皇位を維持する必要があったのではと考えます。
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以上
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