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2024年11月12日

そもそも婚姻・結婚とは目的は何だ?

買い物の帰り道、結婚男女間の関係について考えてみた。
そもそも婚姻・結婚とは目的は何だ?
以前何かの書籍で読んだ気がする。
結婚は男女の間で行われる。
そして結婚の目的は嫡子を設けそしてそれを養育・育てあげる事。
それを結婚婚姻の目的としている。
現代のように男女または同性間の恋好きとか嫌いと言う感情は全く婚姻とは無関係である。
婚姻は地域社会の認証儀式で在り、個々人の感情は問題としない。
家の格付けで婚姻できる男女は家の格の釣り合いで決められる。
仲人は監視役で在り、若い番の面倒をみる役目が有ったようだ。
そもそも、こうした古の時代から脈々と続いてきた掟がなぜ破られるのか?
それは人権宣言と言う間違った思考感染が行われたからだ。



人権宣言は先の大戦の戦勝国である国々のサロンである国連と言う組織が、
実験として行ったと思われる。
人間から生まれた生き物は全て人間として認め生存する権利を与える。
こうした間違った思想を世界中に思考感染させた。
世界中の地域文化には成人という概念が有る。
人から生まれても、育つ環境で人成らざる者が出現したことが有るのだろう。
地域の社会に認められる人格と良識を備えなければ成人として認められないのだ。
人権宣言はそうした人間の根本思想を理解しておらず、間違った思想だと言える。
人権宣言が世界中に思考感染という形で広まった結果、人間は権利と言うものを主張するようになった。
何か自身に不都合な事象が有ると、権利という言葉で不利な問題を退けようとするのだ。
だが、権利はそれを担保する実力があって初めて権利となるモノだ。
屁理屈を言って、その屁理屈の根拠に人権という権利の主張をこじつけるのが現代人の権利の主張の特徴だ。
そして最近はSNS等で、訳も判らないにも関わらず、恣意的な感情や雰囲気、投稿者の印象操作で事の真偽も調べずに賛同する傾向が見られる。
そして、そうした恣意的な根拠も無い賛同者の数が力を持っているが如く、世論に影響を与えている。
権利はそれを担保する実力が伴わなければ意味は無い。
そうした原則を全て端折ってしまい、とにかく権利と言うものがあると思い込ませた。
統一国家(国連)の行った人権宣言は非常に悪質な思想感染実験であった。
人間は「自身にとって都合の良いことを信じ込みそして都合の悪い事は決して認めない」
そうした人間の特徴をついた思考感染なのだ。
人類はその歴史の中で多くの犠牲を払いながら「尊厳」と言う思想を築き上げた。
それは地球上のあらゆる地域で同じような価値観で育まれてきた思想だ。
その思想を覆すのが人権宣言と言う思考感染だ。
現代人が同性婚や夫婦別姓と言う諸問題の根源にあたる思想は、そうした事をしても良い権利があると思い込んでいるからだ。
再度言うが権利はそれを担保する実力がなければ意味がない。
「尊厳」とは、仏教で言う「苦諦」である。
つまり、生き物で在る以上、どうにもならないことを「苦諦」として受け入れると言うことだ。
同性婚や夫婦別姓と言う諸問題を自分都合で権利として推し進めると、行く先は苦しみと憎悪、後悔にしか辿り着かない。
そして、こうした異端の生き物は、存在を許される事も無く、レイシズムに取り憑かれた人々(レイシストやシオニスト、民族主義者など)により、殲滅される運命だろう。



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