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2024年10月23日

悟ると言う言葉があるが

最近、生きることに疑問を持ち始めた。
悟ると言う言葉があるが、人間、真理を悟ると生きていることが馬鹿らしくなる。
生き物、人間は常に自身に都合の良いことしか認識せず、不都合なことは否定する。
だから、死んでもあの世とか、天国とか地獄のような夢想にふける。
人間は身体というモノが精神や思考を司る装置であることを知っている。
否、科学を学習していれば、判っていることだ。
しかし、何故か人間は神や仏の存在を信じ、あの世や天国、地獄を信じ恐れる。
そもそも、死とは何かを知ろうとしない。
否、知りたくないのだ。
人間は皆死というモノを知っている。
死は眠りで在り単に目を覚ませない状態を指している。
熟睡は死そのものだと知っている。
私の父も既に無くなったが、生前に死については「眠って起きないだけ」とハッキリと認識をしていた。
痲酔などで意識を失う経験をしたことがあれば、判ると思う。
死とは正にその状況なのだ。
痲酔は身体機能が健全なので、目を覚ますことが出来る。
だが、身体の損傷や病等の場合、身体機能が不健全なので、目を覚ますことが出来ない。
それだけのことなのだ。



私は命という言葉が嫌いだ。
何故なら、そんなモノは存在しないからだ。
命とは、動いている状態を指している。
他者から観て、動いている状態を命がある、生きていると表現するだけなのだ。
人間は自分に都合の良いことのみ認識し、不都合なことは否定する。
命など存在しないと一般bんてきな認識になることが社会秩序の維持に影響するからだ。
存在しないモノを奪ったからと行って、今の法律では裁く根拠が無い。
殺人は強制的に対象者の行動を再起できなくしただけなのだ。
人が人の命を奪うことは無い。
しかし、他者の行動を再起不能にすることは、許してはいけない。
そうした事をした人間には、同様に行動を再起できない処置をするべきなのだ。
情状とか酌量という考え方は、根本的に間違っている。
法と律は、結果に対して量刑を定める辞書に過ぎない。
結果以外に経緯や外的要素を鑑みることは間違っている。


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サダー・パリブータ
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