老いは目から来る。
老いは耳から来る。
私は老いを感じている。
私が老いを最初に感じたのは目だ。
50歳を越えた頃に急に視力が落ちた。
それまでは近眼などに成ったことは無かった。
処が50を越えた辺りから急に目の焦点が合わなくなった。
老眼だ。
ルーペなどで誤魔化したが、どうにも具合が悪い。
母の紹介してくれたメガネ屋で老眼鏡を作った。
この頃はシステムの仕事がなく、世間も震災後の不景気で大変な時期だった。
私は国民年金の干渉業務という戸別訪問の営業のような仕事をしていた。
足腰、聴力はまだ人並みになっていた。
システムの仕事に就いた頃、いきなろ大きな耳鳴りが右耳に起こった。
深夜にである。
翌日までに耳鳴りは治まった。
しかし、右耳の聴力は殆ど聞こえなくなってしまった。
大学付属の病院で診察したが、全く元には戻らなかった。
そして60を迎えた年に、初詣に出掛けた先で足が動かなくなった。
運動不足である。
そしてその一年後に、同じ初詣の先の電車の駅の階段から転落して左手首を粉砕骨折した。足の衰えだ。
左手首の粉砕骨折は今はプレートを入れて治癒している。
私は足の衰えは股関節から来ると感じている。
股関節が硬くなり、足の運足に影響する。
そして股関節が芳しくないと、その先の膝に無理が出る。
膝に無理が出れば足首や足の甲、裏にまで影響が出る。
バランスが悪くなれば、末端に行くほど影響が大きいのだ。
老いると一番の問題は、心が最初から折れていることだ。
若い頃は、何か問題があれば、それに抗う気骨があった。
だが、年を取ると最初からもう年だからと諦めてしまう。
だが、客観的に人間という生き物を観ると、年齢など然程関係はない。
要は、年を重ねると堕落するのだ。
楽をしたいという気持ちが強くなるのだ。
疲労感が年齢で増加するわけではない。
年を重ねれば、その分の記憶の蓄積で耐える方法を持ち合わせるモノだ。
其れが経験である。
無理をしないというのは、自分の身体の声を聞き分ける事が出来る人間の言葉だ。
無理をしないとは、身体が悲鳴を上げて壊れてしまうまで気付かずに、身体を酷使する愚か者に掛けてやる哀れみの言葉だ。
身体は使わないと硬直化する。
常に関節や筋は柔らかさ、弾力を維持するために動かさなければならない。
老化の防止は出来ないが、老化に合わせた生活は出来る。
常に身体の声を聞き、必要な動作を心掛けることだ。
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