アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2015年03月14日

姑という生き物について考える3

1と2で、姑とは、嫁を未熟者という見方は崩さないが、求める家事等のレベルは自分並かそれ以上で、至らない点があったら容赦なく指摘してくる存在だということがわかりました。
自分の絶対的な地位を死守しつつ、常に優越感と存在感を見出しながら、家族の一員として気持ちのいい時間を過ごしたい為です。
その中に、「嫁の気持ちを考える」という項目はおそらく存在しないか、ミジンコみたいなものだと思います。
そこを無視せずに、自分の欲求は叶えられないからです。
この都合のいい鈍感さは、お年寄りの最大の武器かもしれません。





こんな風に、「姑の気持ち」を、延々と考えてみました。

・・・うん、やっぱり相容れないわ。
という感想です。
やはり、「そういう生き物」として対応していくしかなさそうです。
人間レベルではいい人。
人間レベルではいい人なのに、何故?
またループが始まってしまいますね。
止めます。

自分も、いつか姑になります。(結婚・・・するよね?息子たちよ)←2回目
自分がどんな姑になるのか、とても興味があります。
こんな嫁目線の文章を書いたことなんてすっかり忘れて、嫁に対してやらかしてしまうのでしょうか。
それとも、繰り返さないでいられるのでしょうか。

カギは、自己肯定感なのかなと思います。
子育てを終えた後の自分の気持ちを、どこで再び充実させるかにかかっていると思います。
「自分が光っている」感覚を、子育て以外にも、持てるようにしておくという事です。
もう一つは、
子供たちはいずれ巣立っていくもの。
と、認識していく事です。

野生動物は、子育てを終えたら大概余生無く死にます。
でも、人間は「余生」を許された幸せな存在であることを、ありがたく思って生きて行けたら幸せだなと思います。

話は少し逸れますが、大好きだったおじいちゃんが居ました。今はもう亡くなりましたが。
前に借りていたアパートの大家さんで、病院の院長さんでした。
部屋の電気を修理する際には、80歳近いお年で炎天下の中わざわざ自転車で家まで確認しに来てくださり、ありがたい思いをしました。
目がとても澄んでいて綺麗で、笑顔も素敵な、優しいオーラに包まれた方でした。
アパートを解約して、お世話になったお礼に菓子折りを経営する病院に届けた時にはもう入院中で、それきり会うことは叶いませんでした。
無くなったのは、年賀状のやりとりをしていてその年に喪中はがきが来たことでわかりました。

その方の多くを知っている訳ではないですし、近親者からの見方はまた違っているかもしれません。
でも、通りすがりに近い存在のアパートの住人にまで礼を尽くしてくれた、その気持ちが暖かくて印象的だったのです。

自分も、あんな風に年をとる事ができたらなあ、と、漠然と思ったものです。

今後は姑考察は止めにして、「素敵な年寄りになるにはどういう生き方をしていったらいいのか」にシフトして行きたいと思います。

ポジティブ方向に行けたでしょうか・・・。
どうもこの話題は、暗い方向へ引っ張られてしまいがちです。
恐るべし姑・・・!
目下の悩みの解決には全く役に立っておらず、相容れない事を確認できただけの結果となってしまいましたが、みなさん、頑張りましょうね!(遠い目)
夫のみなさん、どうか妻の気持ちに共感してあげてください。
くれぐれも、「悪気はない」なんて言葉を、吐きませんように・・・・。





このテーマについては、これで終わります。
お付き合いくださった方、ありがとうございました。
















この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/3411884
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
カテゴリアーカイブ

育児・3人目以降 ブログランキングへ にほんブログ村 子育てブログへ
にほんブログ村
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。