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ひまわり太郎
適応障害を克服し、今も助けになっている考え方を載せています(^ー^) アダルトチルドレン回復の為に、生きています。 ホッとしたい方や人間関係に悩んでおられる方(^ー^)気が楽になるかもです。 【回復の為の経験したものーご参考まで(^0_0^)】 集中内観、カウンセリング
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2012年03月02日
自分に厳しいことは本当にいいこと?
「楽な道を通りたい」

この言葉に「駄目人間」のレッテルを貼る人がいます。

幼いころの親の教育や、過去の経験、または理想から反射的にそう思うのでしょう。
しかし、どうでしょう。楽な道でも、周りの目を気にせずに、自分が楽しくて、満足できて、成長を実感できて、自分の理想に向けて、自己実現の道をマイペースに歩んでいく。

私は素晴らしいのではないかと思います。

そこには周りを気遣う心の余裕も生まれます。

私自身、以前は「自分に厳しく他人に甘い」これが理想と思っていました。

しかし、「自分に厳しい」というのは、「犯してはいけない自分ルール」を沢山抱えながら生きているということ。

「自分のルール」を他人が犯したとき。腹が立ちませんか?

「まあ、色んな人がいるからな。でも私だったらそんなことはしないのに…」

そう思って、本当は腹が立っているのに、我慢する。「自分に厳しく他人に甘い」という理想が頭にある為に、理想と心の感じ方のギャップにストレスを感じていることに気がついていないのではないでしょうか?

それらは、いつか爆発して「自分に厳しく、他人に厳しい」に豹変してしまったり、自己犠牲に繋がって心の病になってしまったり…

他人に甘くしなくとも、「自分に厳しい」が理想では、同じだと思います。いつのまにかピリピリとした空気を出しているかもしれません。

人それぞれ許せないことがあって当然です。

しかし、腹が立ったり、自分の厳しさが辛かったとき、「OKOK、自分に許そう」と思えたら、大分楽になるのではないでしょうか。

心への許しはベクトルを変えるのではありません。

人の悪口をいわないという自分ルールがある人は、許すと同時に、思いのままに悪口を言うのではありません。

ルールのハードルをグーっと引き下げて、出来たら自分を誉めてあげるのです。

自分に甘く、他人にも甘いが、厳しいときは出来たら誉める。
これが理想だと思っています。
厳しくしたときは「よくやった」と自分を誉めてあげます。

うさぎと亀の話がありますよね。

うさぎが居眠りしている間に、かめが追い抜いてゴール。

自分に厳しい亀さんが報われ、自分に甘いうさぎさんが失敗するという話にもとれます。

しかし、うさぎが「のんびり昼寝も出来て、いい運動も出来て、いい一日だったなー。レースは負けたけど、次は勝ちたいなー」

と思えばどうでしょう。亀も「うさぎさんに勝つ目標が達成出来たぞ」と思えたら両方OK。幸せではないでしょうか。

亀が自分に厳しく、「こんな勝ち方は嫌だ、次は全力で走ってくれ。俺は手を抜いて勝たれても嬉しくない」とうさぎに怒っていては、せっかくの勝ちも、どうなのでしょう。

幸せが遠ざかってしまうのではないでしょうか。うさぎもいい気持ちはしないかもしれません。

自分ルールのハードルを下げて
「うさぎさんは休んだみたいだけど、僕は今回は頑張って休憩しなかったから勝てた。休まず走らなかったのは偉い。自分よくやったー!」

と、自分を誉めてあげる方がよほど自分の気持ちがいいのではないでしょうか。

「よーし、次は相手が全力でも勝てるように練習しておこう」
なんて思えたら最高だと思います。

うさぎに自分ルールを押し付ける必要もありません。

自分に厳しく他人に甘いは、中々出来るものではないと思います。
出来ていると思う人に尋ねると、「そんなことないよ。自分に凄く甘いし他人にも甘いよー」と笑顔で答えてくれます。

でも端から見れば凄く頑張り屋さん。

それは、自分を誉めながら出来るから楽しく頑張れるのではないかなと思います。

ただ一つ最後に書きたいのは、自分に激甘になると、誰かを傷つけるかもしれないということです。

何事も白黒付けすぎないよう、自分を客観的に見つめて、厳しくて辛いときは許して誉めてやる。

そんな気持ちで肩の力を抜いて、朗らかに生きていきたいなと思います。

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