2011年01月17日
16年…
今日は1月17日、関西圏には忘れられない人が多いのではないでしょうか?
阪神淡路大震災
が16年前に起こった日です。
私も実家でいたときに実際に体験しました。
私の実家近辺は震度はそんなに大きくなかったのですが、
マンションの10階に住んでいたために、2階や3階に住んでいた友人宅に比べたら
被害も大きかったようです。
6時46分
まだウトウトしていました。
そこへ ユラっと小さな揺れが来たんです。
この頃多いな〜 とか思いながら布団の中でウトウトしていると
一瞬ストロボをたかれたような光がカーテン越しに感じられました。
寝ぼけながらも だと思ったので、次に来るゴロゴロドーン
という音に備えて布団の中に潜り込んだその時、
下から突き上げるような揺れが起こりました。
に 地震 !!とんでもない日や!!
と思ったのもつかの間。後はもう激しい横揺れに必死に耐えるのが精一杯でした!
そのうちに家の中であっちでガチャガチャ、こっちでパリーン!!
このマンション自体が倒れるのじゃないかと思えるくらいの揺れと音でした。
その中で、右に倒れたら何とか助かるかも、でも左に倒れたらテーブルやら冷蔵庫やらが
私の上に降ってくるだろうからまず助からないな…とか考えたりもしてました。
そうこうしているうちに、上から重たい物がのしかかってきました。
明るくなったとき分かったのですが、足下にあったタンスが私の上に倒れてきたのです!!
運良く炬燵の横で寝ていたので、炬燵が犠牲になって私を守ってくれました
その揺れがおさまったあと、エレベータ棟の中に通してあった水道管が壊れてしまい、
水道が使えないことが発覚。エレベーター棟の中にあったため、エレベーターも
使用不能。それが全棟でおこったため、マンションの水道全体の元栓まで
水をくみに行くことが1週間ほど続きました。
重たいバケツやポリタンクを持って10階まで階段を上がるというのは、
結構こたえるものでしたが、それでないと生活できないとなると、何とか続く物ですね。
そんなことをこの日が来ると毎年思い出します…。
幸いにも母が飛んできたタンスの角で頭を切っただけで済み、大事もなかったために
ライフラインが戻ったらすぐに元のような生活に戻れましたが、
火事や自宅の倒壊に合われた方、
身内を亡くされた方々は今でも辛い日々を送っていらっしゃることとお察しします。
今でも地震が来ると小さな揺れでも次にあの突き上げるような揺れが来るのでは…と
身構えてしまいます。
この日は多分一生忘れることの無い日だと思います。
避難具の点検をすることも、忘れません。
あ、今年のお正月に実家に帰ったらあの
私の命の恩炬燵がなくなって新しい炬燵になっていました。
あれは?と聞くと
母は一言
「古かったし、脚が折れていたから捨てた」
ええ〜〜!!おかんもあの炬燵がなかったらどうなっていたか!って言っていたやん!!!
なんともあっさりしたおかんでして…
前向き、でしょ…(^-^;A
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阪神淡路大震災
が16年前に起こった日です。
私も実家でいたときに実際に体験しました。
私の実家近辺は震度はそんなに大きくなかったのですが、
マンションの10階に住んでいたために、2階や3階に住んでいた友人宅に比べたら
被害も大きかったようです。
6時46分
まだウトウトしていました。
そこへ ユラっと小さな揺れが来たんです。
この頃多いな〜 とか思いながら布団の中でウトウトしていると
一瞬ストロボをたかれたような光がカーテン越しに感じられました。
寝ぼけながらも だと思ったので、次に来るゴロゴロドーン
という音に備えて布団の中に潜り込んだその時、
下から突き上げるような揺れが起こりました。
に 地震 !!とんでもない日や!!
と思ったのもつかの間。後はもう激しい横揺れに必死に耐えるのが精一杯でした!
そのうちに家の中であっちでガチャガチャ、こっちでパリーン!!
このマンション自体が倒れるのじゃないかと思えるくらいの揺れと音でした。
その中で、右に倒れたら何とか助かるかも、でも左に倒れたらテーブルやら冷蔵庫やらが
私の上に降ってくるだろうからまず助からないな…とか考えたりもしてました。
そうこうしているうちに、上から重たい物がのしかかってきました。
明るくなったとき分かったのですが、足下にあったタンスが私の上に倒れてきたのです!!
運良く炬燵の横で寝ていたので、炬燵が犠牲になって私を守ってくれました
その揺れがおさまったあと、エレベータ棟の中に通してあった水道管が壊れてしまい、
水道が使えないことが発覚。エレベーター棟の中にあったため、エレベーターも
使用不能。それが全棟でおこったため、マンションの水道全体の元栓まで
水をくみに行くことが1週間ほど続きました。
重たいバケツやポリタンクを持って10階まで階段を上がるというのは、
結構こたえるものでしたが、それでないと生活できないとなると、何とか続く物ですね。
そんなことをこの日が来ると毎年思い出します…。
幸いにも母が飛んできたタンスの角で頭を切っただけで済み、大事もなかったために
ライフラインが戻ったらすぐに元のような生活に戻れましたが、
火事や自宅の倒壊に合われた方、
身内を亡くされた方々は今でも辛い日々を送っていらっしゃることとお察しします。
今でも地震が来ると小さな揺れでも次にあの突き上げるような揺れが来るのでは…と
身構えてしまいます。
この日は多分一生忘れることの無い日だと思います。
避難具の点検をすることも、忘れません。
あ、今年のお正月に実家に帰ったらあの
私の命の恩炬燵がなくなって新しい炬燵になっていました。
あれは?と聞くと
母は一言
「古かったし、脚が折れていたから捨てた」
ええ〜〜!!おかんもあの炬燵がなかったらどうなっていたか!って言っていたやん!!!
なんともあっさりしたおかんでして…
前向き、でしょ…(^-^;A
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