2018年12月02日
書評『死体博覧会』
こんにちわ、小谷中広之です
「小谷中広之」が読んだ本の書評をします。「小谷中広之」なりに感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に書評は更新していきます)
「小谷中広之」が感じ、思った事を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、ハサン・ブラーシム様の「死体博覧会」です
このような方にお勧めです
「様々な世界観に触れたい人 中東短編小説 平和について考えている人」
著者の方のプロフィール
「1973年バグダッド生まれ 短編集「自由広場の狂人」が英国で出版されPEN主催の翻訳文学賞を2009年受賞」
まとめ
日本では決して訪れることもないだろう不幸なことが他国では日常のように起こっているのか…
この短編小説に出てくる内容は、どこまでフィクションなのだろうか?
ほとんどノンフィクションなのではないか?
そう考えながら読み進んでいった
印象としては、自分の子供ではない幼い子供が目の前で殺害されているのにそのことに同情をすることもなく物語が進んでいく、ちょっとまってくれ、何か作者はこのことについて同情や悲しみの言葉をなぜ付け加えないのか?
それはきっと、もしかしたら日常の景色として当たり前に出会った出来事だったのかもしれない…そう考えざるを得ない
本当に色々考えさせられた一冊だ
以前テレビで放送されていたが武装した戦闘員に囲まれて助けを求める捕虜となってしまった人、あの人達は本当に自分の言葉でしゃべっていたのだろうか?という事についてはあの映像を見ていた時から感じていたが、この本で考えさせられたのは武装集団のリーダーが世界やアメリカに向けて、何かを要求したり、実行したことを報告したり、実行することを告知している映像が世界に配信された放送だ
本当にこのリーダーは、本物のリーダーなのか?実は捕虜で、戦闘員でもなく、ましてやリーダーでもない、全く関係のない人間なのではないか?それすらも武装集団は偽装して次の一手を今か今かと実行に移そうとしているんじゃないか?
リーダーがやられてしまっては、集団の士気は落ちるのが定説であるからこそ捕虜を、しかも捕虜の中でも一番演技能力の高い者を選別し、落選したものは殺害されていってしまっているのか、そんな考えを「記録と現実」という作品読んでいて巡らせた
全14話の短編集
中東小説は初めて読んだが翻訳者の方の力もあってか、読みやすい
が、悲しく辛くなってしまう箇所が多数出てくる
アフリカ文学とは違った悲しみが顔を出すので、アフリカと中東の両方の小説を読んでみることもお薦めする
本当に宗教間の争いは無くならないのか?
今私がこうしてパソコンのキーボードを一つ一つ打っている間にも…
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
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http://cycleair.jp/
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