2018年08月16日
書評『ヒロシマ』
こんにちわ、小谷中広之です
「小谷中広之」が読んだ本の書評をします。「小谷中広之」なりに感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に書評は更新していきます)
「小谷中広之」が感じ、思った事を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、井上恭介様の「ヒロシマ 壁に残された伝言 」です
このような方にお勧めです
「全ての人達」
著者の方のプロフィール
「1964年生まれ NHK報道局 報道番組センター社会番組部チーフ・プロデューサー」
まとめ
広島へ原爆が落とされた‥
原爆ドームの存在感、今現在でも戦争を知らない私たちに悲惨さを想像させ、日時を問ず読書(戦争関連)は戦争について考る機会をくれる
現在コミュニケーションの方法はどんどん増えている
メール、ライン、TwitterやフェイスブックなどのSNS、もちろん手紙やハガキもある
過去にさかのぼり、戦時中の日本はどうだ?
誰もがわかりきっていることだが今現在のようにネットなどなく、ましてや携帯?ポケベル?誰もが想像にすらしていなかったことだろう
原爆が投下され生きているか死んでいるかもわからないほどに離れ離れになってしまった者達に残された生存の確認をする機会は手書きのメッセージか言伝でしかない
手書きのメッセージは手紙とそして、人の集まる場所にある伝言板だ
伝言板は書ければどこだっていい、しかし重要なのは人が集まる、ということだ
人が集まれば集まってくれるほどに本人に伝えたいと必死に描いたメッセージが本人ではなくとも他の人を通じて伝わる可能性が高い
もちろん見る人の人数が多ければ本人に見てもらえる確率も上がる
もし自分が戦時中の広島、原爆が投下され家族と離れ離れになり、被害が比較的少ない最も近い学校へ行って家族へ伝言を書き記すとしたら一体どのように書くだろうか
メッセージの内容をしっかりと考えるというよりは、そのようにすれば我が家族が、そして我が家族の関係者が私の書いたメッセージをいち早く探し出せるか、見落とさないかを一番考えるのではないかと戦争を全く経験したことのない私は思ってしまう
見落とさないか、というのはこの本を読んでいて私が思った一つなのだ
多くの人がメッセージを書き、多くの人がそのメッセージが自分の身内であることを祈りながら探しに来た
数多くのメッセージの中から、生きていてほしい大切な人のメッセージを探し出すのは大変な緊張感だったに違いない
その緊張感の中、見落としてしまう人は必ずいたに違いない
そしてもし私がメッセージを書くものであったならば、見落とされないための工夫を必ずしたに違いない
しかし大きく書いてしまえば他の人の書くスペースを奪ってしまう
大きさではない書き方や字の癖、それに加えてチョットした絵を描き直ぐに気がついてもらえるように見落とされないような工夫をする
そしてさらに見落とされないようにするための工夫として一か所だけに終わらせない、これも重要に感じる
実際に広島原爆の後、メッセージを書き記す者もメッセージを確認しに来るものも共に一か所ではなかったのではないかと思う
一か所にしか書き記さなかった者もいたかもしれないが多くの人はより多くの場所に書き記したに違いない
なによりも探す者、つまり希望を捨てない者たちは最初の場所にメッセージがなければ必ず次の場所へと移動する
そう考える私は複数の場所に自分の生存メッセージを書き記すだろう
小谷中広之は生きている
今、あなたは空を見上げて何を考えますか?
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
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