2017年12月29日
書評『いま世界の哲学者が考えていること』
こんにちわ、小谷中広之です
「小谷中広之」が読んだ本の書評をします。「小谷中広之」なりに感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に書評は更新していきます)
「小谷中広之」が感じ、思った事を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、岡本裕一郎様の「いま世界の哲学者が考えていること」です
このような方にお勧めです
「現役の哲学者の考えに触れたい人 経済に詳しくなりたい人」
著者の方のプロフィール
「1954年福岡生まれ 玉川大学文学部教授 西洋の近代思想を専門 著者(フランス現代思想史 思考実験 ヘーゲル入門など多数)」
まとめ
クローン問題
クローン人間に対して非難的意見が大多数なことは今現在常識となっていそうだ(実際私個人で統計を調べたわけではわけではないが、まぁ的外れなことではないだろう)
イギリスの進化生物学者であり動物行動学者でもあるリチャード・ドーキンスの見解にとても共感を覚えた
「一卵性双生児はクローンであり、同じ遺伝子を持っている」と指摘したうえで「一卵性双生児を個性も人格もないゾンビだといった人は一人もいない」と
確かにそう捉えることができそうだ
私は科学者でもなければ研究者でもないがクローンという定義はそもそも人それぞれ解釈は異なるものであると認めたうえでドーキンスの見解は受け入れられる
そもそもクローン人間が誕生した場合、誰に対してどんな害を及ぼし、その結果どのような結果が生れ派生していくだろうか?
クローン人間誕生に対しての偏見は変わることなく常識となっていくのでしょうか?
過去の歴史を振り返っても、偏見という常識が覆されることは当たり前のようにありました
人類はもともと母乳で育てるのが常識であったが、その後母乳ではなく粉ミルクが常識となる時代がある。しかしそれが非常識となり結局母乳が適していることが常識となり元の常識に戻る。また、人種差別や情勢差別などを考えて見れば過去と現在では常識が変わっている
つまり過去に偏見のまなざしで見られていたことが現在では常識となっていることが多々ある
このような歴史から見てもクローン技術を偏見の眼差しで捉える態度はどうなのか?
1970年代に試験管ベビーを恐れていたそうだが現在ではごく普通の出産法となっている
そして現在では「試験管ベビー」という偏見表現さえなくなっている
体外受精という名に変わっている(この表現方法変更は理解しやすい。試験管ベビーのままだとやはりネーミングに問題があるかと、しかしこの先体外受精という表現も変わっているかもしれないがそしてら体外受精というネーミングに新たな偏見が生まれるかもしれない)
ではここで自分の子供がクローン人間として生まれてきたとしよう
それでもあなたはその子を愛せますか?
クローン人間だろうとその子は自分の遺伝子を完全に受け継いでいる
そもそもクローンというネーミングが引っ掛かるのでクローンというネーミングをとってしまえばすっきりとする
人間
自分の子供は人間
当たり前です
人間の子は人間
我が子は我が子である
つまり、愛せると断言できる
これはどの親もみな同意見ではないでしょうか
クローンだろうが何だろうが自分の子供に変わりはないわけです
クローンだからって成長過程に問題が生じるのか?と問われてもクローンでなくても問題は生じるわけです
クローン人間だからって我が道を歩まないわけではなく自立心も芽生え我が道を歩むことでしょう(クローンじゃなくても自立心がいつまでも芽生えずに親のすねをいつまでもかじりつくしている大人がたくさんいるのだし)
もっとクローンについて寛容になるためにも受け入れる姿勢で問題見向きあってみてはどうでしょうか?
クローン技術、もちろん人間だけに当てはまった話ではないですが
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
いま世界の哲学者が考えていること [ 岡本裕一朗 ] |
⇓私の会社のホームページです。コラムも書いていますので覗いてみてください⇓
http://cycleair.jp/
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7039210
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック